1966年6月、静岡県で起きた一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審(裁判のやり直し)で、静岡地裁は9月26日に「無罪」判決を言い渡した。日本には4件の死刑再審無罪事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)があり、袴田事件は5件目となる。
捜査機関への信頼が揺らぐ中、今年2月時点で再審請求が和歌山地裁により受理された「和歌山毒物カレー事件」への関心も高まっている。
そこで、今年8月から全国順次公開中のドキュメンタリー映画『マミー』が話題を呼び、その主要な登場人物でSNSやメディアで積極的に発信を続ける、林真須美死刑囚の長男にインタビューを敢行。
しばしば「和歌山毒物カレー事件」も冤罪疑惑は指摘されてきたが、同氏は「袴田事件」の顛末をどう受け止めたのだろうか?
(後編はこちら)
姉の袴田ひで子さんらをはじめとした弁護団たちの再審請求の末、58年越しに無罪判決が下り、10月10日に控訴(再審理の申立て)期日を迎えた「袴田事件」。
その再審判決の報道を見て林真須美死刑囚の長男は「袴田巌さんの事件では、裁判所が『捜査機関の証拠捏造』について言及されましたが、証拠まで捏造してしまう現実が率直に驚きで、怖さも感じました」と語った。
1998年7月に起きた「和歌山毒物カレー事件」は67名が急性ヒ素中毒となり、4名が死亡した毒物混入・無差別殺傷事件。同事件の被告人として起訴された林真須美は、10年に及ぶ裁判の末、1000点を超える“状況証拠”が審理されたのち、2009年5月に最高裁判所で死刑が確定した。
しかし、犯行を直接裏付ける物的証拠がなく、状況証拠を積み重ねて有罪が認定されたこと、動機が解明されていないことなどから、しばしば冤罪疑惑が指摘されており、林真須美死刑囚本人は今も無罪を主張している。
「袴田さんの再審無罪が認めたことで多くの国民に冤罪の実態について、広く関心を持ってもらえたと感じています。僕や父(建治氏)は、ある種の諦めのような気持ちもずっと感じてきました。そういった意味で、今回の袴田さんの無罪判決は僕らの光になりました。それと同時に自分たちの現状と、袴田さんたちが戦い続けた58年という歳月を想像すると、動悸を覚えるほどの怖さも感じましたね」
79歳の父に代わり、メディアの取材対応のほか、同事件の再審に向けた情報発信などをSNSで行っている林真須美死刑囚の長男。“死刑囚の息子”という立場上、批判などが寄せられることも少なくないという。
「母の冤罪をどこまで確信しているかと訊かれると、『わからない』というのが正直なところです。ただ、仮に母が犯人だとしても死刑判決を下すだけの根拠を示すことが検察はできておらず、裁判の内容は崩壊していることは訴えていきたいと思っています」
カレー毒物混入事件のほかに、検察側は林真須美死刑囚を保険金詐欺事件4件、ヒ素を使用した保険金殺人未遂事件4件の合計8件で起訴。ヒ素使用事件7件、睡眠薬使用事件12件の合計19件について「類似事実」として立証を行った。
裁判所は詐欺事件4件、殺人未遂事件3件について有罪とした上で、類似事実としてヒ素使用事件1件、睡眠薬使用事件2件について林真須美死刑囚の犯行を認定している。
「カレー毒物混入事件について、冤罪の可能性を感じたのは17年前。僕が20歳の頃に母に言い渡された判決文を読んでからです。実際に僕が見ていた事件当日の母の様子とはまったく違う姿が判決文では描かれており、『なんとしても林真須美を死刑にしたい』という検察の意地が透けて見えるような判決文でした」
事件当時10歳だった林真須美死刑囚の長男は、実際にそれまで抱いていた母親像と大きな乖離を感じたという。
「判決文の中で母は卑劣で残忍な無差別殺人を行うサイコパスな女性、死刑に相応しい絶対的な殺意を持って犯行に及んだ“毒婦”として描かれています。僕たち家族の証言は身内を擁護する証言としてまったく考慮されず、目撃証言や状況証拠などを一方的に積み重ねることで勝手なストーリーをつくり上げられている。そして、その恣意的なストーリーに基づいて世間にも報道されてきました」
「袴田事件」も含めて過去の死刑再審無罪事件は、いずれも圧力をかけられたうえでの「虚偽自白」があったが、一審段階で林真須美被告(当時)の自白調書はなく、黙秘権を行使した。黙秘は正当な権利だが、世間や裁判官へ与える心象が悪くなる現実もある。
「軽口で雑談に応じてしまったり、あやふやな情報を話したりしてしまうことで、検察に勝手なストーリーをつくられてしまう。そこで、弁護士の過去の死刑再審無罪事件も踏まえた指示に従って、黙秘を選択したと母は話しています」
林真須美被告(当時)は自白の誘導や強要ともいえる取り調べの実態を公判で主張したが、事実無根として退けられたという。
「裏の取りようがない部分ですが、母によれば当時、『黙秘を続けるなら次女【編注:同氏からすると姉】を逮捕してやる』と脅迫されたそうです。保険金詐欺事件3件の共犯として、逮捕・詐欺罪で起訴された父も『真須美は口を割っている』や『お前を死刑囚にすることもできる』といったやり取りが取り調べの中であったと述べています」
物証もなく、動機もわからないまま、状況証拠という間接的な証拠だけで死刑が確定したまれな事件といえる「和歌山毒物カレー事件」。その捜査に関しては近年、状況証拠の中でも有罪の決め手とされた「ヒ素の鑑定」についても不備があったとの指摘もある。
2013年には同事件の捜査にも関わった科学捜査研究所の元主任研究員・能阿弥昌昭が、25年以上に及ぶ長期間の勤務歴の中で証拠品の鑑定結果の書類の捏造を認めた事件もあった。「和歌山毒物カレー事件」での不正は行われていないとされるが、科学捜査への信頼が大きく損なわれた。
「判決文の中では蓋然性や、推察、推認といった言葉が多用されており、『合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されていると認められる』と結論付けられている。90人近い捜査員が1軒の民家の家宅捜索に入って、4日目にやっとキッチンのシンク下からヒ素の入ったタッパーを見つけたり、現場検証後に目撃証言が変遷していたり……。不自然な部分も多々あります」
再審請求の中で重要な争点となるヒ素の鑑定や目撃証言の正確性などについては、映画『マミー』の中で詳らかに紹介されている。しかし、地上波をはじめマスコミ報道でこうした問題を扱ってもらえたことは、ほとんどないという。
「袴田さんは前科もなく清廉潔白な方ですが、母の場合は保険金詐欺の前科もあります。証拠の捏造の確かな根拠として言えるようなものもなく、今の段階では詐欺師の息子の陰謀論じみた話として取り合ってもらえません。世間の共感や理解も得られにくいという難しさは常に感じています」
後半へ続く