「戦車」じゃなくて「特車」です 自衛隊内の独特な呼称 今はそう呼ばない理由とは?

陸上部隊の花形ともいえる戦車。大きな砲と砲塔を持ち、装甲で覆われて、履帯で悪路を走ることもできるこの大型の火器として知られていますが、日本の自衛隊は一時期この車両を「特車」と呼んでいました。
陸上部隊の花形ともいえば、戦車です。もちろん日本の陸上自衛隊も戦車を装備していますが、実は発足からしばらくの間は、「特車」の名称で呼んでいました。その理由は、自衛隊が発足したときの事情が大きく関わっていました。
「戦車」じゃなくて「特車」です 自衛隊内の独特な呼称 今はそ…の画像はこちら >> M24チャーフィー軽戦車(画像:パブリックドメイン)。
自衛隊が発足したのは1954年のことです。前身組織である警察予備隊、そして保安隊を経ての発足でした。
敗戦により日本国憲法第9条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、つまり軍隊は持たないという文言を明記した日本でしたが、すぐ隣国で朝鮮戦争が勃発し、駐留していたアメリカ軍が朝鮮半島に向かったため、当時日本を占領していたGHQ(連合国軍総司令部)が不足した人員を補うべく、急遽、日本は自身で身を守るように指令を出した結果でした。
「軍隊を持たない」と宣言した直後に、軍隊に相当する自国を守る組織を作る必要がでてきたわけですが、普通に再軍備すれば、「また戦争をするつもりか」と国民から猛反対を受けることも考えられます。このため、明らかに国防軍を意識した組織でありながら、警察の補助という名目で「警察予備隊」という名で人員を募集し、戦争をする組織ではないことを強調したのです。
しかし、建前上はそうでも、国防にあたるからには、他国の軍隊と渡り合える実力、つまり軍事力が必要です。そのため、警察予備隊はアメリカ軍士官を教官に、アメリカ軍から装備品の援助を受けることになります。
ここでまた問題が発生します。アメリカ軍から迫撃砲や戦車の供給を受けて発足した警察予備隊は、軍隊にしか見えなくなってしまったのです。この問題に政府は、名前を変更して、イメージ戦略を重視する形で対応します。
「兵隊、兵士」は戦争で戦うことをイメージするので「普通科」に。「砲兵・法兵科」や「戦車」も戦争のイメージが強いので、「特科」「特車」と名前を変更してしまったのです。
この徹底した“言い換え”によるイメージ戦略は、自衛隊の発足後、陸上自衛隊だけでなく海上自衛隊、航空自衛隊でも行われました。海上自衛隊の艦艇は「軍艦」ではなく「自衛艦」。敵と戦うための艦艇は「戦艦」や「巡洋艦」といった種別に分けず、すべて「護衛艦」としており、2024年現在も続いています。
航空自衛隊に関しても相手を攻撃するという言葉はどうしてもイメージが悪いので、敵の地上目標などを攻撃する機体に関して「攻撃機」という名称は使用せず。自国の部隊を支援する戦闘機「支援戦闘機」という名称で攻撃機を導入しています。
しかし「特車」の名称は1962年に廃止され、見た目通り「戦車」に改められます。それは、警察組織でも「特車」が導入されたため、「混同を避ける」という目的がありました。
実は警察でも、現在の機動隊の前身である警視庁予備隊では、アメリカ軍の払い下げ車両のほか、戦中に使われた九五式軽戦車や九七式中戦車のシャーシなどを活用した、放水車や装甲車を使用していました。1960年代以降、これら車両は正式名称を特型警備車といい、略して「特車」と呼ぶこともあったのです。 ただ、「特車」の名称を用いていたのは、もともと自衛隊の内部だけで、一般の人は戦車と呼んでいたため、名称の変更に大きな混乱は見られなかったといいます。
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日本の自衛隊が運用していたアメリカ製のM4A3E8「シャーマン」戦車(画像:防衛省)。
以後、「特車」は「戦車」として現在まで運用が続けられています。また、航空自衛隊の「支援戦闘機」という名称も2005年に廃止となり、すべて「戦闘機」の名称で統一されることになりました。しかしそのほかの「護衛艦」や「普通科」といった名称は、自衛隊用語として現在でもそのまま使用されています。

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