2024年の元日に石川県能登地方を襲った激震からまもなく1ヶ月。被災地の現状はどうなっているのか。津波被害も深刻だった珠洲市三崎町大浜地区で唯一設置された避難所を訪れた。
災害関連死15人を含む犠牲者は250人を超え、今なお19人の安否がわかっていない。地震や津波による住宅被害は4万余棟に及び、大規模な断水が続くなど生活インフラの復旧の見通しが立たないなかで、多くの被災者が今なお避難所などで不自由な生活を強いられている。
被害の甚大さを物語る珠洲市の町並み
日本海の荒海に面した奥能登の珠洲市沿岸部は津波の被害も深刻だ。被災直後には倒壊家屋や家財など多くのがれきが路上を覆い尽くし、約1ヶ月経っても海岸沿いの道にはいまだテレビや冷蔵庫、イスなどが散らばっている。波打ち際には転覆して逆さまになった船が、地面に突き刺さったままになっていたり、家屋の1階部分に車が突っ込んだ状態で放置されていたりと、復興が順調に進んでいるとは言い難い状況だ。中心市街地から離れた同市三崎町大浜地区は32世帯約70人が住む集落で、そのほとんどは50~70歳代の高齢者だ。そんな集落の唯一の避難所、大浜集会所で中心的存在となっている同地区区長の舟木茂則(67)さんは、「起きてしまったもんはしかたねえ。みんなポジティブにやっとるよ」と前を向き、避難生活をこう振り返った。
同市三崎町大浜地区長、舟木茂則さん
「珠洲市の中でもこの集落の被害は深刻だね。津波でオレの船も流されたし、家の中まで水浸しになっちまった。家が半壊した連中もおる。だから地震があってすぐのころは、ここの集会所で30人近くの住民たちが肩を寄せあって雑魚寝してた。市街地の避難所とは違ってなかなか支援物資が届かなかったんやけど、不幸中の幸いか、正月でおせちや食料の備えがたくさんあったから耐えられた。あと、ここら辺は農家も多いから野菜には困らなかったし、井戸も近くにあるからそこで水を汲んだり、発電機を回したり、薪ストーブで暖をとったりしてみんなで協力して乗り越えたんだ」
最大約30人が避難していたが、電気が復旧してからは自分の家で寝泊まりする人が増えたという。「今はここに寝泊まりしてるのは5~6人だけになったな。ただ、自宅が無事で家に戻ったけど、床まで水浸しになって家電がダメになっちまった人も多い。だから今でも夕飯どきには、集会所にみんなで食材を持ち寄って料理して『いただきます』って食べてるね。こうした生活が続くと、どうしても塞ぎ込んでしまったりネガティブになる人も多いから、みんなでご飯を食べてコミュニケーションを取るようにしとる。起こったもんは仕方ないし、2ヶ月、3ヶ月で終わるような話じゃない。勝負は長いからな。罹災証明書の申請はみんな出したけど、被害の状況の確認なんかはまだだ。できるだけみんなポジティブに和気あいあいとやるようにしとるよ」
珠洲市三崎町大浜地区唯一の避難所
この地域を離れて二次避難することも考えているのだろうか。「もちろん何人かは金沢方面に避難したり、加賀市のホテルに避難したよ。都市部のほうがいざというときに医療の設備もあるし安心だからな。でも、大半の人はここを離れようとしねえ。やっぱり生まれ育った場所に愛着もあるだろうし、いくら娘だ、息子だっていってもずっとお世話になるってのは現実的にはなかなか難しい。いつまで避難生活が続くかわからないのに、親戚の家に長く居座るのは気が引けるとか、みんな大変な思いをしとるのに自分だけ離れるのも申し訳ないと思っとる人もいるかもしれねえ。本心はわからねえけど。
愛着のある町だからこそ離れられない人も多い
それでも現状では、風邪気味の人は症状が重くなる前に珠洲の総合病院や、定期的に健診にくる赤十字のお医者さんに診てもらっとるから病気は未然に防げてると思う。とにかく一日でも早く、前みたいな生活ができるように戻ってほしいわな」
共同生活にはストレスがつきものだが、逆に人の温かみが尊く感じられる瞬間もある。仕事に戻る人たちも徐々に増えてきた。
「そりゃあ、みんなで雑魚寝してんだから大きなイビキかくやつもいたり、なんでもかんでも自分のペースではいかねえからストレスが溜まることもあるわな。トイレだってそうだ。集会所のトイレは女性用にして1回1回水を汲んできて流さなきゃいかんし、男性陣は海まで行って大でも小でもしてる。俺は年金生活だけど、男たちは仕事が始まってるやつも多い。バスの運転手やホームセンターの店長、建設業だったりな。まだ、ふだんよりは早い時間に帰ってこられてるけど避難生活の中では疲労は溜まるだろうな。でも逆にみんなでいろんな物を持ちよってな、少しずつよくなってる部分もあるんだわ」舟木区長はそう言いながら、新品と見紛うばかりの乾燥機を指差した。「これは被災したけど傷ついてなかったんで近所の人からもらったんだよ。電気も通ったからもちろん使える。それに倒壊を免れて、お風呂が大丈夫だった家もあるんだわ。そういう家でお風呂を沸かしてみんなで順番に入っているよ。『使えそうだったから、これ持ってくか?』って電子レンジを集会所に提供してくれた人もいるよ。これから先のこと、仮設住宅だってそうだけど申請を出して全員が全員入れるわけではないだろうし、いろんな不安はある。けどな、笑うしかないんだわ」
電気が復旧してほとんどのひとが自宅に戻ったが、夕食のときは集まって食事をするという
舟木区長を含め、被災者が心から笑える日々が待ち遠しい。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班撮影/Soichiro Koriyama