今回のゲストは、加山雄三さん。歌手や俳優として国民的人気を誇る加山さんは、音楽だけでなく、画家・操船・料理など、多様な才能を持つことでも知られる。2023年10月には、長年書き溜めたレシピをもとに『食べた人が笑顔になる それが最高の喜び 幸せの料理帖』を出版。一流料理人をも唸らせてきた数々のレシピを公開した。故・谷村新司さんに振舞った料理のエピソードや加山さんが実践する歯の健康法、自立型ケア付き住宅への引っ越しの経緯など、加山さんの“いま”を聞いた。
みんなの介護 ご著書、拝読しました。加山さんは歌手としての印象が強いですが、料理もかなり本格的ですね。料理の本を出版された経緯から聞かせてください。
加山 そりゃ、オレがこんなにたくさん料理ができるとは、誰も夢にも思わないよね。
実は「料理の話をいくつもまとめて本にしたらどう?」って娘に言われたのね。料理は、誰かにふるまうために作ってきたから、その人たちへの感謝を込めて本にしてみようと動き始めたのがきっかけだね。
昔から料理のアイディアを、ノートにたくさん書き溜めていてね。そのノートごと写真を撮って出版社に見せたんだよ。そしたら、ノートに書いたことだけじゃなく、オレの記憶にとどめていることも載せたいと言われて……。最終的には、オレの料理の歴史を詰め込んだ1冊になったんだ。
―― 健康的かつ、とても美味しそうなレシピがたくさんあってつい見入ってしまいました。いつごろから料理に興味を持つようになったのですか?
加山 いつぐらいだろうな。料理と言えるか分からないけど、小学生の頃、ハマグリの佃煮を作ったのが最初かもしれないな。相模湾に面した広い砂浜で、ハマグリの出来損ないみたいなものを、バケツ半分くらい拾ってきたんだよ。生きてるやつだよ?もちろん。
それを家に持って帰ったら怒られちゃってさ。「これ一体どうするんだよ。誰がこれ開いて食べるの?大変じゃない」って……。だから「オレがやるよ」って言ったんだ。
でっかい釜3つでハマグリを煮て、醤油とみりんと酒で味付けして、つくだ煮みたいにして出したんだ。そしたら、みんなが「これおいしいね」って褒めてくれてね。
―― 初めての料理から周りの人に喜ばれたんですね。
加山 そうそう。みんなが喜んでくれたから「こんなに嬉しいことはない」と思って味をしめたな。みんな、いい顔して喜んでくれるんだよ、これが。
大人になって本格的に料理を作るようになったのは、船に乗るようになってからだな。オレは船が好きだから、カヌー・ボート・ヨットなんかを、全部で12隻造ったりもしてね。
その後、さらに大きな船に乗りたくなって造船所で光進丸を造ってもらった。それが、1964年のこと。料理人まで雇えないから、自然とオレが料理を作るようになった。航海の間、みんなに楽しんでもらおうと、料理を工夫するなかで、自然とレパートリーが増えていったね。
撮影:木村拓
―― 人に喜ばれることが、加山さんにとってのモチベーションだったのですね。
加山 そうだね。そう考えれば、歌も絵も同じかもしれない。みんなが喜んでくれるのが嬉しいから、続けたいと思えたね。
―― 料理にまつわるエピソードについて、ほかにもお聞きしたいです。
加山 よく思い出すのは、この間亡くなった谷村新司くんのことだね。あの人をオレの家に招いたことがあったんだけど、中華のフルコースでもてなすために合羽橋で大量の中華料理用食器を買い揃えた。でも、うちのテーブルは丸い中華テーブルじゃなくてね。……だからテーブルを造ることにしたんだ。
ホームセンターで買った厚さ20mmのベニヤ板2枚を丸く切って、ペアリングを土台に大小2つのテーブルを組み合わせて回せるようにした。それを香港で買った円形の台座の上に置いて、一番上には、石屋の友達に作ってもらった石のテーブルを乗せたんだ。これで完成。
そして、谷村新司君を家に呼んだとき、オレが造ったテーブルで料理を振舞ったんだよ。谷村くんは、「料理だけじゃなくて、テーブルも加山さんが造ったんですか!?」って驚きながら、喜んで食べてくれたね。
その後、谷村くんは、「加山さんは料理を振舞ってくれるだけじゃなくて、テーブルまで造っちゃうんですよ」ってあちこちで言ってたらしいよ。だから、その話が有名になっちゃってさ……(笑)
撮影:木村拓
―― 加山さんは、ヨット、ギター、ピアノ、絵画など、多趣味ですよね。ちなみに今、没頭していることはありますか?
加山 今は、絵を描いてるね。それに、よくYouTubeを見るよ。
―― 加山さんが、どんな動画を見ているのか気になります。
加山 特段面白い動画を見ているわけではないけど……。例えば、最近亡くなった人の情報が流れている動画とか。そういうのを見てさ、「ああ、オレより若い人が死んじゃったな」ってね。
やっぱり、命というものに興味があるからさ。
―― 命のどんなところに興味があるのですか?
加山 命を長引かせるために、何に気を付けなきゃいけないかとかね。まぁ、健康についてのことだね。
―― 健康のために運動や食事なども意識していますか?
加山 週に3回はストレッチやトレーニングをしているよ。今、住んでるケアハウスにトレーニングの先生が来てくれるんだ。広い部屋にいろいろ道具があるから、それを使って必ず運動する。身体を動かさないとダメになっちゃうからね。
俺が住んでいるケアハウスでは料理を4通りの中から選べるんだ。何もしなくてもいい料理が出てくるから、かみさんが「こんな幸せはないよ」って大喜びしてるね。オレもその通りだなと思いながら、感謝・感謝で食べてるよ。
おいしく食べられるって、すごく大切なことだって思っててね。だから、オレは歯を大切にしている。虫歯は1本もないよ。入れ歯もね。もうすぐ87歳になるけど、27本の歯が残ってることは自慢かな。
―― 80歳になっても20本以上歯を保とうという8020運動もありますよね。普段のお手入れ方法を教えていただけますか?
加山 昼と晩の2回の歯ブラシで3種類使い分けるのがポイントかな。電動歯ブラシ、普通の歯ブラシ、ウォーターピック歯間ブラシの3つ。
電動歯ブラシでまず全体を磨いて、ウォーターピック歯間ブラシを使う。ウォーターピック歯間ブラシは、生ぬるい水を入れてスイッチ入れるとピュピュピュピュって水が出るのよ。それで、歯の間に詰まった汚れがとれる。
それから、普通の歯ブラシで舌を磨く。舌が白くなっていたら絶対おかしいんだよ。その白いのを残したら、絶対ダメ。ピンク色になるまでいつでもキレイにしてるよ。歯磨きのポイントは、うちの親父に教わったようなもんだね。
それに、月に1回、歯医者さんに行って口のなかを診てもらうんだ。すると「すごく健康的でいい歯をしていますね」って言われる。それが自慢になるわけだ。
撮影:木村拓
―― 多忙ななかでも、何十年もていねいな歯磨きを続けられている人って、なかなかいないと思います。
加山 そうだね。続けるってことは習慣になるんだよな。
―― 奥さまと一緒に自立型ケア付き住宅に入居した経緯についてもお聞きできますか。
加山 最初は、うちの娘が見つけてきたんだ。ちょうど長年住んでいた家が古くなって、ベランダの下の部屋に雨漏りするようになってきた頃だった。
そこに娘が「70歳以上の人が入れるタワーマンションみたいなところがあるから」って、今住んでいる場所を見つけてきてくれたんだ。
オレたちは運が良かったんだな。体調の変化もあって、ちょうど引っ越しを考えたときだったから……。本当はね。ケアハウスの社長がそこに住もうと思ってつくったらしいんだよ。ところが、社長が入居する直前に亡くなっちゃった。部屋が空いたところへ、偶然、我々が入居したわけだ。
―― 実際、入居してみての居心地はいかがですか?
加山 そりゃあ、いいところなんだ。トレーニングルームにプールや温泉もある。見晴らしもすごくいいし、言うことないよ。
―― 奥さまとも、引き続き一緒に過ごすことができますね。
加山 そりゃそうだ。お互い、毎日感謝しているよ。「今日も元気に会えたね」って。ときどき外に出かけて旨いもの食べに行ったり、旅行に行ったりするのも楽しいよね。
―― 介護スタッフとの接点はありますか?
加山 ケアしてくれる人たちの存在は心強いよ。前に、椅子の角で緊急時のボタンを間違えて押しちゃったことがあってさ。「何かありましたか?」って言いながら、すぐに駆け付けて来てくれたんだ。「ごめんなさい」って謝ったんだけどね。何かあったときに駆けつけてくれるのは、絶対いいよ。
―― 加山さんは、2019年には腰椎椎体骨折と軽度の脳梗塞、翌年には誤嚥から小脳出血を起こして3カ月入院されていたと思います。現在の体調はいかがですか?
加山 今はどこも悪くない。気持ちいいなんてもんじゃないよ。
―― 快復されたんですね!
加山 そうなんだよ。小脳出血のときは、ありがたいことに手術はせず、薬で治療することができた。でも、呂律が回らなくなってしまったんだ。大変なことになったなぁと思ったけど、かみさんがすぐに異変に気付いてくれたおかげで、幸い命はとりとめることができた。
だから、そのことに感謝して、懸命にリハビリに取り組んだんだ。発声練習を始めとしたリハビリを2カ月ほど続けると、少しずつ喋れるようになってきた。歌も歌えるようになったときは、涙が出そうになったね。
このリハビリの期間、倉庫を整理していて、昔に録音したテープを見つけたんだ。それをアレンジして2021年、「紅いバラの花」をリリースできたのは嬉しかったよ。病気で思うように動けない時期じゃなかったら、倉庫の整理に手を付けられなかっただろうからね。
―― 病気の療養中にも、できることを続けていたのですね。
加山 そうだね。それからは、歳をとっていくにしたがって“これはできる”“これはできない”というのを判断していくことが大切だと思ったな。やっぱり自分の身体を自分で守らなきゃしょうがない。それに、身体を動かさなきゃダメだと思った。かみさんが「運動しましょうよ」って言ってきたら「またかよ」と言いながらも、やるようになったね。
思えば、かみさんには、苦労をかけた。結婚後間もなくして、親父と叔父が経営していたパシフィックホテル茅ヶ崎が倒産して、連帯保証人だったオレも23億円の借金を背負うことになってね。そのことがあって仕事がなくなったときも、かみさんは、ずっとオレを信じて支えてきてくれたんだ。
―― 加山さんの活躍の背景には、奥さまやご家族の支えが大きかったのですね。加山さんは「関心、感動、感謝」を座右の銘にされていると、ご著書で拝見しました。年を重ねると、面倒臭いという気持ちになりがちですが、物事に関心を持ち続けるヒントはありますか?
加山 かみさんが発破をかけてくれるんだよ。運動だけでなく、オレが面倒くさがるようなことがあれば、かみさんは背中を押してくれる。そうすると「はいはい」と言いながら言うことを聞くんだ。まぁ、それが、夫婦円満の秘訣でもあるな。でも、無理にでも物事にやる気を出さなきゃダメだと思うんだ。
―― 改めて、「若大将」として人気絶頂のときの、奥さまとの結婚の決め手をお聞きしてもいいですか。
加山 大しけのとき、船に女の人を乗せちゃったんだな。それにかみさん乗ってたわけだよ。オレが操船する予定だったんだけど、パンと波がかぶる。
どうするかなぁと思ってたとき、「どうして出ないの?今日は出られるんでしょ?」ってかみさんに言われたんだよ。何だこの野郎って思ったんだけど、「出ましょうよ」って言うから、「よし、分かった」って。そしたらかみさん、船に波がかぶるのを見て「ワー」って、喜んでるんだよ。
そのうち大人しくなったなと思ったら、いなくなっちゃった。船の下に入っていったから、ああこれは酔ったなと思ったね。これは引き返して港に帰った方がいいなと思いながらも20分くらい走ったんだ。操船を代わってもらって下に様子を見に行ったら、かみさん、編み物やってたんだよな。
こいつ、頭おかしいんじゃねーかと思ってね(笑)。でも、こんなしけてるなかで編み物やれるって大したもんだ。こういう女は強い、嫁さんにしたいなぁと思ったんだ。
かみさんは、早くに父親を亡くしてから、15歳で芸能界にデビューして家族を支えてきた。そんな人生を生きてきたから、芯が強くなったのかもしれないね。
―― 奥さまの精神力に惹かれたのですね。
加山 それはそうだなぁ。あとで分かったんだけど、そのときかみさん、オレの腹巻きを編んでたんだ。当時、オレはよく腹巻きをしてた。タバコを吸ってたときは、漁師のマネして、腹巻きの間にタバコを入れたりなんかしてさ。漁師さんは、そういう格好するじゃない?それを知ったときはジーンときたね。
―― 加山さんといえば「君といつまでも」の「幸せだなぁ」のセリフが有名です。86歳の今、幸せを感じることは何ですか。
加山 朝から晩まで幸せだよ。今日も健康で朝起きられたこと。生きてかみさんに会えたこと。美味しいご飯を食べられること。もう、それだけで感謝でいっぱいになるね。
―― 年齢を重ねたことで、昔できたことができなくなったと落ち込むことはないですか?
加山 できないことは、やらないね。
―― できることに感謝するということですか。
加山 そういうことだね。できなくなったことがあっても、できることも残ってるから。それに、日常のなかに感謝できることを数え出したら、これ以上ないくらい見つかるもんだよ。
オレは、信心深かった母方の祖母の影響を受けている。子どもの頃から毎週のように祖母について小田原の郊外にある大雄山最乗寺までお参りに行っていたんだ。そこでオレも仏教書を読んだり、座禅を組んだりしていた。
オレは、その影響で“感謝”を大事にするようになったんだと思うんだ。でも、その習慣が、浮き沈みがある芸能界での活動を支えてくれたと思うね。
反対に感謝を忘れたら、問題が起きたとき、必ず人のせいにしたがるんだよ。あいつのせいでこうなったって。そうすると、累積赤字みたいになって、だんだん悪いことが膨らんでいってしまうんだよ。
―― 最後に、海が好きな加山さんに、人生を航海に例えたらどんな表現ができるかお聞きしたいです。
加山 海は、しけもあれば波もある。
人生だって、その通りだと思うんだ。荒れるときがあれば、穏やかなときもある。
荒れるときというのは、悪いことが続いたりするもんだから、病気やケガにも気を付けることだね。逆に、いいことがあったら感謝を外に表していく。それを守ることだ。
撮影:木村拓
―― これからやりたいことはありますか?
加山 やっぱり健康管理だな。朝起きて、「今日もご飯が旨い」と言えたとしても、それが毎日だったらこんな幸せはないじゃん。
―― そうですね!本日は、感謝の心を持ち続ける大切さを学ばせていただきました。これからのご活動も楽しみにしています。
取材/文:谷口友妃