台湾に現存「旧海軍の軍艦」が神様の廟とは!? 軍艦は電動仕様 安倍元首相の銅像も

台湾南部の港湾都市である高雄市。ここには、なんと旧日本海軍の軍艦が神様として祀られている廟があります。このような場所が作られることになった経緯、現地の様子について取材してきました。
台湾南部の港湾都市である高雄市。ここに大日本帝国海軍(以下:旧日本海軍)の軍艦が神様として祀られている廟があります。その名は「鳳山紅毛港保安堂」(以下:保安堂)。神となった軍艦は「38にっぽんぐんかん」という名で呼ばれていますが、これはかつて実在した旧日本海軍の樅型駆逐艦12番艦の「蓬(よもぎ)」がルーツです。
台湾に現存「旧海軍の軍艦」が神様の廟とは!? 軍艦は電動仕様…の画像はこちら >> 「蓬」を模した「38にっぽんぐんかん」。「神艦」と冠される通り、この模型が神として崇められている(2024年、松田義人撮影)
第二次世界大戦後半の1944年11月、当時、哨戒艇に種別変更され、第三十八号哨戒艇と呼ばれていた「蓬」は、マニラから高雄市へ物資を輸送する船の護衛にあたっていました。しかし、台湾とフィリピンのあいだにあるバシー海峡において、アメリカ潜水艦の雷撃を受け沈没。艦長(艇長)だった高田又男予備大尉以下、乗員145名全員が戦死したと言われています。
それから終戦を挟んで2年経った1946年、高雄市紅毛港の漁民が出漁したところ、仕掛けていた網に人間の頭蓋骨がかかりました。心を痛めた漁民や地元住民は、その頭蓋骨を祠に安置し「海府尊神」として祀り続けたところ、以降大漁が続くことに。やがてその骨は「霊験あらたかな神」として崇められるようになり、1953年には「保安堂」が建立されるまでに至りました。
それから37年後の1990年、「保安堂」で執り行われた祭の場で「タンキー」と呼ばれる霊媒師が、本来は喋れない日本語で「私はみんなから崇められている海府尊神だ」「私は大日本帝国海軍の第三十八号哨戒艇の艇長で、戦争中に死亡した」「部下を郷里に帰すことができず悔やんでいる」と大声で語り始めたのです。
当初は半信半疑だったものの、後に調べてみるとタンキーが発した話は全て当時の状況と合致。これまで崇めていた「海府尊神」は「蓬」の艇長だった高田又男予備大尉であると考えられるようになりました。
以来、「海府尊神」は「海府大元帥」としてさらに崇められるようになり、1991年には「蓬」を模した「38にっぽんぐんかん」の模型が製作されます。この模型は、「海府大元帥と部下たちが、日本に帰れるように」と奉納され、神として崇められ始めます。
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「海府大元帥」としてさらに崇められるようになった「蓬」艦長の高田又男予備大尉(2024年、松田義人撮影)
神となった「38にっぽん軍艦」の模型は、意以前訪れた際は、この模型は電動で稼働していました。LEDで船体の照明が光るほか、砲塔も上下に動いていました。現在も動くかどうかは不明ですが、手入れはゆき届いており、「保安堂」の関係者が大切に「38にっぽん軍艦」を祀り続けていることはわかります。
海外で日本軍艦が祀られているという特殊性から、1990年代以降、この廟のストーリー性ゆえに日本人旅行者にも徐々に知られるようになり、やがて「日台交流の重要スポット」として認知されるまでに至っています。
また、2022年には、同年に銃撃を受けて亡くなった安倍晋三元首相の慰霊銅像を日台の友好に尽力したという理由から廟の一角に設置。この銅像は日台双方の報道で取り上げられ、結果的に「38にっぽん軍艦」がさらに広く知られるきっかけにもなりました。
実は、「38にっぽん軍艦」以外にも、台湾には日本統治時代に実在した日本人を神として崇拝している廟が複数あります。
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「保安堂」には、前述の「蓬」関連の展示と合わせて、安倍元首相関連のものも複数展示されている(2024年、松田義人撮影)
「神」として祀られるようになった日本人のストーリーと、今日まで大切に各廟を守り続けている台湾人関係者の献身的な行いには、頭が下がる思いです。現地に行けば、連綿と続く日台の歴史をひしひしと感じることができるでしょう。

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