かつて旧日本軍の拠点だった台湾の高雄に残る要塞の跡を探索。相当な力を込めて山中に要塞を築き上げたことが伺えますが、今や地元っ子のあいだでは別の意味での“名所”に。そこは戦時の記憶と今が生々しく交錯する場所でした。
台湾南部最大の都市・高雄。経済都市としての発展ぶりの一方、古き良き台湾の雰囲気も漂う親しみやすい街です。ここ高雄は、旧日本軍が各所に要塞(高雄要塞)を作ったことでも知られていますが、今日もその遺構が遺り続けることは、多くの日本人は知らないと思います。
ムフフ♪「ラブラブトンネル」実は旧日本軍の“要塞” いろいろ…の画像はこちら >>台湾・高雄の市内の小高い山・寿山(柴山とも)に遺る旧日本軍の要塞跡(2023年、松田義人撮影)。
特に高雄要塞の中心であった高雄市内の寿山(柴山とも)の各所には、手付かずのままの要塞跡が遺されており、地元っ子たちにとっては、別の意味での名所にもなっています。
高雄の寿山は標高365mの海岸に面した小高い山で、高雄の中心部を守るようにそびえ立っています。「自然の障壁」と言われることもあり、この地の利を活かし旧日本軍が寿山の各所に高雄要塞の中心を作りました。
寿山は一般的には公園、動物園、寺などが見どころですが、地元・高雄人たちはこの山の中に旧日本軍の要塞跡が遺ることを知っています。ただし、要塞跡は山中の各所にあり、旅行者が自力で見つけるのは困難。入ることを禁じられているところもあります。
どうしてもこの遺構を見たい筆者はチケッティングサイト「KKday」を介し、地元の「寿山(柴山)の旧日本軍要塞見学ツアー」に参加することにしました。
現地で待ってくれていたガイドチーム「打狗冒険王」は、完全な営利団体ではなく本来は地元の小学生の社会科見学などを実施する団体なのだと言います。
そしてこのツアーのアテンドをしてくれた孟憲徳さんは、本職は学校の先生で、依頼が入ったときにのみ仕事を調整して案内するのだとも。日本語が堪能な孟さんの指示に従い、さっそく寿山の中に入ることにしました。
寿山は舗装された散歩道や階段などもありますが、要塞跡があるエリアを目指すには、ところどころ道なき道をかき分けて行く必要があり、結構な体力を使います。
野生の猿が真横を走り抜ける中で、まず訪れたのが旧日本軍のトーチカ跡。険しい山間部に突然姿を見せたコンクリートの遺構が生々しく、当時の旧日本軍の知恵を強く感じました。
また、各所に掘られた穴の奥には、旧日本軍の防空壕や武器の格納庫とおぼしき倉庫などが手付かずのままあり、これらもまた戦時中の様子をそのまま感じることができました。
少し離れた場所には、旧日本軍の司令室があったという小さなトンネルがありました。
このトンネルもまた山間部に突如姿を見せ、孟さんは内部へどんどん進んでいきます。正直怖く感じもありましたが、筆者もその後ろに着いていくことに。
トンネルの内部は各所に道がありました。司令室はこの一角に設置されていたようですが、なにしろ暗く、そして半円形の天井には複数のコウモリがいます。孟さんは「コウモリ、かわいいですね」と笑っていましたが、筆者には全くそうは思えません。
トンネル内をしばし進むと途中で直角に曲がる角があり、さらにその先を進むと、トンネルの別の出口に出られました。そこには「情人洞」と誰かが書いた文字があります。
直訳すると、「恋人の洞窟」。孟さんに尋ねると、「ラブラブトンネルという意味です」と言います。
なんでも地元っ子カップルの間では度胸試しや、わざと怖い場所で愛を深めるためにこのトンネルに訪れるケースが多くあり、思わぬラブラブスポットにもなっているのだそうです。
旧日本軍がこの寿山に高雄要塞を最初に設置したのは1937(昭和12)年。当初は三級要塞だったところ、太平洋戦争勃発後には、ここ高雄が環太平洋の戦略的な重要拠点になり一級要塞に昇格したと言われています。
山中の各所には立派なかまどの跡などもあり、旧日本軍が相当な力を込めて高雄要塞を作ったことも伝わってきました。
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寿山の山中の道なき道をかき分けて進んでいく(2023年、松田義人撮影)。
ただし当時は、一般に発表されることがなく地図などにももちろん載っていませんでした。このような情報制限があったことも多くの日本人に知られておらず、結果的に今もひっそりと寿山の山中に手付かずに遺り続ける理由の一つかもしれません。
高雄各所にはこの他にも旧日本軍の遺構が遺り続けています。状況はさまざまですが、当時の様子を実際に目にすると深く感じ入るものがあります。機会があれば各所の遺構にぜひ訪れてみてください。