アルツハイマー病の予防医学 白澤卓二先生が提案する新しいアプローチとは

今回のゲストは、国際予防医学協会理事長、医療法人社団健長会お茶の水健康長寿クリニック院長の白澤卓二氏。白澤氏は、認知症・アルツハイマー病・脳神経障害などの治療を専門に行うとともに2018年には、有料老人ホームResidence of Hope館林を設立。22年間で350冊以上の書籍を出版し、テレビ・新聞・雑誌などのメディアでも数多く発信している。素晴らしい実績の持ち主であるが、過去から現在に至るまで保守派との闘いの連続であったという。今回の取材では、アルツハイマー病が治ることを証明した「サイトカインによる神経再生治療」や、白澤氏が開発した、MRI画像をもとに脳を内視鏡で診る技術についても語っていただいた。世界最先端とも言える研究結果と治療技術を誇るアルツハイマー病治療の“いま”、必見です!
―― まずは、先生が、アンチエイジングや認知症予防を専門にされた経緯からお聞きできますか?
白澤 私は東京都老人総合研究所に勤務していた1990年からアルツハイマー病の研究を始めました。東京都老人総合研究所は、1975年に当時の知事がつくった施設で、高齢者問題を解決する政策を作っていました。
私が研究を始めた1990年は、医師でさえアルツハイマー病について知っている人はいないような時代。それよりずっと前から、やがて来る超高齢社会を予想して東京都老人総合研究所がつくられていたことは、今考えてもすごいことですが……。
―― 2025年問題が近付いたことで超高齢化社会を意識する人が増えたと思います。そこで、先生はどのような仕事を担当されていたのですか?
白澤 私は、東京都老人総合研究所で「痴呆制圧10ヵ年プロジェクト」というものを担当していました。人口動態から見て、各都道府県にどのようなシステムで介護保険を導入すべきかを、検討していたのです。意義がある仕事でしたが、「社会医学ではなく医学からアルツハイマー病の問題を解決したい」という思いが高まっていきました。
―― アンチエイジングの研究には、なぜ関わるようになったのですか?
白澤 アルツハイマー病の最大の要因は細胞の老化です。その確信は、30年以上研究を重ねた今も変わりません。ですので、必然的に、アンチエイジングの研究にも力を入れるようになりました。
―― アルツハイマー病とは切っても切れない関係というわけですね。
白澤 ええ。それに、アンチエイジングが実現すると細胞が元気になります。それは、そのまま健康長寿につながります。しかし、1997年に「健康長寿を科学する」というテーマの研究を進めたいと伝えたとき、文部科学省や厚生労働省には向き合ってもらえませんでした。
「医学部では病気の研究しかしないのに、健康についての研究に予算はつけられないよ」って……。
そこで、「論より証拠」だと思い、アルツハイマー病になるネズミ二匹を比較する実験を考えたのです。
一方のネズミには寿命が伸びる遺伝子を導入しました。もう一方のネズミには何もしません。前者のネズミがアルツハイマー病を発症しなければ、アンチエイジングによって、アルツハイマー病の発症を遅らせることを実証できると思ったのです。そのような研究計画を書いて文部科学省に出しました。
すると「それはマッドサイエンティストが考えることだ」って、また頭の固い先生に叱られたのです。それでも、研究を続けました。
―― 理解されるまでの苦労があったのですね。
白澤 その後、2005年ぐらいから周囲の反応がガラッと変わりました。 クルクミンやエピガロカテキンなどの物質を与えたマウスはアルツハイマー病を発症しないという結果が出たのです。すると、みんなコロッと態度が変わって「これは重要な研究結果だ」と言い始めました。
―― アルツハイマー病とアンチエイジングの関係について、世間一般に関心が広がったのはいつ頃からですか?
白澤 私は、2000年には、アンチエイジングはアルツハイマー病を解決するために重要だということを日本で伝えていました。最初は抗老化や抗加齢という言葉を考えたんだけど、どうもなじまなかった。
そこで2003年頃に「アンチエイジング」とカタカナにして雑誌に載せたら、その言葉が一人歩きを始めたんです。
―― 先生が、日本で初めてアンチエイジングという言葉を使った方なのですか?
白澤 そうです。アンチエイジングという言葉にしたことで、人々の関心は高まりました。
もともと、アンチエイジングは、アルツハイマー病の発症予防という大きな社会問題を解決するために必要な概念として考えた言葉です。しかし、そのような真面目なことを言っても、なかなか世の中がついてきてくれない。「90歳になってもお肌が若々しい女性がいるよ……」の表現の方が、一般の方々は注目するわけですよ。
―― たしかに。“抗老化”のままだったら、これだけのスピードで、細胞の若返りに関心を持つ人は、増えていなかったかもしれませんね。
白澤 ですので「細胞が若いからお肌がツルツル」というアングルから研究を展開しました。そして、細胞が若かったら脳の中もアンチエイジングできて、アルツハイマー病も予防できるんだと。
このような方向からアンチエイジングを知っていただくことで、だんだんアルツハイマー病の予防としても関心を持ってもらえるようになりました。
―― アンチエイジングの方法としては、食事や運動などになるのですか?
白澤 食事や運動は大切です。しかし、私は、もう少し医学的な方法でアルツハイマー病の症状をリバース(元に戻すこと)できると考えています。具体的には、サイトカイン(免疫細胞から分泌される低分子のタンパク質で、細胞同士の情報伝達を行う)による神経再生治療によって、若い人の内分泌環境を高齢者の体の中につくるのです。
牛から取ってきた若返りホルモンのようなものをメインに使った治療です。サイトカインは、若い人には多く分泌されているホルモンです。この治療は、究極のアンチエイジングを誘導しているということですね。
―― サイトカインが効果を発揮する仕組みについて、もう少し教えていただけますか?
白澤 若い人の身体には若いホルモンがあるわけですよね。
そのホルモンはだんだん減ってくるのですが、サイトカインを使った神経再生治療を行うことで補ってくれます。でも、全部を補っているのではなくて、脳の老化をリバースさせるために最適化された組み合わせで老化を補っているところがポイントです。
―― 論文には、どのような方の治療の結果が書かれているのでしょうか。
白澤 APOEが4.4型という100%アルツハイマー病になる患者さんで、なおかつ記憶を司る海馬も削れてしまっている人の症例などが載っています。サイトカインの神経再生治療を行うことによって認知機能や言語記憶力がほとんど元に戻っています。
治療の結果から、論文のタイトルには「Can Reverse」という言葉を使いました。
昨年、この治療についての論文を8本ほど書きました。関係者を説得するのに十分な本数です。厚生労働省などが、大々的にこの治療法に力を入れていけば、今後は、アルツハイマー病で苦しまなくてもよくなる人が増えるでしょう。
アルツハイマー病だけでなく、その他の認知症や脳神経障害などの治療も可能です。
―― これまでの考え方では、アルツハイマー病は治るものというイメージがありません。例えば、今、話題になっているレカネマブは、アルツハイマー病の原因になるアミロイドβというタンパク質を取り除くことが目的ですよね。
白澤 レカネマブにしてもアリセプトにしても、今出ている薬は、アルツハイマー病が進行するんです。だから、患者さんに「この薬を飲んでも、病気の進行は止まらないんですね」と言われてしまう。
厚労省に「認知症は進行が止まらない病気」と定義をしてもらわないと、製薬会社にとっては不都合になる。だから厚労省のホームページにある『あたまとからだを元気にするMCIハンドブック』には、「現在、アルツハイマー型認知症などの中枢神経変性疾患の進行を完全に止める方法や、根本的な治療方法はありません」と書いてあります。
でもアルツハイマー病は治る病気です。このような記載があることは、治るチャンスを捨てさせることになると思うのです。
―― アルツハイマー病が治るというのは、ものすごい希望ですね……。ちなみに、サイトカインの治療は、いつから始められたのですか?
白澤 2018年から4・5年続けて行った治療の結果を論文に書きました。サイトカインの神経再生治療は、すでに300人ほどに行っています。
そのうえで、治療前後の違いが分かりやすい症例だけを選んで論文に書きました。サイトカインの神経再生治療を行ったことで、アルツハイマー病の進行が止まり、良くなっているのです。これで、私は世の中を変えられるのではないかと思っています。
―― 先生の意気込みが伝わってきます。もっと多くの人が、サイトカインの神経再生治療を受けられるようになってほしいです。
―― 論文に取り上げた症例では、どのような変化があったのか、詳しくお聞きできますか。
白澤 例えば、海馬が全部削れていたけど元に戻ってきている方がいます。穴が少しペコンと開いているけども、もう少ししたら完全に元に戻ります。これは、MRIのなかに内視鏡を入れたように脳の中が見える技術を開発して、見ています。
―― 内視鏡を入れるというと、胃カメラなんかで苦痛を我慢しながら入れていくイメージです。
白澤 この方法は、コンピューターのなかで内視鏡を入れるので、痛みはありません。
―― たいへん画期的な診断技術ですね。
白澤 生きた脳は解剖できません。しかし、MRI画像で撮った画像は、カメラとレンズを入れて光を入れると、なかが見えるんです。コンピューターのなかでカメラ撮影ができます。
通常は多分、白黒の二次元の画像を果てしなく見ていくしかないんですね。 でも脳の萎縮においては、一枚一枚のスライスしたものをいくら見ていてもつながりません。
認知症って大脳皮質の病気だから、大脳皮質を立体化してあげないと絶対に脳の中は見えないんです。
―― 先生と同じ方法で診断をしている人って、ほかにいるのですか?
白澤 いません。だって私が開発したから……。教えてあげても作れない。解剖医の先生より細かく分かります。ここのクリニックは、診断率世界一です。MRIで撮った画像で断面図が見えるんだから、立体として見えないわけがないと思って開発しました。
―― 2Dよりも異常を見つけやすいのでしょうか。
白澤 2Dによる診断で見つけられない異常も見つけることができます。
―― この内視鏡の技術はどんな方の診断に使えますか?
白澤 脳のすべてですね。脳委縮・脳の外傷・脳梗塞・脳出血・脳腫瘍などです。国立大学医学部でも、正確に診断できないケースも少なくありません。
通常の2D画像での診断は、誤診につながることもありますが、見えないから仕方ないんだよね。 診断技術がなかったら、いくら優秀な教授でも診断できないんです。
―― 脳以外の映像も見られたら、いろいろな病気の早期発見にもつながるのではないでしょうか。
白澤 そうですね。これ脳だけではなく体全体に入るんですよ。全部見えますので、他では診断できない病気も発見することができます。
―― この技術が全国で使われるようになったら、救われる人も増えるのではないでしょうか。
白澤 いろいろな国のトップレベルの医療関係者が、この技術を欲しいと言います。 私ね、システム作るのが得意だから、電子カルテも全部作ったの。
私が作った電子カルテは、時系列に患者さんの持病の情報が見られるようになっているんです。電子カルテの中に文献が出てくるっていうのもすごいでしょ。
―― 実用的であることはもちろん、未来の電子カルテですね。
―― 先生は、生まれ故郷の群馬県館林にある有料老人ホーム「Residence of Hope館林」を運営されていますよね。ご自分の介護施設で実践されている考え方や取り組みについてもお聞きできますか?
白澤 ほかの介護施設と決定的に違うのは、グルテンフリーにしていることです。6年間施設を運営していて、一度もグルテン入りのパンやうどんを出したことがありません。
館林は、うどんの街としても知られています。幼い頃からグルテンをとりすぎて、グルテン中毒になっている人もいます。その館林市でグルテンフリーを実践しているというのは、ある意味象徴的な取り組みです。
―― 「うどんの街」でうどんを出さないというのは、意思のあるチャレンジのように思います。
白澤 OPENから二年ぐらいしたとき、入居者が署名活動をしたことがありました。「パンを出して欲しい」ってね。そこで、私はグルテンフリーのパンを作って出したんです。
そしたら、筆頭になって署名を集めていた人が「これはパンじゃない。私の一番好きなカレーパンを出して」って言うの。
私は玄米粉のパンに、スパイスから作ったカレーをつけてあげたんです。そしたらまた怒っちゃって「これはカレーパンじゃない」って……。
うちはグルテンフリーでパンを出しているので、パンの定義が違うと……。結局、その人は施設を出ていってしまいました。
―― 先生の施設での確固たる運営方針があってのことですね。
白澤 研究を実証するための施設だと思ってやっていますからね。
それから、施設では、ずっと玄米を出しているんです。基本的に白米は出していません。玄米は、噛めなかったら飲み込めないんだよね。1時間ぐらい、ひたすら噛むんです。これが運動になります。
―― 食べられない人は、いないのですか?
白澤 運営を開始してから6年ほど経ちますが、チューブを入れている人はいないですよ。私は、絶対チューブは入れません。口から食べられなくなったら人間性が失われるという考え方です。
日本では、高齢者が食べられなかったら介助をしますよね。本当に食べたいんだったら介助する意味はあると思うけど、食べたいのかどうかも分からない人に無理矢理栄養を与えようとするイメージがどうしてもありまして。
ドイツの介護施設に行くとね、まず本人の意思を重視しています。 食べたくない人には、食事を与えない。だからドイツに行くと寝たきりの人がいません。 日本のように、なんでもかんでもアシストするシステムは、寝たきりの状態を作っている側面もあると思っています。
―― ドイツでは本人の意思は確認したうえで、食べないことも選んでいるのですか?
白澤 目の前に食事を出して食べなかったら、もう食べる気がないということですよね。 日本では無理にでも食事をさせたり、胃ろうのチューブのなかに入れたりすることもあるでしょ。本人の意思に反しているのであれば、疑問を抱かざるを得ません。
チューブを入れるから寝たきりでも生活ができてしまうのです。チューブを入れなかったら、多くの方はピンピンコロリで良い終わり方をします。
―― ほかにも食事の工夫をされていることがあれば、お聞きしたいです。
白澤 化学物質を使わないケミカルフリーにしています。 お味噌やお醤油を手作りするとともに、お塩には岩塩や海塩を使っています。
―― 先生の施設で取り組んでいることは、ほかの施設であっても実践できますか?
白澤 システムが整った環境で取り組まないと無理だと思いますね。 日本に有料老人ホームはたくさんあると思いますが、グルテンフリーを実践できている施設はうちだけだと思います。有機農家を指導しており、玄米も野菜もケミカルフリーで作ってもらっています。そこまでできる施設は、ないかもしれないですね。
―― 運動についての取り組みも教えてください。
白澤 ジャイロキネシス・集団体操・健口体操(合唱を含む)などの運動レクや、脳トレを加味した手指運動を行っております。廊下にある絵を鑑賞しながら、25Mある直線の廊下を、何往復もしている方もいらっしゃいます。しかし、その前に、食事を変えてあげれば、口を動かすことになるから大丈夫だと思っています。
―― やはり、食から始まるのですね。
白澤 だいたいね、みんな飲んでるんだよね。 うどん・カレーライス・オムライスなんか、噛んでなくて飲んでいます。 「のど越しがいい」とかなんとか言って(笑)
―― しっかりと噛むメニューにすれば、自然と口を動かすことにもつながりますね。 先生は、週に1回施設まで行って、入居者さんの診察をされていると伺いました。
白澤 ええ。現地に行けないときも、「眠りSCAN」などの見守りツールを使い、24時間オンラインで入居者さんのデータをみています。そのようにして、病院のICU以上の管理をしつつ、監視カメラも見ています。
―― 徹底したサポート体制ですね。
白澤 研究のための取り組みなので、すべて管理されているんです。家族に納得してもらうというレベルの話ではありません。
最近、長年介護業界で働いてきた方が施設長として入ったのですが、未来型の施設だと驚いていました。厚労省が「こういうことも取り組んでいきましょう」と言っていることは、ほとんどありますからね。“これだ”と思うものを全部取り入れて6年前に創った施設です。
―― 先生は脳トレの本なども出版されていますが、脳の活性化させるポイントを教えてください。
白澤 アルツハイマー病に最も影響を与えるのは脳の頭頂葉の部分です。 頭頂葉は、スマホを使うことで刺激されます。ですので「スマホの訓練を一生懸命やりなさい」と伝えています。
―― 今はスマホを持っているご高齢者の方も少なくありませんよね。
白澤 そうですよね。計算機やカレンダーを使うことは頭頂葉の刺激にもなるし、迷子になってもGPS機能で居場所だって分かりますからね。積極的に活用してもらいたいです。
―― 先ほど、先生のデスクを拝見しましたが、PCのモニターがかなりの数ありました。
白澤 私は今、Macを含めモニターを13台並べています。それぞれの機能に違いがあります。 Mac を1個しか持ってない人って、同じ画面でExcel・Word・カレンダーなんかを切り替えながら使っているでしょ。私は、よく使うツールをひとつずつ、モニター画面に表示しています。
原子や分子の動きをシミュレーションするモレキュラーダイナミックスに特化したPCもあります。そのようにして、24時間パラレル処理をしているのです。
演算処理にも時間がかかるので、いちいち閉じたりしません。 24時間365日コンピューターを動かしてないと、多くの論文を出せないからです。
―― それが同時進行で多くの仕事をこなしつつ、画期的な臨床結果を生み出すことにつながっているのですね。
白澤 かなり特殊なことをしています。
書籍の話をすると、私は今まで350冊以上の本を出しているのですが、大体3時間くらいで作ります。 それぞれの本の文字数は、5万~6万文字ほどです。
1枚に400文字ぐらいの文章を書いたパワーポイントを3000枚~4000枚ほど持っているのです。1枚のパワーポイントにつきワンエビデンスです。
例えば「アルツハイマー病」や「認知症」などのキーワードを入れると、本のテーマに関連したスライドがバーッと出てくる。それをプリントアウトして並べ替えます。そして、出版社とライターを呼んで3時間ぐらいストーリーを語っていたら、あとは作ってくれます。これで本は出来上がり。毎日新聞木曜夕刊での8年の連載も、毎週この作業で行っていました。
今でも忙しくしているけれども、年間10冊は本を出します。 そのペースで本を出版しながら、論文も発表し、患者さんも診ているんだよね。講演も行っています。
―― 限られた時間を最大限有効に活用していらっしゃいますね。
白澤 先ほど見ていただいた、脳のMRIを立体構築化して内視鏡を入れるシステムには、パソコンを二台使っています。しかし、教科書はありません。全部、私が生み出したシステムですから。
患者さんのご家族にSEの方がいると「どんなチームがいるんですか?」と聞かれます(笑)。「全部、自分で調べてやっている」と言うと驚かれますほどですよ。
―― ピアノは40代から、フルートは50代から始められたとインタビュー記事で拝見しました。
白澤 順天堂大学にいた頃、フルートを持って当直病院に通っていたんです。そこの病院はターミナルだったので、何人も患者さんが亡くなります。患者さんの最期のときには、病棟に行って、その方を送るための曲を吹いていました。
―― 医師業の傍ら、患者さんのために楽器を習い始める先生というのは、聞いたことがありません。
白澤 終末期に提供できるものって、そこの病院は胃ろうや点滴だけだったんです。しかし、声をかけてもほとんど反応がない人に、そんなのやっても仕方ない。だから、婦長さんに「音楽を聴かせてあげるとかの方が良いんじゃないの?」って言ったんです。亡くなったあとじゃなく、亡くなる前から何が好きか聞いておいてね。
音楽を奏でることには、ご本人の最期を安らかに見送りたいという思いがあります。 それは、ご家族の思いに応えることでもあります。
―― ご家族は、良いお見送りがしたいと思っていますよね。
白澤 やっぱりそういうことも医療現場にとって大事だと思うのです。でも、アメリカと違って、日本の病院のフロアは厚生労働省の管轄なので、音楽家や神父さんなんかも、ずけずけ入って来られないんです。
もちろん、亡くなってからは入ってくるんだけど、心臓が動いているうちには変な人が入ってこられない仕組みになっています。だけど、このシステムはちょっとおかしいのではと思っています。
―― 日本では当たり前になっていることも、海外との比較のなかで見えてくることがあるのですね。
白澤 私は、プロの音楽家の友達がたくさんいます。
そのような人たちはサントリーホールなどで演奏するじゃないですか。でもね、そんなところに聴きに来られる聴衆は日本の人口の0.01%くらいですよ。プロの音楽家の人たちも、音楽で人を励ましたいという思いは持っているんです。 私が順天堂大学でやっていたようなことができるようになったら……と思います。
―― 病院に芸術が届けられるようになったら、癒しが生まれて、生きる意欲にも変わりそうです。
白澤 コンクールで優勝することだけを目標にして自分のスキルを磨いても、本当に人の心を打つ音楽にはならない。それよりも、自分はこの世の中で何ができるんだと考えて行動を重ねたときに、コンクールで優勝できる腕になっているのではないでしょうか。
……そのように話をすると、多くの芸術家が共感していました。至高の芸術を求めることも大事だけど、医療現場に心の安らぎを持っていくことは、芸術家の仕事として一つの出口にすべきだと思っています。
―― 先生の専門のアンチエイジングに関する質問なのですが、年を取ることで肌が老化したり、体形が変わったりすることに落ち込む声もあると思います。
白澤 人生って、だんだん結晶化してくるんだよね。
外側の問題もあるけども、内側の問題として、生き方はだんだん熟してきます。そこをもっと大事にしてあげた方がいいんじゃないかと、私は思っているんです。若く見せることにこだわって、内側と外側が分離してきても違和感があると思うんです。そもそも、必ずしも若い人の方がモテるということでもありません。
―― まずは自分の生き方を確立することが大切ですね。
白澤 貝原益軒という江戸時代の作家がいます。65~85歳まで250冊の本を書き続けてきた作家です。そこまで続けられたのは、やる気と能力と使命感があったからだと思うんだけどね。
いろいろな学問が脳の中に入っていて、どんなコンピューターよりもすごいウォーキングディクショナリーだったと私は思っているんです。人間には本来、それだけの力があるんですよ。
ゲーテも85歳まで本を書き続けているんだけど、今のようにパソコンがないなか、膨大な本を執筆しているわけ。ゲーテは、山に行って、ピッケルで石を採取してきて解析する地学の研究を生業としていました。80歳を過ぎてから、ワイマール共和国の副首相との政治的なディシジョンも行いましたね。
ヴィクトル・ユーゴーも83歳まで創作活動を続けました。身近なところでは、産婦人科医だった私の父も85歳まで絵を描き続けていました。創作能力は、病気にならなければ85~90歳ぐらいまでは、あるでしょう。
三浦雄一郎さんという登山家は、80歳でエベレスト山に登った人として最高齢記録を残しました。しかし「山に登りたい」という思いはその後も続き、2023年に90歳で富士山に登っています。自分を突き動かす情熱や使命感があれば、90歳になっても、人間は、活動を続けられることを証明しています。
―― そのためにも、自分が情熱をかけられることを早めに見つけておきたいですね。
白澤 本当に命を輝かせて生きるためには、折に触れて「何のためにこの世に生まれてきたのか」を自分に問う。50代・60代でそのことで気が付いたら、あと20年間、そのことを磨いたらどうでしょうか。
―― 人生の充実度が変わりそうです。
白澤 人はさまざまなのに、「要介護2」だとか「要介護3」だとかで分類していること自体、私は間違っていると思っているんです。もっと、カスタマイズされなくてはいけない。
そもそも、医療現場では“人生”という言葉を使わないんだよね。 ADLで考えたり排泄や認知機能がどうかで人間をみたりする。
―― 医療や介護の現場では「その人自身をみる」ことができていないために、つらい思いをしたという声が多く聞かれます。
白澤 本当は人生の質を担保して、さらに磨くことが大事です。だけど医学は、高齢期の人生の価値を高める教育を医者にしていません。そのことの重要性を故・日野原重明先生も語っていましたが、未だに教科書に載っていない。
たしかに、具体的な方法論として落とし込むことにはハードルがあるかもしれません。 しかし、介護を提供する側一人ひとりがそのような気持ちを持っていたら、自然と患者さんも変わってくるはずだと思っています。
人と向き合うとき「この人はどんな経験をして、どんな道を歩んできたか」、考えるわけです。でも、それを考えることをしないから、チューブだ、胃ろうだと、方法論でのケアになってしまうわけです。
―― 先生は「食事・運動・生きがい」とおっしゃっています。“生きがい”を三本柱のひとつに挙げている医師はめずらしいと思います。
白澤 本当は、食事や運動と同じぐらい生きがいも重視されるべきなんです。 しかし、まだまだ理解されていない面があります。
―― いくら良いものであったとしても、新しいことや個性的な取り組みをすると、どうしても反対する人は出てくるものですね……
白澤 保守的な人との闘いです。私は、闘い続けている人生です。しかし、その結果、新しい治療技術を生み出してくることができたと思っています。
―― 反対派との闘いはあっても、先生の研究や治療は、患者さんにとっての希望だと思います。これからさらに先生の治療技術が広がっていくことを願っています。
取材/文:谷口友妃 撮影:熊坂勉

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