「愛護」だけでは限界がある…“動物虐待”防止のため「日本の法律」に必要な視点

9月20日(金)から26日(木)までは「動物愛護週間」。そして、23日は「動物虐待防止の日」だ。
動物虐待防止の日は、「人と動物の優しい共生社会を築き、命の慈しみを大切に育む日」として2016年に非営利一般社団法人日本動物虐待防止協会により制定された。
法律は動物を「モノ」扱いしていると言われる。動物虐待を少しでも減らすためには、法律が変わる必要もあるのだろうか。
民法・刑法は動物を「財産」と扱う日本には「動物の愛護及び管理に関する法律」、通称「動物愛護法」が存在する。
動物愛護法の基本原則(第2条)では「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」と定められている。
一方で、わたしたちの生活に大きく関わる民法や刑法では、原則的に、動物は人の所有する「財産」や「モノ」として扱われている。
動物法に詳しい法学者の牧野高志教授(平成国際大学)は、日本の一般的な法律には「人間か、モノか」という二分法が存在すると語る。
「ただし、『法人』のように人間ともモノともいえない第3のカテゴリも、法律には含まれています。『動物』についても、法人と同じように、二分法に含まれないカテゴリを設けるべきだとする議論も出ています。
また、動物を財産と見なす場合にも、『愛着財』などの表現によって通常の財産と区別すべきだという議論もあります。
上記の議論は、既存の法律の解釈に基づいたものであり、必ずしも突飛な主張ではありません。とはいえ、このような解釈には批判もあります」(牧野教授)
また、ドイツやオーストリア、スイスなどの民法では「動物はモノではない」と規定されている。日本でも同様の規定を設けるべきだとの声はあるが、実現する見通しはなかなか立たない状況だという。
日本でも、ペットを「子ども」のように認識したり、「動物は家族だ」と表現する人は多くいる。「動物を『モノ』扱いする現状の法律はこれら多数の国民の声を反映するものになっていません」と、牧野教授は指摘する。
「野良猫」か「ノネコ」か人間の都合で扱いが変わる動物を「命あるもの」と規定する動物愛護法も、そもそもは、動物を傷つけたり虐待する行為は「社会の風紀」を乱す、という問題意識から制定されたものだ。つまり、あくまで人間のための法律という側面がある。
一方で、動物愛護法の目的には「人と動物の共生する社会の実現を図ること」も含まれている(第1条)。
牧野教授は「人と動物が共生する社会を実現するためには、多くの矛盾を乗りこえなければなりません」と語る。
現行の法律の「矛盾」の一例が、「野良猫」と「ノネコ」の扱いの違いだ。
野良猫は動物愛護法によって「愛護動物」とされており、みだりに殺したり傷つけたりした人間には、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金が科される。やむを得ず殺処分しなければならない場合にも、できる限り苦痛を与えない方法で行う必要があるとされている。
一方で、「ノネコ」は鳥獣保護管理法により狩猟鳥獣とされ、捕獲や殺傷することが認められている。また、殺傷方法については明記されておらず、虐待や虐殺することも違法ではない。
猫は鳥類や小動物を捕まえて殺傷してしまうため、環境省は、希少な生物種を守るためにノネコの捕獲を全国で行っている。また、2023年には、山中で刃物などを使って猫を殺した広島の大学院生が、法廷で「愛護動物ではないノネコだと思った」と主張して容疑を一部否認した事例などもある。
環境省はパブリックコメントへの回答で、「野生」を「当該個体が元々飼育下にあったかどうかを問わず、飼主の管理を離れ、常時山野等にいて、専ら野生生物を捕食し生息している状態」と定義している。一方で、市街地または村落を徘徊している猫や犬は「野生」ではなく、鳥獣保護法による管理の対象にならないという。
だが、市街地や村落に住んでいる人間が、飼っていたペットを山や森に捨てる事例は多い。つまり、もともとは人間に飼われていた猫であっても、町中ではなく山に捨てられた途端に「ノネコ」となり、「愛護動物」から「狩猟鳥獣」に変わって捕獲・駆除の対象になる。
「『野良猫』も『ノネコ』も、生物学的・生態的にはまったく同じ存在です。人間の都合によって法律上の扱いがここまで変わってしまうのは、奇妙で、理不尽だと思います。
私は、鳥獣保護管理法の『狩猟鳥獣』からは猫や犬を削除し、山中を含めて野生化した猫や犬は動物愛護法によって管理すべきだと考えます。
そもそも、動物愛護法の正式名称には『管理』という単語も含まれています。仮に犬や猫が人間に危害を及ぼす場合には、動物愛護法によっても捕獲は可能です。
鳥獣保護法は生物多様性の確保や保護や、生態系の保護も目的にしており、猫などの保護との間にジレンマがあることは確かです。それでも、現状の『野良猫』と『ノネコ』の区別には人間の身勝手さを感じてしまいます」(牧野教授)

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「ノネコ」が保護・譲渡されて「飼い猫」になることも多い(弁護士JP編集部)

動物の「福祉」や「尊厳」を守るヨーロッパの法律イギリスの「動物福祉法」やドイツやスイスの「動物保護法」には「動物福祉(アニマル・ウェルフェア)」について記載されている。
動物福祉とは、動物にとって肉体的・心理的な苦痛やストレスが少なく、快適で自由な状態や環境が望ましい、という考え方。
「動物愛護」の場合、動物を「愛護する」人間や社会の価値観や利益が考慮の対象に含まれる。対して、「動物福祉」はあくまで 動物たち自身にとっての苦痛の少なさや幸福の多さに配慮する考え方であることが、大きな違いだ。
この違いを表しているのが、ペットを虐待した飼い主の処遇。日本の場合、動物愛護法違反を問う裁判の過程で一時的にペットを「押収」することはあるが、飼主に所有権が残される以上、執行猶予となった場合等には、飼主に返還される。
一方で、ドイツやスイスなどでは虐待した飼い主からペットが「没収」される。イギリスの場合には「ペットを飼育する権利」そのものがはく奪されることもあるという。
「動物虐待は繰り返される場合が多いため、日本でもペットの『没収』が可能になるよう法改正をすべきと考えます。そのためには憲法の壁を乗りこえる必要がありますが」(牧野教授)
また、動物愛護の考え方では人間の主観が考慮されるため、動物がいくら苦痛を感じていても、飼い主が「これは虐待ではなく必要な躾(しつけ)だ」と主張することが通じてしまう。しかし、動物福祉の考え方であれば、飼い主の主観に関係なく「動物が苦しんでいるか否か」という客観的な基準に基づいた対応が可能になる。
「ただし、動物愛護は駄目な考え方だと主張したいわけではありません。愛護と福祉、両方を合わせた考え方が必要です」(牧野教授)
なお、スイスでは「動物の尊厳」も重視されている。尊厳とは、当人の主観に関わらず、他者が侵してはならない価値のことを指す。
「たとえば、犬の顔に落書きすることは、その犬自身が不快に感じなければ『動物の福祉』からは許容されます。しかし、『動物の尊厳』の観点からは認められない行為です」(牧野教授)
「適格動物愛護団体」の制度が必要消費者契約法は「適格消費者団体」、消費者裁判特例法は「特定適格消費者団体」をそれぞれ定めている。
内閣府から(特定)適格消費者団体の認定を受けた非営利活動法人(NPO)は、事業者による「不当な勧誘」や「不当な表示」などを止めるように求める差し止め請求や、多数の消費者に共通して生じた財産的被害について被害回復裁判手続を行う適格性を有する。つまり、不利益を及ぼす企業に対して、消費者に代わって訴訟を提起する権利を持つということだ。
牧野教授は、日本社会で動物保護を実現するためには、適格消費者団体に類する「適格動物保護団体」の制度が必要だと語る。
「現状、日本の動物愛護団体は、動物のために訴訟を起こすことはできません。一方で、私人訴追が認めれているイギリスでは、RSPCA(英国王立動物虐待防止協会)が提訴し、多くの勝訴を得ています。
虐待などの被害を受けている動物を守るためには、刑事訴追を主とする法律的な対応が必要になってきます。そのための資格を認定する『適格動物保護団体』の制度を日本で実現すべきだと考えます。
適格消費者団体の制度は、消費者トラブルに対応すべき国や自治体の人員不足を補うべく、民間の団体に差止請求権等の強い権限を与えたものです。同様に、社会で起こっている動物虐待の問題に対応するために、NPOをはじめとする民間の力を有効活用することも、検討する必要があるのではないでしょうか」(牧野教授)

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