浪江町の「なみえアベンジャーズ」が全町民ヒーロー計画…その合言葉は「真面目にふざけて町おこし」

2011年の東日本大震災と福島第一原発事故による全町避難で一度は人口ゼロとなった福島県・浪江町。苦しみを乗り越え、今年は雑誌の「住みたい田舎ベストランキング(人口1万人未満の町)」で1位を獲得するなど、徐々に復興の兆しを見せている。その浪江町をさらに盛り上げるべく立ち上がったご当地ヒーロー「なみえアベンジャーズ」。地域の魅力と笑いを届ける集団が、胸に秘めた熱い思いを語った。(取材・構成=秋元 萌佳)
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色とりどりのツナギに、浪江町の形が入ったプロレスラーのようなマスクが彼らの“戦隊服”だ。「なみえアベンジャーズ」は地元の有志で構成された浪江町公認のご当地ヒーロー。合言葉は「真面目にふざけて町おこし」。地域のイベントや啓発活動などに参加して町を盛り上げ、現在では道の駅にグッズコーナーができたり、グッズを集めた「推しセット」がふるさと納税の返礼品になるなど知名度は急上昇中だ。
発起人は「極太マン」こと、浪江の極太の食文化やおいしい料理を発信する役割を担う前司(ぜんじ)昭博さん(42)だ。過去にご当地グルメの「なみえ焼そば」をPRする「浪江焼麺太国(やきそばたいこく)」のメンバーとして活動し、「B―1グランプリ」で1位を獲得する快挙も成し遂げた。当時はリーダーの「太王(だいおう)」らが顔出しで活動していたが、「顔が出ない方が気軽にできるのでは」とマスク姿での活動を企画した。普段はたまねぎ農家の収穫を手伝う最年少20歳のオニオンウーマンが「人前に出るのは苦手ですが、顔が出ないなら思い切りできるし、いいじゃんと思った」と話すように、前司さんの戦略が見事はまり、21年に第1号・えごま農家の「エゴマン」の誕生から徐々に仲間を増やして現在は10人で活動している。
「とにかく浪江を盛り上げてくれれば、自分の商売を売り出してもいい。正体を明かしたければ明かしていいし、ほぼNGはないですよ」と、メンバーが発信するのは伝統工芸品から「筋肉」まで、さまざまだ。浪江を代表する焼き物の「大堀相馬焼」の魅力を伝える「大堀相馬焼ウーマン」は「どうしても古くさいイメージがあるけれど、自分たちがこうして発信することで若い人たちが知るきっかけになってほしい」と正統派のアピール。スポーツ万能で筋肉自慢の「マッスルマン」は、普段は町役場で働くインテリマッチョ。筋肉自慢のための大会「福島ッスル」を誘致して盛り上げており「やりたいことを応援してくれる環境があるので全力で活動している」と好きを形にする楽しさを感じて活動している。
現在の人口は震災時の10分の1と帰還者は少ないものの、移住者も多く、町が活気づいてきていることは確かだ。この先の目標は「浪江町で暮らす全員がヒーローになること」。前司さんは「地産地消にこだわりすぎて、全部ダメ、となるのが一番良くないと思うんです。日本一だからとかではなく、自分がいいと思う、素敵だと思うものを発信しているだけ。それを浪江の人たち皆が、自分なりのヒーローになってやってほしい」。明日のヒーローは君かもしれない…。全町民ヒーロー計画はまだまだ始まったばかりだ。
◆浪江町(なみえまち) 福島県浜通り(沿岸部)の北部に位置し、双葉郡に属する町。面積は223・14平方キロメートル。1889年の町村制施行により「浪江村」として誕生し、1900年に浪江町となる。53年10月に請戸村・幾世橋村と合併、次いで56年5月1日に大堀村・苅野村・津島村と合併して、現在の浪江町が誕生。海、山、川に囲まれる豊かな自然を誇り、大堀相馬焼やなみえ焼そばといった名産品でも有名。2011年の震災当時は2万1000人の町民がいた。9月末時点で浪江町内に住んでいる人口は2250人、1409世帯。

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