「プロペラ機なんて過去のもの」にならなかったワケ 現役時代は不遇“遅すぎた軍用機”が築いた礎

戦後普及したターボプロップ・エンジン。その黎明期に開発された汎用艦上攻撃機「ウェストランド・ワイバーン」は、レシプロ機からジェット機への移行期に不遇な運命をたどりましたが、航空史において再評価されるべき役割を果たしました。
軍用機にとって第2次世界大戦末期は、次世代につながる新技術の黎明期でもありました。有名な実用ジェット戦闘機Me262やミーティア、日本では『ゴジラ』の最新劇場作でも大活躍したエンテ型で後退翼をもつ「震電」などが生まれる一方で、人知れず消えていった軍用機もあります。 初期のターボプロップ・エンジンを搭載し、二重反転プロペラを採用したイギリス海軍の「ワイバーン」もそうした知られざる航空機の1つでしょう。ここでは、そのワイバーンについて、地味ながらも実は航空史に果たした重要な足跡を探ってみましょう。
「プロペラ機なんて過去のもの」にならなかったワケ 現役時代は…の画像はこちら >>ワイバーンの外観で目立つ特徴がかなり後方に寄ったコックピット(画像:パブリックドメイン)。
第2次世界大戦期のイギリスは、空軍のスピットファイアやハリケーン、モスキートなど数々の名機を生み出しています。ところが海軍では新鋭機の開発がうまくいかず、空軍機の艦載機型や複葉攻撃機ソードフィッシュを大戦末期まで運用していました。さらにアメリカから供与された艦載機を使用しています。
ドイツ海軍が空母を完成させられなかったため、機動部隊同士の対決が起こらず、イギリス空母の出番は主にドイツ軍の通商破壊戦における対潜哨戒でした。
それでもイギリス海軍は新鋭機の開発を続け、バラクーダやファイアブランドを生み出しています。前者はソードフィッシュの後継機でしたが事故率が高く、後者は開発の遅れから終戦まで間に合いませんでした。
本稿の主役であるワイバーンは、上記のファイアブランドの後継機として、大戦末期の1944(昭和19)年初めに開発計画がスタートしました。
ワイバーンの開発は、ウェストランド社独自の計画でした。その頃、イギリス航空省はロールスロイスの液冷ピストン・エンジン「イーグル」を搭載する長距離艦上戦闘機の仕様を要求していました。それにはガスタービンを使用するターボプロップ・エンジンの搭載も視野に入れていました。
1920年代から構想があったターボプロップ・エンジンは、、ジェット・エンジンより実用化が遅れました。イギリスで初めてターボプロップ・エンジンの航空機が飛行したのは、終戦間もない1945(昭和20)年9月でした。この時は開発中のロールスロイス「イーグル」ターボプロップ・エンジンを、ミーティア戦闘機に搭載して飛行しています。
ウェストランド社では「イーグル」エンジンで二重反転プロペラを駆動する試作機を、1946(昭和21)年12月に初飛行させます。その後、この機体はテスト飛行の事故で失われました。さらに「イーグル」の供給が見込めなくなり、ロールスロイスの新たなエンジン「クライド」あるいはアームストロング・シドレーの「バイソン」に変更して試作機の開発が続きます。
こうして、「クライド」を搭載した試作機が1949(昭和24)年1月に、「バイソン」を搭載した試作機が3月に飛行します。ところがエンジントラブルや性能を十分に発揮できませんでした。
この間、「クライド」搭載の試作機はロールスロイスがエンジン開発を断念して中止に、「バイソン」を搭載した試作機は3年かけて調整とテスト飛行を重ね、ようやく1952(昭和27)年に就役の準備が完了しました。
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魚雷を吊り下げたファイアブランド雷撃機。ワイバーンはこの後継機に位置づけられる(画像:パブリックドメイン)。
こうしてワイバーンの量産機が1953(昭和28)年5月、イギリス海軍第813飛行隊に配備されます。最初の機体は空母ではなく基地航空隊でした。
ワイバーンは20mm機関砲4門、魚雷1本または爆弾を最大3000ポンド(1361kg)、ロケット弾16発を搭載し、最高速度616km/hの汎用機でした。しかし、ワイバーンが部隊配備される前に勃発した朝鮮戦争(1950~53年)では、すでに軍用機がプロペラ機からジェット機へと入れ替わり始めていました。イギリス空軍も第2次世界大戦終結後に、戦闘機をジェット化する方針を打ち出していました。
そんな状況で第813航空隊に配備された翌年9月、空母「アルビオン」でのワイバーンの運用が始まった直後に事故が発生します。発艦に失敗したワイバーンが艦首の前に不時着水し、機体が真っ二つに切断されたのです。幸いパイロットは水没しかけた機体から射出座席で無事に脱出したものの、幸先の悪い運用開始となりました。
1956(昭和31)年のスエズ危機においてワイバーンは実戦に投入され、空母「イーグル」から79回の出撃を行いました。結局、完成した機体は124機のみで、スエズ危機から間もなく退役しています。試作機の段階から退役まで39機(撃墜2機)が失われ、13名が死亡した事故の多い機体、という嬉しくない評価を残してワイバーンはその生涯を終えました。
遅すぎた軍用機(それとも早すぎた)ワイバーンはこうして消えていきましたが、ここで実績を積んだターボプロップ・エンジンはその後も生き延びました。
ワイバーンで「イーグル」が採用されなかったロールスロイスは、1948年に新たなターボプロップ・エンジン「ダート」を完成します。ダートは民間旅客機用に採用され、1987年まで長きにわたり生産されました。
ターボプロップはジェット・エンジンで使われるタービンで、プロペラを回すと同時に電力も生み出します。効率よく大きな推進力が得られので燃料消費が低く、レシプロ機に比べて費用対効果に優れています。そのため、いまでもターボプロップを搭載する旅客機や大型軍用機は少なくありません。長く続くターボプロップ・エンジンの歴史のなかで、ワイバーンはその礎となったといえるでしょう。

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