中越地震から20年…“全村避難”の山古志地区 困難乗り越え平穏な日常戻る「この生活続いてくれれば」 存続危ぶまれた闘牛場にも活気

中越地震から20年が経過したいま、全村避難を余儀なくされた新潟県長岡市山古志地区の現状は…地震後すぐに営業を再開した理容室や困難を乗り越えた闘牛場を取材しました。

長岡市山古志地区の「理容ほしの」。地元で長年愛される理容室には10月23日もお客がやってきました。

【星野サツ子さん】
「(山古志から)出た人も来てくれる。それがうれしい」

【お客】
「気楽に良くしてもらうし、こうやっていつまでもいさせてもらうのでうれしい」

散髪だけでなく、地元の人の憩いの場としてもにぎわう「理容ほしの」。

10月23日という特別な日に話題にあがるのは…

【お客】
「最初、何が起きたかわからなかったよね」

【星野サツ子さん】
「学校のテントを出したり、マットレス出したり、焚火しながら過ごしたよね」

【星野吟二さん】
「星がきれいでさ」

【星野サツ子さん】
「毎年、今まで23日はそうだった。あの時もすごくきれいだったよね」

中越地震が発生したときの記憶。それぞれの20年の歩みに思いをめぐらせながら、平穏な日常のありがたみを実感していました。

【星野吟二さん】
「20年という歳月、長いようで短かった。山の中で気のしれた人たちとお茶を飲んでいるのが一番いい。それが一番幸せ。そういう生活がこのまま続いてくれればいい」

一方で、黙祷が捧げられていたのは山古志闘牛場です。23日は復興感謝祭と題した特別場所が行われました。

山古志地区では地震により70頭いた牛が一時は35頭に半減。

地域の伝統の存続が危ぶまれる事態となりましたが、多くの支えの中でその伝統をつなぎ、この日も多くの観客が訪れていました。

【観客】
「復興などに尽力してくれる人がいて、こういう会が開かれていると思うので、そういう人への感謝を忘れずに生活していこうと思う」

【観客】
「ずっとずっと、語り継いでいく必要があると思った」

角突きのあとには、山古志小・中学校の子どもたちなどが力強い太鼓の演奏を披露。

地域の復興…そして、伝統をつなぐ力強い音色が響きわたっていました。

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