千葉市議会の議会運営委員会は9月13日、会派「日本維新の会・無所属の会」に所属していた2人の市議が、請願者本人の意思を確認しないまま請願書を自ら作成・署名して提出したことを明らかにした。市議らは会派を離脱し、市議会は市議らに対し「辞職勧告決議」を行った。
本件については、千葉市議会の内外を問わず「請願制度、民主主義に対する冒とく」などの批判が行われた。しかし、メディアでの取り上げ方は決して大きくなく、請願制度との関係で何が「問題」なのかは、十分に認識されていない状況にある。
そもそも一般市民による「請願」の制度は民主主義にとってどのような意義があるのか。また、本件は憲法・地方自治法に照らしどのような重大な問題を抱えているのか。東京都国分寺市議会議員を3期10年務めた経歴があり、議員・首長に関する法務にも通じた三葛敦志(みかつら あつし)弁護士に聞いた。
「請願の捏造」が行われたことの問題点千葉市議会の議会運営委員会で『自作自演』が認定されたのは、「市議会議員への討論原稿案の提供問題に関する請願」である(2024年度「請願第5号」)。
請願の内容は、千葉市が市議会に提出した議案に関する議員側の「賛成討論」の原稿案を、市側が作成して2会派(「自民党」と「立憲民主党・無所属」)に渡していたとして、これを取りやめるよう求めるというもの。ごく大雑把にいえば、行政と議会との「癒着」があることを指摘し、それをやめさせようという内容といえる。
市議らは、請願の「名義人」本人の了解を得ずに書面を作り、自筆で名義人の署名をして議会に提出していた。名義人となっている市民グループの代表者から「事実ではない」との指摘があり、発覚した。
「維新の会」千葉市議2人が“市民の請願”を「捏造」…“元市議…の画像はこちら >>
千葉市議会が入っている庁舎(bluet/PIXTA)
三葛弁護士は、本件の行為は「議員に認められている権限・役割を逸脱しており、絶対にやってはならないことだった」と指摘する。
三葛弁護士:「議員の役割は、住民の声を行政に届け、住民の利益にとって好ましい方向で行政が運営されるようにすることです。
だからこそ、議員にしかできない方法が認められています。
まず、最も基本的な方法は、議会での議論を通じて行政に『モノ申す』ことです。
これに加えて、議会の外では、担当部署の部課長等とコミュニケーションをとり、住民の思いを伝える方法があります。また、住民が行政の担当者と直接コミュニケーションをとる場を設ける場合もあります。
千葉市議会で2名の市議が行った『請願の捏造』は、これらのルートのいずれにも当てはまりません。
もしも、一定の合理性があると感じたならば、『請願の捏造』ではなく、議員自身が議会の場で発言し、行政や他の議員に働きかけて賛同を得ようとすべきでした。また、それは可能だったはずです。
正規のルートを用いず、有権者の声を捏造して行政に届けるという手段によって、議員の役割をゆがめてしまったことは明らかです」
一般市民の「請願権」が憲法に定められた意義では、請願は本来どのように行われるべきものか。請願については憲法16条、地方自治法124条以下に規定がおかれている。
まず、憲法16条は以下の通り規定している。
「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」
憲法が明記している「人権」の種類は必ずしも多くはない。そんななか、請願権がわざわざ「人権」として定めているのはなぜだろうか。
三葛弁護士:「中世以前、一般人が行政に対して請願を行うのは命がけでした。請願はその性質上、政策への批判が避けられないからです。
だからこそ憲法は、『平穏に請願する権利』をわざわざ規定して、請願をしても身の安全が守られ、差別的扱いもされないことを保障したのです。
地方自治法は請願の方法について定めており、議員の紹介により請願書を提出することになっています(地方自治法124条)。また、請願には法的拘束力はありませんが、地方議会は請願をきちんと受け止めて誠実に処理しなければならないことになっています(同125条参照)」
千葉市議会での請願の取り扱いルール(千葉市議会HPより)
議会・議員が「取り上げにくいこと」「取り上げたがらないこと」を議論の場に持ち込む機能議会制民主主義が確立し、表現の自由が保障されている現在、請願権の独自の存在意義はどこにあるのか。
三葛弁護士は、請願権は今日、特に地方自治において、参政権を補完するうえで重要な役割を果たすと指摘する。
三葛弁護士:「地方自治の場面では、一般市民にとっての請願の意義は、議会・議員が性質上取り上げにくい問題、見落としがちな問題、自浄作用がはたらきにくい問題などについて、各議員がどう考えているかを賛否という形で明らかにできることにあります。
たとえば、『議会改革』のように、大枠は賛成でも議論の分かれているテーマについて、『このような内容のルールを設けてほしい』などの請願を行えば、それが採択されるか否か、あるいは各議員が賛否どちらの立場をとるのかを明らかにすることになり、方向性が定めやすくなることもあります。
また、見過ごされがちな、いわゆるマイノリティの声を議会の場に持ち込む機能もあります」
つまり、議会ないしは議員が取り上げにくい課題、取り上げたがらない課題などを、議会制民主主義の場に持ち込む機能が重要だという。
では、本件の「請願」はどうだったのか。三葛弁護士は、市議らが議員に認められている前述の「正規の方法」を用いなかった理由について、以下のように推測する。
三葛弁護士:「本件で問題となった請願は、市側が議会に提出する議案について、議員が行う『賛成討論の原稿』を議会の第一会派と第二会派に渡していたことを指摘し、それをやめるべきという内容のものでした。
そのような事実の真偽はさておき、行政と議会の多数会派との『癒着』を批判する内容のものでした。
2名の市議は、『少数会派の議員の立場で議会での議題にしようとしても、相手にしてもらえないだろう』、『市民からの請願ならば、市議会は対応せざるを得ないだろう』と考えたのかもしれません」
では、市議らはどうすべきだったのか。
三葛弁護士:「支援者である市民に働きかけて理解を得たうえで、請願を出してもらう方法もあったはずです。団体を組織してその団体の代表名義で請願を出してもらう方法もあります。
これらの方法は、議員から市民に働きかけるという点で、ルールを逸脱していると感じられるかもしれません。しかし、現行法上、あくまでも、市民が真摯な意思をもって、正規の手続きを経て提出する以上は適法であり、問題はありません。
ところが、本件では、文面の作成も、請願書への署名も『自作自演』で行われています。
その結果、本来であれば、議会の場で取り上げられ議論される内容ではないものが、取り上げられてしまったことになります。
議会の場で議論すべき内容やルールを踏みにじり、民主主義の過程がゆがめられたといわざるを得ません」
一般市民の請願をする権利が憲法で「人権」として規定されている意味、および、請願が今日、議会制民主主義では議論の土台に上がりにくい問題について取り上げられるきっかけを与えるという重要な役割を果たすことについて、私たちは今回の件をきっかけとして考えてみる必要があるだろう。