能登半島地震から1か月余りが過ぎた2月11日、石川県七尾市の「一本杉通り商店街」に加盟する42店舗のうち、約10店舗が「一本杉復興マルシェ」と称して商店街の駐車場に臨時出店した。支援したのは、東日本大震災で被害を受けた宮城・南三陸町の「南三陸さんさん商店街」。再興の中で培った自らの経験を、能登でも生かすべく立ち上がった人たちの思いを聞いた。(樋口 智城)
「仮設商店街を作りたいんですが、成功事例を知りませんか?」。1月下旬、「南三陸さんさん商店街」の運営会社の社長・三浦洋昭さん(64)に一本の電話が入った。相手はもともと交流があった一本杉通り商店街の関係者。東日本大震災復興の成功例である、さんさん商店街に助言を求めたのだ。
三浦さんは「最初から『仮設商店街』じゃなく、とりあえず有志が集まって店頭市を始めたらどうかって話をしました」。さんさん商店街は、震災の1か月後から全国の商店街の支援を受けて「復興市」を開催。「その後、何回かやっていくうちに、国の支援がどうなるのかとか判明してきて、だんだんと選択肢が見えてきたんです」。やれることを継続してやっていくうちに、商店街復活という未来が開けた。能登には、その経験を伝えたかった。
話し合いから2週間後。「一本杉復興マルシェ」が開催された。海鮮物加工業の「マルセン食品」社長でもある三浦さんは、サバのレトルト商品50袋、つみれ40袋などを無償で一本杉通り商店街に送り、売り上げも受け取らなかった。「我々の1回目の復興市の時も同じだった。全国の商店街が持ってきてくれた商品の売り上げの一部を置いていってくれたんですよ。そのお金が継続するための資金になりました」
さんさん商店街は立ち上げ当初、阪神大震災で被害を受けた兵庫の長田商店街の理事を招き、レクチャーを受けたという。今回は南三陸から能登へノウハウが引き継がれた。三浦さんは「復興には継続性が大事。経験を受け継いで、能登でも新たなるまちづくりを期待したいですよね」と話していた。
◆南三陸さんさん商店街 12年に仮設商店街開業
「南三陸さんさん商店街」は、「復興市」を数十回開催後、2012年2月に仮設商店街としてオープン。14年には天皇皇后両陛下(現在の上皇、上皇后さま)が訪れ、復興の成功例として注目を集めた。現在は28店が軒を連ねている。
本設初年度の17年度は58万人もの観光客が訪問。コロナ禍で21年度は44万人にまで落ち込んだが、22年10月に隣接する敷地に東日本大震災の伝承施設が開業したことで、23年度の訪問者は61万人となった。山内大輔商店会長は「南三陸キラキラ丼とか、ここでしか食べられないものにこだわってきたのが良かったのかも」と成功の秘けつを明かす。
キラキラ丼は地魚を4種類盛り合わせた豪華どんぶり。山内氏は「震災で何もかもなくなりましたが、南三陸の皆さんは常に新しい価値を作り出そうとした。前に進む取り組みこそ、復興に必要なものでは」と話していた。
◆一本杉通り商店街 JR七尾駅前の北側にある、古い町並みが残る老舗商店街。500年前、奥能登へと向かう街道筋にあった杉の木が「出会いの一本杉」と呼ばれたことに由来する。国の登録有形文化財も5軒あり、このうち「高澤ろうそく店」が倒壊するなどの被害を受けた。