荒浜で被災し両親と避難しなかった一生の後悔…桜井由美さん「バレエで仙台を盛り上げることをきっと天国で望んでいる」…東日本大震災から13年-未来へ

あの日の津波は人々の命を奪っただけでなく、生き残った人たちに、大切な家族や財産を失うという絶望をもたらした。13年という歳月を経て、被災者たちの悲しみは癒えてきたのだろうか。現在の生活、生きがいは―。仙台市若林区荒浜で両親を亡くした桜井由美さん(56)に聞いた。
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なぜあの日、両親を連れて避難しなかったのか。仙台市の舞踊家で、3人娘の母でもある桜井さんは今でも悔いている。
震災発生時に自宅にいたのは、桜井さんと父・康雄さん(当時78)、母・安代さん(当時69)と中学を卒業したばかりだった次女の4人。夫は東京へ出張中で、高校生の長女は海から離れた友人宅にいるので、心配ない。まずは荒浜小で授業を受けている5年生の三女を迎えに行かなくては。怖がる次女は、母について来た。足が悪い康雄さんは「散乱したものを片付けて待っている」と安代さんと残った。
校舎3階の窓から黒い壁が押し寄せるような津波を見るまでは、このまま帰れなくなるとは思っていなかった。上空には自衛隊のヘリが旋回し、一人ずつ救出作業が始まった。フリース1枚、サンダル履きで駆けつけた桜井さんは雪が舞う中、凍えながら娘たちと救出を待ち、生き延びた。
両親は約1か月後、全壊した自宅から約300メートル離れたガレキの下から遺体で発見された。その横には母があつらえてくれた喪服が箱に入った状態で見つかったという。耐えきれぬ悲しみ。おばあちゃん子だった次女からも「どうして一緒に連れて逃げなかったの」と責められた。
「もう踊りも辞めようか」とも思ったが、夫の支えがあり、ダンス仲間もカンパを募って励ましてくれた。3歳からバレエを習わせてくれた安代さんも「踊ることを願っているはず」と思い直し、市民参加のミュージカルにも主演した。「大好きなバレエで仙台を盛り上げていきたいんです」と舞台に関わることであれば、振り付けやメイクなどでも何でもこなす。
あれから13年。3人姉妹は皆成人し、成長した。22年に結婚した次女が花嫁のあいさつで「お母さん、あの時は責めてごめんね」と語った時、桜井さんは泣き崩れたという。
「好きなことをやり、今笑えているのはありがたいことです」と桜井さん。今も両親が見守っていると信じている。2月には3人目の孫が誕生した。(甲斐 毅彦)

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