120年の歴史に幕 「横須賀」の新造船ヤード撤退の“意味” 「石油タンカーに特化」もうそんな時代じゃない?

住友重機械工業が新造船の建造から撤退。関東からまた一つ、新造船ヤードが消えるだけでなく、造船と軍港で発展してきた地元「横須賀」にとっても一つの転換点となります。最新の船にも対応してきましたが、同社首脳は苦しい胸の内を明かしました。
東京湾からまた一つ、新造船ヤードが消えます。住友重機械工業は2024年2月14日、住友重機械マリンエンジニアリングの横須賀造船所で行っている商船の新造船事業から撤退すると発表しました。2024年に入ってから新規受注は中止しており、2026年1月の引き渡しが建造最終船となります。 横須賀造船所のドックは引き続き船舶修繕で使用するほか、需要増が見込まれる洋上風力発電の浮体式構造物などの製造に活用する予定です。
120年の歴史に幕 「横須賀」の新造船ヤード撤退の“意味” …の画像はこちら >>護衛艦「たかなみ」。住重横須賀製造所浦賀艦船工場でつくられ横須賀に配備されている(深水千翔撮影)。
住友重機械工業は11万重量トン級の石油を運ぶアフラマックスタンカーに特化する戦略を取っていたことで知られています。同船種を日本で建造しているのは横須賀造船所だけで、国内外から高い評価を得ていました。近年では国際海運で大きな課題となっているGHG(温室効果ガス)排出を削減する新船型として、LNG(液化天然ガス)燃料船やメタノール燃料船の開発にも取り組んでいました。
それではなぜ一般商船の建造を取り止めることを決めたのでしょうか。
決算会見で渡部敏朗取締役専務執行役員CFO(最高財務責任者)は「2012~2013年以降はかなり船価も低迷して受注も苦しい状況だった」と背景を説明します。
「新造船はかなり採算的に苦しい状況で、実質赤字できていた。実際に事業をやっている住友重機械マリンエンジニアリングは、修理船などもやっており、これらの収益で新造船事業をカバーしてきた。しかし近年はそれでもカバーしきれず、赤字が継続していた」(渡部CFO)
住友重機械工業は1969(昭和44)年に住友機械工業と浦賀重工業が合併して誕生した会社です。浦賀重工は1897(明治30)年に創業した浦賀船渠(浦賀ドック)を前身としており、住重グループは120年以上にわたって造船業を営んできたことになります。
浦賀では青函連絡船の「翔鳳丸」や「津軽丸」といった鉄道史に残る車載客船や、戦後の引き揚げ輸送で活躍した日本海汽船の「白山丸」、瀬戸内海の女王として知られる関西汽船の「むらさき丸」、旧日本海軍の軽巡洋艦「五十鈴」、駆逐艦「時雨」、海上自衛隊の護衛艦「はつゆき」、試験艦「あすか」など官民問わず多種多様な船を送り出しています。その数1300隻以上。1980年代に海技教育機構の練習帆船「日本丸」と「海王丸」を建造したのも浦賀の造船所でした。
住友重機械工業は浦賀だけでなく、1959(昭和34)年に旧横須賀海軍工廠の第2船台などを取得して設置した横須賀工場や1971年に船舶の大型化に伴って開設した追浜造船所(現・横須賀造船所)が稼働しており、東京湾内における大型商船ヤードの一翼を担っていました。
しかしオイルショック後の造船不況に突入すると、主力製品である大型タンカーを中心に新造船需要が激減し、大量キャンセルが続出。生産設備の整理が求められるようになります。手狭となっていた横須賀工場は閉鎖売却され、浦賀造船所は規模を縮小し艦艇・官公庁船にシフト。商船の建造は追浜造船所が中心となります。
ただ日本経済そのものが低迷する時代を迎え、造船業も生産設備の増強とコスト競争力で優位に立つ中国や韓国に抜かれていきました。2000年代に起きた造船所再編の流れの中で、住友重機械工業は浦賀艦船工場を艦艇部門と共にIHI子会社のIHIMU(アイ・エイチ・アイマリンユナイテッド)横浜工場へ統合することを決め、護衛艦「たかなみ」の引き渡しをもって住重グループは浦賀での新造船建造から撤退しました。
2003年に住友重機械マリンエンジニアリングが発足すると「中型タンカーNo.1」を掲げ、追浜の横須賀造船所で建造するアフラマックスタンカーへの差別化集中戦略を取りました。余分な在庫を抱えず、顧客からの要望に応じた効率的なモノづくりを行うトヨタ生産方式を導入してコスト削減を図り、建造船種を絞ることでより高品質な船を提供していくという方針は当たり、2007年に業績は好転します。
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練習船「日本丸」。住友浦賀造船所で建造された(深水千翔撮影)。
しかし、2008年のリーマンショックが起きると、新造船を取り巻く事業環境は急速に悪化。受注隻数を制限し建造隻数も年3隻まで絞って体制の見直しを試みていたものの、船価の変動、鋼材や資機材価格の高騰、さらには中国や韓国の造船所もアフラマックスタンカーに参入して競争環境が悪化する中で、将来的に事業を継続することは困難な状況に追い込まれました。
こうして住友重機械工業は長年にわたる横須賀での商船建造から撤退することになったのです。受注残は7隻で2026年1月まで順次引き渡しを行います。
かつて31万重量トン型VLCC(大型原油タンカー)を建造した三井E&S造船の千葉工場も2021年3月で造船事業から完全に撤退しており、住友横須賀が新造船から手を引くと、東京湾内で大型商船が建造できるヤードはJMU(ジャパンマリンユナイテッド)横浜事業所磯子工場だけとなります。
横須賀造船所の今後について住友重機械工業の下村真司社長は「ドックの一部は既に修理船で使用している。また、これから洋上風力発電をやっていく中で、浮体式構造物を建造する上でドックが非常に重要になってくると考えている」と話します。
住友重機械マリンエンジニアリングは、東京湾近海の官公庁船と在日米軍向けの艦船修理に注力しており、アメリカ海軍の原子力空母からアメリカ陸軍の揚陸艇まで、幅広い船種で修理・改造サービスを提供しています。若干ではあるものの、商船の修繕も行っており、長さ580m、幅80mの大型ドックを活用し、大型船入渠工事や中小型船の同時入渠工事も可能。大型のゴライアスクレーンを使っての吊り入渠ができるのも特長の一つです。修理船事業は継続するため、東京湾内の修繕拠点はこれまで通り維持できる見通しです。
もう一つは、脱炭素エネルギー領域として展開していく洋上風力用構造物や関連船舶、風力推進コンポーネントの製造です。浮体式洋上風発の中でも、例えばバージ型は造船所のドックで製造し、そのまま海へ引っ張り出すことができるというメリットを持っています。
「我々のドックは、非常に幅が広いこともあって、対応できる浮体式構造物も多い。ドックを有効活用しながら脱炭素エネルギーの分野に今後向けて活用していきたい」(下村社長)
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横須賀造船所。追浜沖の埋め立ても住友重機械工業が手掛けた。巨大なゴライアスクレーンが目を引く(深水千翔撮影)。
新造船事業撤退に伴って空いた場所は、グループの住友建機が大型油圧ショベルの新工場を建設し、これまでの千葉製造所を中・小型のショベルの生産に特化させて油圧ショベルの増産に対応する方針です。また、港湾クレーンのような大型クレーンの製造も横須賀製造所で行っていきます。
横須賀造船所を象徴する巨大なゴライアスクレーンの下で新しい船が建造され、最終船が引き渡されるまで2年を切りました。横須賀における大型商船建造の歴史が幕を下ろそうとしています。

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