卒業から月日が経つと、母校の校歌や校訓などの思い出は徐々に薄れていくもの。中には「在学中も校訓を知らなかった」という人物もいるのでは。
なお以前X上では、とある大学の入り口に掲出された4文字の校訓に「素晴らしい」と称賛の声が相次いでいたのをご存知だろうか。
画像をもっと見る
事の発端はフードライター、コラムニストの白央篤司さんが投稿した1件のポスト。「大妻女子大学、校訓がいいんだ」と綴られた投稿には、「恥を知れ」と大きく書かれた書の写真が添えられている。
都内大学に100年前のパワーワード出現、通行人はギョッとする…の画像はこちら >>
紙には他の文言は一切表記されておらず、「恥を知れ」という言葉の重みが、ズシリと伝わってくる思いだ…。
関連記事:鈴木亮平、20歳代で“失敗から得た教訓”を語る 「前のめりに倒れたい」
こちらの光景は見た者に多大なる衝撃を与え、件のポストは投稿からわずか数日で5,000件以上ものリポストを記録するほど。
他のXユーザーや「自分も見かけた」という人々からは驚きの声が相次いだが、それ以上に「たったの4文字ですが、どこの会社の教訓や、スローガンより、深くて重いです」「現代に必要な教訓だと思いました」「背筋が伸びる言葉です」「ぜひ、国会議事堂にも張り出してほしい」など、多数の称賛の声が寄せられていたのだ。
そこで今回は、こちらの校訓「恥を知れ」の詳細を探るべく、「大妻女子大学」に取材を打診することに。
しかし、前出のポストが投稿された2日後時点では件の校訓が撤去されており、こちらの関係もあってか、同学は取材を辞退。確認したところ、話題の書は同学のサークル・書道部が卒業式の展示作品として制作したもののようだ。
そこで今回は、大妻女子大学の卒業生らに、インパクト満点な校訓「恥を知れ」について話を聞いてみることに…。
関連記事:鈴木亮平、20歳代で“失敗から得た教訓”を語る 「前のめりに倒れたい」
大妻女子大学、校訓がいいんだ。 pic.twitter.com/5ZvUXqgp78
白央篤司(はくおうあつし) (@hakuo416) April 17, 2024
「大妻中学高等学校」公式サイトでは「創立以来100年の歴史を持つ大妻中学高等学校では、校訓『恥を知れ』を人間教育の根幹とし、一貫して『時代の要請に応える教育』を実践しています」と説明している。
「大妻学院」の創立者・大妻コタカは、校訓「恥を知れ」について「これは決して他人に言うことではなく、あくまでも自分に対して言うことです。人に見られたり、聞かれたりしたときに恥ずかしいようなことをしてはいないかと、自分を戒めることなのです」と語り、自分を律する心の大切さを常々説いていたという。
もとは大妻家の家訓であった「恥を知れ」が校訓となったのは、1917年(大正6年)のこと。しかしその言葉の重みは100年経ってなお、いや現代に生きる我々だからこそ、痛切に感じられるのかもしれない。
大妻女子高校、大学の卒業生であるAさんは、同校訓について「高校受験前の学校説明パンプレットで初めて知りました。高校に合格したら、どんなお作法教育があるのか楽しみだったのを記憶しています」と振り返る。
同校訓は大学よりも高校、高校よりも中学で特に使用・掲出されていたようで、Aさんは「クラスの大半が大妻中学から進学してきた生徒だったため、高校入学時には『恥を知れ』について、特に指導はなかったと記憶しています。しかし既にクラス中に『恥を知れ』が浸透していました」とも補足している。
そして何より驚きなのが、校内に設置された「恥を知れ」の数。
Aさんは「教室の黒板の上や校章の裏、文化祭や修学旅行のしおりなど、あらゆるところに『恥を知れが』ありました。自習時間に騒ぐなど、お行儀が悪いときは先生から『恥を知れ』と叱られたりしていました」と、目を細めつつ語ってくれたのだ。
そうしたエピソードに加え、やましい気持ちがなくとも、ついギクリとしてしまうフレーズだが、学生からはポジティブに受け止められていた模様。
Aさんは「自発性を重んじる校風でしたので『恥を知れ』を威圧的に感じたことはなく、むしろ生徒たちは自分たちの合い言葉のように、喜んで使っていました」と、笑顔で振り返っていたのだ。
なお、大学入学後は「恥を知れ」を目にする機会はグッと減るようで、Aさんは「校訓の大切さを、特に改めて実感した経験はありませんが、ひょっとしたら心の深層部分にしっかり刻まれているのかもしれません」とも語っている。
そして「卒業後に大妻生と昔話をするときなどは、校訓が話題にあがるケースが多いです」「在学中も卒業中も、愛着をもった大切な教訓です」と、大妻卒業生としての矜持を感じさせる温かいコメントを寄せてくれたのだ。
関連記事:鈴木亮平、20歳代で“失敗から得た教訓”を語る 「前のめりに倒れたい」
「恥を知れ」という言葉は、つい人に向かって使いたくなるが、その本質は前出の通り、自分自身への「戒め」なのだ。
同学の卒業生であるBさんは、「中学1年生のころは『恥を知れ、恥を』というイメージで、他人に向かって言いやすいことから、校訓をふざけて口にしていました」「恥をかくことが校訓だと、若気の至りでわざと勘違いをしたふりをし、一般的に恥ずかしいことをそっとやってみたりなどしても『恥を知れ』と友人らと言い合い、笑っていたことも多々あります」と、中学時代を振り返る。
校訓の本来の意味について、コタカの肉声による校内放送も流れていたそうだが、Bさんは「中学時代の自分には、響いておりませんでした」と苦笑い。しかし、この校訓に長年親しんできたことはBさんにとって大きな財産となったようだ。
Bさんは、「自分の中の恥を知れ、未熟さを知れ、という言葉に中学から触れていたことは、今の自分にとってとても大きな意味があります」「多様化と言われる現在においては、そもそも恥ずべきことの捉え方が多岐に渡っていますが、私の中には『恥を知れ』が浸透していますので、『これまで何を恥と考えて生きてきたか』という点を、明確に振り返れます」と語る。
大勢の人にとって共通の「恥」と認識される事象は少なくないが、自身が恥と認識する一方で、それを恥と認識しない人が存在する事柄も、当然存在する。
Bさんはそうしたケースを例に挙げつつ、「自分自身の信念のように、恥ずべきことが明確になりました。良い校訓だと思います」と、笑顔で頷いていたのだ。
さらに、Bさんは「文化祭の時にはお揃いのウインドブレーカーを作るのが流行っており、背中に『shame on you』(恥を知れ)と入れているグループが沢山いました。懐かしいです」と、目を細めつつ振り返っている。「恥を知れ」という言葉は、格言としても青春の思い出としても、多くの大妻生の胸に刻まれているのだ。
SNS等の影響もあり、軽率な発言や行いが炎上しやすくなった現代。慎みを持った行動ができるよう、自分自身に「恥を知れ」と問い続けるスタンスが何よりも重要な時代と言えるだろう。
関連記事:カズレーザーが「子供に1番言うべきじゃない」と思う話題は… 「恥ですよ」
秋山はじめ:1989年生まれ。『Sirabee』編集部取材担当サブデスク。
新卒入社した三菱電機グループのIT企業で営業職を経験の後、ブラックすぎる編集プロダクションに入社。生と死の狭間で唯一無二のライティングスキルを会得し、退職後は未払い残業代に利息を乗せて回収に成功。以降はSirabee編集部にて、その企画力と機動力を活かして邁進中。
X(旧・ツイッター)を中心にSNSでバズった投稿に関する深掘り取材記事を、年間400件以上担当。ドン・キホーテ、ハードオフに対する造詣が深く、地元・埼玉(浦和)や、蒲田などのローカルネタにも精通。