「障がい者はお礼を言わなくていい」に反論 車いすアイドルの意見に反響

私たちの社会は基本的に、マジョリティ(多数派)に合わせた構造をしています。
いくらバリアフリー化が促進され、時代とともに少しずつ環境が変化しても、障がい者も快適に暮らせる『優しい社会』への課題は山積みといえるでしょう。
そのため、たびたびネットでは障がいを持つ人からの問題提起が話題になり、さまざまな視点から意見が飛び交います。
2024年3月17日、アイドルグループ『仮面女子』の猪狩ともかさんが、X(Twitter)を更新。
猪狩さんは2018年4月、強風で倒れた看板の下敷きとなり、脊髄を損傷。両足が動かなくなり、車いすでの生活を余儀なくされてしまいました。
一時は自分の足で踊れなくなることに強いショックを受けるも、再び前を向き、『車いすアイドル』として新たな道を歩み始めた経緯があります。
突如、車いすでの生活を送ることになった、猪狩さん。
1人の中途障がい者として、時々耳にするこんな意見に、疑問を抱くことがあるといいます。
健常者にとって普通の体験をしているだけなのに、なぜ障がい者は感謝をしなくてはならないのか?
例えば車いすユーザーの場合、電車に乗降するといった、健常者にとって『当たり前のこと』1つでも、他者の協力を必要とします。
そういった、『健常者では当たり前のようにできること』にお礼をすることについて、「障がい者に対する感謝の強要ではないか」という意見も上がっているのです。
猪狩さんは、1人の車いすユーザーとして、持論をこのように展開しました。
車椅子ユーザーとして手助けをしてもらったら感謝の気持ちを持ちたいと常に発信しているのですが、時々「感謝の気持ちを強要している」とか「普通の体験をしているだけなのに感謝の気持ちが必要なのか?」など色々な意見をいただきます。
感謝ってそんな理屈で考えるものなのでしょうか?「ありがとう」って言った方も言われた方も気持ち良くなれる無敵な言葉だと思うんです。言える機会があればどんどん言った方がいいと思うんです。
ありがとうって漢字で書くと「有難う」ですよね。難が有るときこそありがとうなんです。自分が困難で困っている時、手助けしてもらった時こそ「ありがとう」なんです。
“強制されている”や、“言わなければならないという義務感”なんて全くないんです。
そこに理由や理屈なんて必要ありません。ただただ気持ちの良い言葉として発してます。ありがとうって言ったほうがお得なんです
@igari_tomoka3 ーより引用
前述したように、社会はマジョリティに合わせた仕組みになっているため、障がいを抱えている人の生活には、さまざまな困難が生じます。
きっと、他者の助けを得ることによって、「ありがとう」という言葉の中に「ごめんなさい」という謝罪の気持ちも含まれるため、何度も口に出すことに苦痛を感じる人もいるのでしょう。
猪狩さんは1人の車いすユーザーとして、そういった気持ちを汲みとった上で、「自分はただただ、お互いに気持ちのいい言葉として告げている」とコメント。
障がいに関する介助に限らず、「ありがとう」といわれた立場の気持ちを想像し、『幸せになれる言葉』として発しているといいます。
最後には、「世界中が『ありがとう』であふれるようになったら素敵ですよね」とつづった、猪狩さん。
投稿は拡散され、さまざまな意見が寄せられています。
・毎日何をするにもお礼をいうのは苦痛も感じるんだろうけど、自分はこのポジティブな考え方が好きだな。
・考えさせられた。障がいの有無は関係なく、やっぱりお礼は大切だと思う。
・自分も障がいがあるけれど、同意見です。こうして『1人の意見』として発信してくれたことに感謝します。
もちろんこれは猪狩さんの意見であり、一人ひとり考えは異なるため、明確な『正解』はありません。しかし、猪狩さんの考え方に、多くの人が1つの意見として考えさせられたようです。
障がいに限らず、誰しも立場が違えば、見える景色や考え方は大きく異なるはず。
そういった議論を積み重ねることで、時には溝が深まることもあれば、相互理解が深まることもあるでしょう。
多くの人が社会の『見えない壁』について考えることが、いろんな人が過ごしやすい社会の形成につながっていくのではないでしょうか。
[文・構成/grape編集部]

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