病院や救急車などの車両や、自衛隊の衛生部隊などは、目立つ部分に赤十字をつけています。国際的に救護活動をする人や車両を示すマークとして認められていますが、どのような経緯で定着することになったのでしょうか。
病院や救急車などの車両や、自衛隊の衛生部隊などは、目立つ部分に赤十字をつけています。これは救護員や施設を識別するためのマークです。実はこのマーク、厳密に使用が制限されており、むやみやたらに使用すれば、厳しい罰則が課せられます。
今では当たり前となっているこの赤十字マークは、どのようにして、国際的に救護活動を行っている人や組織を意味するようになったのでしょうか。
「十字マークはちょっと…」「月のマークもちょっと…」 実は複…の画像はこちら >>赤十字をつけた陸上自衛隊の1トン半救急車(画像:パブリックドメイン)。
その始まりは1864年、スイスのジュネーブで開催された外交会議においてでした。このとき陸上の戦闘による傷病兵の保護を定めた「ジュネーブ条約」が結ばれましたが、この条約には「戦場では、苦しむ人を敵味方の区別なく救護する」という画期的な決まりが盛り込まれることになりました。
ジュネーブ条約により、各国に戦時救護団体が組織されることとなりましたが、これら各国の救護団体は国際組織の赤十字社に発展していきます。
その前年の1863年に、国際負傷軍人救護常置委員会の委員に選出され、条約の締結に大きな影響を及ぼしたのがアンリ・デュナンというジュネーブ出身の実業家です。赤十字社が、白地で赤の十字をマークとして採用しているのは、このとき国際的な救護団体発足に奔走したデュナンを称え、出身国であるスイスの赤地に白い十字という国旗の色を反転したものを使うようになったからといわれています。 第二次世界大戦後には、ジュネーブ条約など、人道に関わる全ての条約を包括する動きが起き、1971年から「国際人道法」と呼ばれる国際法となり、戦時・平時を問わず、人間の尊厳を保護する目的のものとなります。
ジュネーブ条約や同条約を包括する国際人道法では、戦場でこの赤十字マークをつけて活動する人や車両、施設を攻撃することは禁止されており、彼らは戦場でも安心して、医療行為を行うことができるようになっています。
しかし、戦場で敵味方なく救護を行うという考え方には賛同できても、どうしてもキリスト教を連想させる十字のマークは受け入れられないという、イスラム教徒やユダヤ教徒など人々もいました。しかし、戦場でこのマークをつけずに活動を行えば、攻撃の対象になることも十分にあります。
そこで赤十字マークに抵抗のあったイスラム国家が中心となり新たなマークが生み出されました。それが白地に赤い三日月を描いた赤新月のマークです。こちらのマークは1865年にジュネーブ条約へ加盟したオスマン帝国(現在のトルコやシリア、サウジアラビアなどを領地とした帝国)が、国民の大半を占めるイスラム教徒に配慮する形で1876年に考案、赤十字マークと同等に扱うことが決められました。
また、第二次世界大戦後は、ユダヤ教を国教とするイスラエルで赤盾ダビド公社(またはマーゲン・ダビド公社)という赤十字社に相当する組織が、赤いダビデの星のマークを掲げて活動を行っていました。
しかし、このマークは国際的に認められてはおらず、国際法で守られたものではありませんでした。しかもこのダビデの星のマークは宗教的な意味合いが強く、宗教や特定の国を連想させない中性的でユニバーサルなマークを望む赤十字社やイスラム諸国からの反対にあい、なかなかマークを赤十字、赤新月同様に認めてもらうことは難しかったのです。
それでも中東は「火薬庫」とも称される紛争地域です。彼らの活動がなければ、被害は広がってしまいます。そこで、マークをダビデの星ではなく、菱形にすることで2005年に赤十字、赤新月同様の承認を得ることができました。これにより、イスラエルも人道救助活動を積極的に行うことができるようになったのです。
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自衛隊は通常の救急車も保有しており、カラーリング以外は民間のものとほぼ同じとのこと(画像:自衛隊熊本地方協力本部)。
ちなみにもうひとつ、イランの赤獅子太陽と呼ばれるマークも国際赤十字の標章として登録されており、現在4つのマークが認められています。ただし、この赤獅子太陽マークは、1978年のイラン革命以降、使用されておらず現在は赤十字、赤新月、新たな菱形の赤水晶の3つのマークが使用されています。