詐欺容疑で逮捕の元タカラジェンヌに殺人未遂の衝撃過去「どうせ死ぬなら親しい人と一緒に…ごめんね」と、36年前に同期を包丁で刺し逮捕されていた

「どうせ死ぬのなら、一番親しいAさんと一緒に死のうと思い彼女を刺した」――。今から36年前(1988年4月)、当時33歳だった元タカラジェンヌ(宝塚歌劇団)の同期生を包丁で刺した岡部由美容疑者(当時31歳)は、警察にこう自供したという。犯行時は心神耗弱状態だったとして執行猶予4年の判決となった岡部容疑者は、その後、宝塚歌劇団OBを引き連れる演出家として脚光を浴びることになるが、今月7日、今度は詐欺の疑いで逮捕された。
大阪府警吹田署は3月7日、土地取引で多額の金が手に入るなどのウソを言い、兵庫県宝塚市の70代女性から現金2000万円をだまし取ったとして、吹田市のイベント会社「アレキサンドライト」社長の岡部由美(67)容疑者を詐欺の疑いで逮捕した。この事件については、#1で報じたとおり。岡部容疑者は宝塚歌劇団の60期生で「宮つかさ」という名前で、星組の男役として活動。1977年に同劇団を卒業した後は、ダンススクールの代表をつとめた後、「岡部優妙」という名前で演出家として活動し、2011年にイベント会社を立ち上げた。イベント会社は宝塚OGのコンサートやショーの企画や演出を行なっており、3月16日からは大阪府の泉佐野オチアリーナにて「命もゆる夕映えー大津皇子散華抄ー」の公演も控えていた。
岡部容疑者
業界では“知られた存在”の岡部容疑者だが、実は36年前にも、世間を驚愕させた”殺人未遂”事件を起こし逮捕されている。岡部容疑者の”初犯”について読売新聞は1988年4月8日、「宝塚元同期生刺す」というタイトルで以下の記事を報じている。(※編集部判断で被害者の名前は伏せ字に)
<8日午前9時10分ごろ、大阪府吹田市竹見台、〇〇さん(68)方玄関で、訪ねてきた同市垂水町、元宝塚歌劇団員でジャズダンススタジオ代表、岡部由美(31)が宝塚の同期生で同スタジオのインストラクター、〇〇さんの二女のAさん(33)の左わき腹をいきなり包丁(刃渡り十八センチ)で刺した。Aさんは近くの病院に運ばれたが、重傷。(略)同劇団などによると、二人は、四十七年宝塚音楽学校に入学、四十九年に歌劇団に入団した。遥くららさんらの同期生で、Aさんは「〇〇」の名で雪組、岡部は「宮つかさ」の名で星組に所属して活躍、二人は仲が良かったと思われる>
事件当時、Aさんの父親(68)は雑誌「週刊明星」(1998年4月28日号)の取材にこう答えていた。
「玄関のベルが鳴ったので家内が対応に出ました。で、むこうが“岡部ですがAさんはいらっしゃいますか”というので、家内が娘に取りついたんです。娘はそのとき、息子の銀行の口座をつくりに行くため、外出の用意をしていて“はい”と言って、いつもと変わらないようすで玄関に生きました。そこで、いきなり、むこうが娘を刺してきたようなんです。私は居間で新聞を読んでいましたが、どうもようすがおかしいので、玄関に出てみました。すると娘が、腹のあたりを押さえて“痛い、痛い”と呻いているんです。最初は、ドアで手でもはさんだのかと思っていましたが、よく見ると、玄関には血がベットリ……。それで慌てて救急車を呼んだんです。でも、そのときにはすでにむこうの姿は見えませんでした」
週刊明星(1998年4月28日号)より
タクシーで逃走した岡部容疑者だが、挙動がおかしいことから運転手が通報し、すぐに殺人未遂容疑で緊急逮捕された。ベテラン芸能記者は語る。「当時の警察の取り調べに対し岡部容疑者は『どうせ死ぬのなら親しい人と一緒に死のうと思い、日ごろ、一番信頼しているAさんのところへ行き、“ごめんね”と言って刺した……』と供述。その後行なわれた裁判で、岡部容疑者の弁護側は一貫して“心神耗弱”による無罪を主張。結果、執行猶予付きの判決になった」岡部容疑者の自宅の近所に住む40代女性も事件を覚えていた。「ええ、あの30年前の事件(殺人未遂の事件)ですよね。もちろん知っていますし、当時いろんなマスコミの方や警察の方も自宅を訪れました。でも、まだ当時は小さかった私にとっては、『なんであんなに優しい由美さん(岡部容疑者)が、こんな事件を起こすんかなぁ…』という気持ちでいっぱいでした…」
「週刊明星」(1998年4月28日号)より
当時、被害者のAさんは離婚歴のあるバツイチのシングルマザーで岡部容疑者は独身、Aさんは岡部容疑者が営むダンススタジオでも経理担当兼インストラクターとして働いていた。スタジオは元タカラジェンヌが指導してくれるとあって、ダンス経験者を中心に100人も生徒がおり、盛り上がっていたという。「岡部は宝塚歌劇団ではあまり活躍できずに3年で引退している。周囲にも 『スターになれるのはほんのひと握り』と漏らしていた。そのため、岡部のダンス教室にはミュージカル科というのがあった。生徒のなかに優秀な人材がいたら、それを宝塚に送り込もうと考えていたようです」(前出・ベテラン芸能記者)
前出の「週刊明星」では、岡部容疑者の供述とともに事件の背景にも触れている。
自ら果たせなかった夢を、自らの教え子たちでーー。夢は大きくふくらんだ。だが、ここでもまた、岡部は大きな挫折を味わってしまう。オープン当初は100人もいた生徒が、最近では20人ほどにも減ってしまっていた。経営が苦しくなるのは当然としても、岡部にとってそれ以上にショックだったのは、自分と生徒たちとのジャズダンスに取り組む姿勢の違いだった。いずれは宝塚へーー。岡部にとって、それほど魅力的だったにせよ、生徒たちがそう考えるとはかぎらない。「生徒たちがついてこなくなった」(略)「2~3日眠れなかった。そして死にそうになった」吹田署で自供したとおり、岡部はそんな絶望的な状況に追い込まれていたにちがいない。
「週刊明星」(1998年4月28日号)より
Aさんは、左わき腹の刺傷が肝臓に達するほど深かったものの、幸いなことに一命は取り止めたというが、診断は全治1か月の重傷だった。執行猶予付きの判決が下り、1年ほど経った後に、前述の近隣住民(40代)も岡部容疑者の姿をたまに見かけるようになったという。「あの事件をきっかけにダンス教室はあきらめたようですが、由美さんはその後名前を変え、脚本家の仕事に出かけるようになりました。まるで何もなかったかのように自宅の前で会ったら『こんにちは~』とか『元気にしてる?』なんて気さくに笑顔で話しかけてくれました。もちろん本人に『なんであんな事件を起こしたんですか?』なんて聞けませんでしたが、以前と変わりなく生活していたので安心していたのですが…」岡部容疑者は2011年に「株式会社アレキサンドライト」を設立、宝塚歌劇団OGのコンサートやショーの企画演出を担当し“演出家”として再び返り咲いた。だが、2017年に会社の資金繰りが苦しくなり、今度は2000万円を騙し取ったとして詐欺容疑で逮捕されることとなった。
宝塚劇場(撮影/集英社オンライン)
岡部容疑者と年も程近いある宝塚OBは肩を落とす。「宮さんねぇ…事件があった当時(1988年)は『まず宝塚として(そんな事件を起こすなんて)あり得ないよね』『絶対にしちゃダメでしょ…』と皆、嘆いていました。それこそ私たちは宝塚音楽学校で、ステージに立つために血の滲むような努力をして、卒業した後も一生『宝塚』という看板を背負って生きていかないといけない。だから30年前の事件も、今回の事件も、あの子(岡部容疑者)の本質的なモノだと思いますし、本当に残念なことですよね」人生の大半を“宝塚”と共に過ごした岡部容疑者は、(詐欺事件の)取り調べに対し「確かに2000万円はうけとりましたが、だましとったつもりはありません」と容疑を否認しているという。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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