親が子供のために手作りした物には、たっぷりの愛情が詰まっています。
趣味や特技を生かし、プレゼントした物の数々は、子供にとって一生の思い出となるでしょう。
1級和裁技能士で、和裁講師の宮西ちはる(@KimonoNuibito)さんは、子供の頃から母親に服を作ってもらっていたといいます。
2024年9月10日には、次のコメントとともに、思い出の品々をXに投稿しました。
来年80歳を迎える母が、私に作ってくれた服を数えたら、何枚になるんだろう…。
私は51歳を迎え、そろそろ、さよならをしようと思って写真を撮ったので、見てほしい!
宮西さんによると、和裁学校に通っていた時代に着ていた服とのこと。
親子二代で裁縫の道に進むのも自然と思われる、母親の才能をご覧ください!
背中で紐を縛るスタイルで、シルエットが美しい1着ですね。
ほかにも、チャイナドレス風の服や、入学式で着用した上下セットの服、学校の卒業後も気に入って来ていた服などがあるといいます。
多様なデザインに挑戦して、物にしていることが伝わって来る仕上がり。
宮西さんによると「さよならをする時には、記念写真を撮ればいいかな~」と思うものの、撮ったら惜しくなって、そのまま洋服ダンスへ仕舞ってしまうことも、少なくないそうです。
好きだった服が、なかなか捨てられない心情は多くの人が共感するところでしょう。まして、自分のために作られた服であれば、愛着はひとしおです。
子供時代から、母親の手作りの服に包まれて育った宮西さんは、少なからず裁縫について影響を受けたことでしょう。
子供服を見ても、選んだ布からデザインまで、洗練されていますね。
「気に入った服を自分で作れる」という強みは、親子の人生を明るく照らしています。
母親の『裁縫人生』の始まりは?
母親は13歳で父親を亡くし、貧しい生活を送っていたそうです。
洋服が好きで「買えないなら自分で作ろう」と、地方にある洋裁教室に通ったことをきっかけに、裁縫の道に進みました。
その後、娘である宮西さんが誕生しましたが、夫と離婚し、女手一つで育て上げあげたのでした。
裁縫の参考に使っていたのは、『レディブティック』などのソーイング誌。
宮西さんは、物心がついた時から、好きな生地を買って、雑誌などを見て母親に作ってほしい服を選んでいました。
「今思えば、すごくぜいたくだった」と振り返り、令和まで自分の服や、娘の服を楽しそうに作り続けている母親に向けて「100歳まで作り続けてほしい!」とコメントをしています。
編み物にも挑戦し、個展が開けそうなほどの枚数を編んだ母親。
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「そんな大層なもんじゃない」と謙遜しつつ、最近では、猫に邪魔されながらも服やセーターのほか、鞄なども作っているそうです。
2024年9月現在のブームは、リュック作り。
「売ればいいのに~。売ってあげようか?」と宮西さんが聞くと、やはり「売れるほどのものは作れていないし、プロの人の迷惑になるから売らない」と断るとか。
趣味として、思うように作れる環境がベストなのかもしれません。
西宮さんの母親についての投稿に、心を揺さぶられる人が続出。
親子のストーリーや、作品のクオリティなどに、このような声が上がりました。
・どうしよう…レベルが高すぎる。
・お母様のお仕立て、柄合わせもシルエットもきれい!すばらしい手仕事で感動しました。
・懐かしい。この年代の方は、子供に服を作ることがよくありましたよね。
・自分の子供時代を思い出して、涙が込み上げました。親が作ってくれた服は、温かな思い出です。
母親の作品は、今後も増え続けるでしょう。
どれもかけがえのない1点もの。これからも楽しみながら、思うままの制作を続けてほしいですね。
[文・構成/grape編集部]