「ともぐい」(新潮社、税込み1925円)で1月に直木賞を受賞した河﨑秋子さん(44)は、北海道で4年前まで羊飼いと作家を兼業してきた異色の経歴の持ち主。動物との関わりを持ち続けながら、常に動物と人間の関わりを描き続けてきた。今作は明治期の北海道東部を舞台に、山中で孤独に暮らす男と熊の戦いと人間の業を描いた意欲作。受賞後も変わらぬ「動物文学」についての思いと、自身の生きざまについて聞いた。(樋口 智城)
「ともぐい」は、これまで動物を通じた物語を紡いできた河﨑さんにとって、真骨頂とも言える作品だ。動物と人間の荒々しさ、生々しさ。息をのむような描写がちりばめられている。
「動物は書きやすいというか一番発想も生まれやすい。今作も、読んでくださった方が北海道の山の中に引きずり込まれるような感覚を味わっていただければ、とてもうれしいですね」
特に熊との戦いは、実際に見て書いたかのよう。アホな質問をしますが、もしや熊と戦ったことあります?
「ないない、ありませんよ。牛はありますけど。鹿の方は、長兄がハンターとして害獣駆除用に狩ったのを私が解体していましたけど」
今聞き逃すところでした。牛と戦う…って空手家・大山倍達以来じゃないですか。
「いや、牛殺しとかではないですよ。実家で酪農をやってまして。でかい牛が発情期の時とかに突進してきたりするんです。そのときは棒で鼻先とか目とかペシッとやるとひるみますので」
動物と対峙(たいじ)する描写の迫力は、こうした経験も生きている。さすがはマス大山以来の牛殺し…。
「だから殺してませんって。酪農の牛ですから」
実家の牧場は、北海道・別海町にある。コンビニまでは10キロ。周囲に何もない大自然で育った。兄や姉の影響で小さい頃から本好き。「やることがないので」シートン動物記などの書籍を読みあさる日々だった。進学した北海学園大でも文芸サークルに在籍。とはいえ作家になる気はなかった。
「あの時は経験も技量もありませんでしたし、作家は頭になかったですよ。やりたいこともあったので」
やりたかったのは、「羊飼いになること」だった。
「大学の集まりで食べた国産の羊がおいしくって。改良・飼育の方法とか、まだ自分でいろいろできる余地があると思ったんです」
02年の卒業後、ニュージーランドに1年間留学。
「その後は北海道内でいろいろ勉強。羊を2頭買い、実家の牧場の一角を借りて飼育を始めました」
羊飼いとして生計を立てる傍らで、実家の酪農の従業員としても働く。そんな生活を続けるうち、文学賞の公募を見つけた。
「29歳の時にふと、学生以来もう一回書いてみようと決意したんです。当時の短編は、今作のもとになりました」
悲劇は突然訪れる。
「結果待ちをしていた時、父が倒れてしまって…」
父は一時意識不明になって病院に入院。羊飼い、酪農の仕事に加え、介護も必要になった。それでも河﨑さんは、めげない。
「逆境で失うモノはないので、発奮したと言いますか。どうせなら『何一つ諦めてやるものか』って思って、書くことを続けました。苦難がなければ、今、小説は書いていなかったかもしれませんね」
夜中にコツコツ1人で書く生活を4年続け、12年に初めての賞となる北海道新聞文学賞を受賞。14年に三浦綾子文学賞を取り、デビューした。以降も仕事の合間に小説を書く生活を続けた。
「正直、頑張りました。まずは睡眠時間を削りました。ベースは5時間、時に3時間くらい。たまに飛行機乗ったら5秒で寝落ち、常に眠かったですね。でも、ご家族の介護とか子育てとか、もっと苦労されている作家さんもいますし。普通ですよ」
19年に作家専念。所有していた羊を売り、十勝管内へと移り住んだ。
「本州にいた兄の家族が実家に戻ってくることになりまして。人手が足りるようになったし、父の介護も頼める。自分の体力的なことを考えても、ちょうどいい頃合いかなと」
専業になって良かったことはやはり…。
「睡眠。やっと7時間くらいは寝られるようになりました。寝ること、食べることは、やはり大事ですよ」
ワイルド兼業を終えた河﨑さん。動物とともにいる生活は終えたが、今後は文学のなかで動物とともに生きていく。
「動物としての人間。動物と遭遇するがゆえに出てくる人間の性(さが)。ずっと文章として追い求めたいと持っています」
◆河﨑 秋子(かわさき・あきこ)1979年、北海道別海町生まれ。2002年、北海学園大経済学部卒業。12年「東陬遺事」で北海道新聞文学賞(創作・評論部門)受賞。14年「颶風の王」で三浦綾子文学賞、同作で15年度JRA賞馬事文化賞、19年「肉弾」で大藪春彦賞、20年「土に贖う」で新田次郎文学賞を受賞。22年「絞め殺しの樹」で直木賞候補。24年「ともぐい」で直木賞を受賞した。