防災や避難の在り方から復興まで、未曽有の被害を出した東日本大震災はさまざまな教訓を残した。あれから13年-。私たちはつらい経験を生かすことができるだろうか。
震災関連死を含む死者数は約2万人に上り、いまだに2500人余りが行方不明だ。
多くの命が奪われた背景には大規模な津波被害がある。高所への避難が遅れ大勢が波にのまれた悲劇は、三陸地方で受け継がれてきた「津波てんでんこ」の重要性を再認識させた。
今年の年明け早々に発生した能登半島地震では、この教訓が生かされたケースも。
石川県珠洲市では、津波被害想定マップを全戸へ配布して毎年訓練を実施した地区で地震発生時、サイレンの音を聞いた住民たちが高台に駆け上がり全員無事だった。
一方、地震で甚大な被害を受けた自治体では、障がい者や高齢者ら配慮が必要な人たちを災害時に受け入れる「福祉避難所」がほとんど開設されなかった。
開設場所の施設が損壊・断水したり、職員の被災や避難などで人手不足になったりしたことが主な要因だ。福祉避難所は2016年の熊本地震でも想定の半数程度しか開設されなかった。
こうした避難所では生理用品やおむつ、粉ミルクなど女性や乳幼児向けの備品が不足したことも課題となっている。
避難所の指定施設を増やしたり、避難所運営に女性の視点を入れるなど、支援の取り組み充実が求められる。
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原発事故と地震の複合災害への備えは不十分だ。
東京電力福島第1原発の事故を受け、原子力規制委員会は災害対策指針を策定。原発からの距離ごとに住民の避難計画を示した。
だが、能登半島地震では道路が寸断され、唯一の避難経路が失われた。北陸電力志賀原発でもし事故が発生しても避難できない事態に陥ったのである。
今年1~3月に共同通信が実施した原発に関する全国世論調査では、原発事故に備えて自治体が定める避難計画を「見直す必要がある」とした人は94%に達している。
原発事故により福島県では今も7市町村で帰還困難区域が残る。第1原発の廃炉の道筋は見えず、除染で出た土などの廃棄物搬出も不透明だ。
それにもかかわらず岸田文雄首相は原発回帰に転換した。事故の教訓に背を向けているのではないか。
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福島の原発事故を受け、各地で避難生活を送る人はいまだに約2万9千人に上る。
巨大防潮堤を造った宮城、岩手県の沿岸部でも広大な空き地があちこちで見られるなど、生活やなりわいの基盤再建はまだ道半ばだ。
こうした中、被災者からは記憶の風化を危ぶむ声が高まっている。
数年おきに大きな地震に見舞われている日本では、未来の命を守るためにも教訓をつなぎ、防災の穴を一つ一つ埋めていく作業が欠かせない。
全ての地域、人々が震災経験を継承し、減災に向け学びを続けていきたい。