【南城】南城市玉城百名の座波喜美子さん(90)は「それでね、その人とお友達になったわけよ」が口癖だ。10年前、地元の公民館に学校便りを届けてくれた百名小学校の校長とも友達になった。学校にぞうきんをプレゼントすると喜ばれ、その後も100枚縫うごとに届けた。ことし3月に達成した1800枚目の束は「気の合った近所のお巡りさん」が運んでくれたという。
(南部報道部・平島夏実)
2014年当時の百名小学校の校長、棚原久さんとは今も電話でやりとりする。公民館で出会ったのをきっかけに運動会や学芸会に呼んでもらい、お返しにヒラヤーチーやアガラサーの料理教室をしたこともあったと懐かしむ。
学校を出入りするうち、教室のボロボロのぞうきんが目に付いた。「こんなのでも使っているのかねぇって、かわいそうで。『作ってあげんといかん』とパッと思った」
若い頃から「思い立ったが吉日」のタイプ。玉城村(現南城市)の体育指導員を引き受けたのは、自宅にこもりがちな人をレクや体操に誘う仕事は大切だと納得したからだ。50代の頃は、夫に先立たれた仲間たちがさみしそうなのを見て「若菊会」を立ち上げた。メンバーが高齢化すると、それまでのグラウンドゴルフ活動を「ゆんたく会」に一新した。
自身も歩くのがきつくなってきたという。友人からもらった工業用ミシンを自宅の6畳間に置き、無心でペダルを踏む。
終戦後に玉城村富里(当時)の洋裁所で学び、米兵の制服をほどいて子ども服にした。今は、周囲から着物のリメークを頼まれる。襟ぐりのカーブには裏地を張り、時には裾にフレアを。端切れはバッグやお手玉に。ゆがんだりつれたりしないよう布目にも気を使う。真っすぐ縫って一瞬で仕上がるぞうきんは、息抜きのようなものだ。
「自分でも変な生まれだねーと思うけどね。ぞうきんだったら、いつまででも縫っていられる」
座波さんは、2千枚までは頑張ろうと決めている。