「戦争を知らないまま通して…」2500人以上が犠牲に 豊川海軍工廠への空襲から79年 愛知

豊川海軍工廠への空襲から7日で79年。平和の大切さを誓う1日となりました。
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「東洋一の兵器工場」と言われた豊川海軍工廠が、アメリカ軍の空襲を受けたのは、1945年8月7日。学徒動員の学生を含む、2500人以上が命を落としました。

その悲劇から、きょうで79年。豊川市内で開かれた式典には、遺族や市民ら約550人が出席しました。(豊川市 竹本幸夫市長)「平和であることの大切さを語り継ぎ、平和を守り続けていかなければならない」

高齢化が進む中で、語り継ぐべき平和の大切さ。97歳の元豊川市長は…。(元豊川市長 田中泰雄さん)「(軍国教育で)洗脳されているから、戦争に行くのは当たり前。戦死するのは国のため。生きて帰ってきてしまって、恥ずかしいような思いだった」
CBC
(記者)「戦争を知らない世代に伝えたいことは?」(元豊川市長 田中泰雄さん)「(この先も)戦争なんか知らないまま通してほしい」

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