「釈迦に説法」の現代版解釈「アウラ‐フリーレン現象」が話題に ファンからは疑問の声も

知り尽くしている人にそのことを説く愚かさのたとえ「釈迦に説法」。有名な慣用句だが、現在ネット上では「釈迦に説法」の現代版解釈が登場したが、一部では賛否を呼んでいる。

「釈迦に説法」といえば「身の程知らず」「見当違いな行為」といった意味合いを持つ慣用句だ。この「釈迦に説法」的な状況はネットで散見されることが多く、ある界隈でとんでもない実績を持っている相手を、何も知らない若者がその実績を知らないがゆえに「大したことない人」だと思って雑に扱ってしまい大恥をかく…なんてことも。
過去には放送大学学長・岡部洋一氏に「貴方は放送大学出身ですか? そういう質問をすること自体が、放送大学なんですよ。違いがわからない人間が大学の教授にはなってはいけないということです」と突っかかったユーザーに対して岡部氏が「私は学長です」と返信し大きな話題を呼んでいた。

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そんなネットあるあるな「釈迦に説法」現象だが、現代版解釈として「アウラ‐フリーレン現象」と呼ばれていると話題に。
この「アウラ‐フリーレン現象」とは、漫画『葬送のフリーレン』の主人公で1000年以上生きる魔法使い・フリーレンと魔王直属の幹部「七崩賢」の1人で500年以上生きた大魔族・断頭台のアウラの関係性とその結末を表したものだ。
アウラは「服従の天秤」という天秤に自身と対象の魂を乗せて互いの魔力を測り、魔力が大きい方が相手を半永久的に操れるようにする魔法《服従させる魔法(アゼリューゼ)》を使う。同世界では基本的に長きに渡って鍛錬を重ねれば重ねるほど魔力量が多くなるため、寿命の短い人間は500年生きるアウラに敵うことができない。
本編ではフリーレンと対峙した際、フリーレンの極めて高度な魔力量偽装を見抜けず、絶対的な魔力差に気づけぬまま「服従させる魔法」を使用したことで逆に自身が支配されてしまい、最期は敗北を受け入れられないままフリーレンに自害を命じられる…という自業自得すぎる幕引きはネット上で大きな話題を呼び、ネットミームとなっていた。

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そんな「アウラ‐フリーレン現象」だが、一部では「誰が言い始めたか知らんけどこれを『アウラ-フリーレン現象』とか言ってる奴作品見てないだろ。フリーレンの戦略が一枚上手だっただけで、アウラは雑に扱うどころか実力者だとわかってたからこそ自身の軍勢をけしかけて魔力を消費させてた」「アウラ-フリーレン現象の名称に物申すとすれば、別にアウラは弱くない。フリーレンが強すぎただけ」といった疑問の声もあがっている。
また「アウラ‐フリーレン現象」と似たような現象として「もうちょっとちゃんと目の前の相手や物事を知ろうとすれば良かった、と言うヒンメル-フリーレン現象の方がアウラ-フリーレン現象より経験がある」といった意見も寄せられていた。

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