特定失踪者・大澤孝司さんが行方不明になって今年で50年です。3月17日、新潟市で開かれた会合では、当時の同僚などが一日も早い再会を願いました。
【当時の同僚 泉昭夫さん】
「50年というのは、あっという間の50年のような気がする」
1974年2月に佐渡市で行方がわからなくなってから50年もの間、一度も会い、話すことすらできずにいるのが北朝鮮による拉致の可能性が排除できない特定失踪・大澤孝司さんです。
【当時の同僚 坂口光男さん】
「何回も言うが、当時、拉致という言葉を私たちは知らなかった」
17日、新潟市西蒲区で開かれた孝司さんと再会を果たす会の会合では、県職員だった孝司さんの当時の同僚が参加。この50年を振り返るとともに、一刻も早い拉致被害者認定を求めました。
【大学の同級生 宮崎直樹さん】
「様々な状況から他のことが全く考えられないので、一刻も早く政府は拉致の認定ということで決断していただきたい」
弟との再開を願い、活動を続ける兄・昭一さんは2月、88歳に…残された時間が少なくなる中、拉致被害者の認定が再会への糸口になると考えています。
【大澤孝司さんの兄・昭一さん】
「認定できる人は認定して、北朝鮮と交渉を進めていただき、ちょっとでも多くの日本人を救出して家族と再会させてください」
兄・昭一さんなどは3月下旬、林官房長官と面会し、拉致被害者としての認定を求める要望書を提出する予定です。
【大澤孝司さんの兄・昭一さん】
「(再会したら)寝転んで『長かったな、それでもお互い生きて会えたな』と、そんなところでしょうかね」