2012年に超弩級のノンフィクションの大著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)で大宅賞と新潮ドキュメント賞をW受賞した小説家の増田俊也さんが、翌2013年に出した自伝的青春小説『七帝柔道記』(KADOKAWA)は、北海道大学柔道部の過酷な練習シーンが衝撃的で6万部を売り伸ばしてベストセラーとなり、山田風太郎賞の最終候補にもなった。その続編『七帝柔道記2 立てる我が部ぞ力あり』(KADOKAWA)が実に11年ぶりに出版され即重版、またも大きな話題になっている。今回の続編の内容と、モチーフとなっている七帝柔道という特殊な柔道について著者の増田俊也さんに聞いた。
―人気作品の続編ということですが、やはり反響があるようですね。
「前作は主人公が北海道大学2年生の夏で終わっていたので『続編は出ないのか』『北大柔道部のその後が知りたい』という声がたくさんありました。その声に11年ぶりにこたえたのが今回の作品です。今回は主人公たちが上級生になり、チームを率いて七帝戦の連続最下位からの脱出を目指します。前作を読まなくてもこの作品として物語が完結しているので、この作品から読んでもらっても充分に楽しめる内容になっています」
―前作に続き、延々と続く過酷な練習が描写されていますが、試合中に何人もが関節技で骨折し、次々と救急搬送される場面にも衝撃を受けました。『参った(タップ)』しないんですね。
「私たちがやっている七帝柔道というのは、いわゆる旧帝大(北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学)だけの特殊なルールで、戦前戦われていたいわゆる“高専柔道”という寝技中心の柔道のルールをそのまま受け継いでいます。練習も試合もほとんど寝技ばかりでブラジリアン柔術に似た技術体系です。違うのは15人対15人という大人数の団体戦で、抜き勝負、場外なし、一本勝ちのみというところ。チームのために頑張る精神性が凄まじく、絞技でも関節技でも『参った』はしません。だから絞めに入られたら落ちる(失神)まで頑張るし、関節技を極められたら折れても『参った』はしません。15人対15人ですから試合を終えるのに2時間、長いときは3時間くらいかかります。果たし合いのような試合になります。
―そういった壮絶な試合を普通の国立大学生がやっていることが驚きです。
「柔道のルールは1964年の五輪種目にスポーツとして採用されたことによって変容してきましたが、七帝柔道だけは戦前のそのままのかたちで残っている柔道です。『日本の文化遺産だ』と言う人もいます」
―主人公の「増田青年」も関節技が得意で、練習中に出稽古に来た強豪選手の腕を脇固めで折ったりします。
「僕は脇固めと腕挫ぎ十字固めが得意でした。両膝の怪我を繰り返していたので三角絞めは捨てて関節技中心の技術体系をつくっていました」
―それにしても「参った」なしというのが驚きです。MMA(総合格闘技)のプロの世界でも皆、技が完全に決まればタップしますからね。UFCのオクタゴンでもRIZINのマットでも絞め落とされたり腕が折れたりというのは、アクシデントでもなければ普通はありえません。それがこの本のなかでは初っぱなの試合で増田選手が脇固めを極めたところで北大陣営から「そのまま折れ!」「躊躇するな!」という声が飛びます。
「七帝柔道では『参ったする時間があったら逃げることができるかもしれないではないか』という考えです。それに『参ったが禁止』というわけではないんです。選手が自分の意志で『参ったしない』んです。自分が負ければチームに迷惑がかかるという思いの一心です。そういう意味でフォアザチームの究極のスポーツともいえます。15人戦という大人数の団体戦が育んだ精神性といえるかもしれません。15人という大人数を考えてもラグビーに近い感覚ですね。とにかくフォアザチームです」
―引退試合となる最後の七帝戦の試合が圧巻でした。1回戦で当たった東北大学と3時間に及ぶ真夏の死闘を延々と続けます。
「この大会の2年前に札幌での定期戦(七帝戦の前哨戦ともいえる3年生以下の新人戦)に来た東北大学の上級生が『俺たちは今回は札幌観光に来ただけだ。おまえらだけで片付けろ』と下級生たちに言っているという話が北大陣営にまで伝わってきて、屈辱でしたから。そして実際にその言葉どおり大敗しました。当時、東北大学は七帝戦本番で2連覇、一方の北大は七帝戦で連続最下位を続ける弱小チームでしたから」
―どうしても最後の七帝戦で雪辱したいという思いが強かったわけですね。
「それはもう命を捨ててでも勝ちたいという気持ちが北大チームには漲っていました。でももちろん東北大学チームも同じで、七帝戦本番というのはどのチームも全てをかけて臨んできます。だから大変な試合になった。屈辱を晴らしたい北大チームと、それはさせないぞという東北大チームの意地が激突するわけです。どちらのチームも1年間の地獄のような厳しい練習を乗り越えてきたわけですから」
―「泣ける青春小説」というのが今作のキャッチコピーですが。
「実際に読者からは『泣きました』という声がたくさん届いています。僕自身が泣きながら書いたので泣けるのは当然かもしれませんが」
―若くして亡くなった後輩たちへの鎮魂歌だと聞いています。
「はい。そうです。夭折した彼らに捧げたいと思って書いた作品です」
―今回の作品で主人公たちが4年生になったとき入部してくる1年生に中井祐樹さんがいます。後に1995年のバーリトゥードジャパンオープンでジェラルド・ゴルドーの反則で右眼を失明しながら勝ち上がり、決勝でヒクソン・グレイシーと戦った伝説の総合格闘家です。青木真也や北岡悟の師匠でもあり、現在は日本ブラジリアン柔術連盟の会長でもあります。
「この作品はかつて“総合格闘家”だった中井祐樹に捧げる作品でもあります。彼は北海道大学4年時の七帝戦で北大チームを優勝に導いたあと、すぐに大学を中退して上京し、佐山聡さんが興していたプロシューティング(現在のプロ修斗)に参戦します」
―ところがあの右眼失明で……。
「はい。MMAのプロライセンスを剥奪され(片眼が見えないと遠近感が無くなるため打撃技のあるMMAのライセンスが無効になる)、プロシューティングを引退せざるを得なくなった。それでも不屈の精神力で立ち上がり、日本にブラジリアン柔術を普及させた。今回の作品はその中井祐樹に捧げる作品でもあります」
―そもそもがグレイシー柔術(ブラジリアン柔術)の源流に七帝柔道があるんですよね。
「はい。戦前、ブラジルに渡った講道館柔道の技術がブラジリアン柔術となったんですが、少し遅れてブラジルに入った高専柔道(七帝柔道)の技術もハイブリッドとしてブラジリアン柔術の基礎となっています。その寝技技術が巡り巡って日本に戻ってきた。それを七帝柔道出身の中井祐樹が広めている。そう考えると因縁のようなものを感じますし、ある意味で奇跡ですよね。そういうことも考えながらこの作品を読んでいただくと、また違う発見があるかもしれません」
―では最後に、今後の作品の構想をお聞かせください。
「このあと『七帝柔道記3』の雑誌連載がすぐ始まり、来年には単行本になります。そのあとすぐに『4』を始めます。『3』では後輩たちが成長していく様を見守る新聞記者としての“増田青年”がいます。僕たちの代が引退して3年後、中井祐樹が副主将となった年に北大は遂に七帝戦で優勝します。『4』ではそのあと中井祐樹が大学を中退してプロシューティングへ行き、バーリトゥードジャパンオープン1995で戦う姿を描きます。僕はあの日、日本武道館の2階で竜澤宏昌君や松井隆君と一緒に試合を観ていましたから」
―七帝柔道記シリーズ以外の作品はいかがでしょうか。
「講談社から僕としては初の警察小説を出します。僕は父親が警察官だったので、子供のころから『警察官になれ』と言われて厳しく躾けられてきました。その反動でマスコミの世界に入ってしまいましたが、いま思うと警察官になればよかったという気持ちがすごくあります。人生は1度しかありません。自分には警察官の仕事のほうが合っていたと思います。老父への感謝もこめた警察小説をいま推敲しています。秋か冬には単行本が出て、これもシリーズ化されますので、警察小説ファンやミステリーファンの方には、ぜひ読んでほしいです。これからも頑張って書いていきますので、よろしくお願いします。今日はありがとうございました」
◆増田 俊也(ますだ・としなり)1965年生まれ。小説家。北海道大学中退後、新聞記者になり、第5回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して2007年「シャトゥーン ヒグマの森」(宝島社)でデビュー。2012年、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)で「第43回 大宅壮一ノンフィクション賞」と「第11回新潮ドキュメント賞」をダブル受賞。他の著書に『七帝柔道記』(KADOKAWA)、『木村政彦 外伝』(イースト・プレス)、『北海タイムス物語』(新潮社)、『猿と人間』(宝島社)など。現在、名古屋芸術大学芸術学部客員教授。