キッチンカーで家計を支えながら…息子のためにスケボーパークを建設 骨折しても熱があっても毎日練習 夢は「オリンピック選手」

2021年に行われた「東京2020 夏季オリンピック」で若い選手が活躍し、注目を浴びたスケボー。日本人メダリストが誕生したこともあって、子ども世代でも競技人口が増えています。そんな中、三重県津市でスケボーに明け暮れる12歳の少年と、彼の夢を応援する家族の姿が。息子のために、スケボーパークまで作った家族に密着しました。
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三重県津市の小学6年生・斉藤瑛吉くん(12)は腕を骨折しても、少々熱があっても、毎日必ずこのパークでスケートボードの練習をしています。
(小学6年・斉藤瑛吉くん)「技に乗れた時に盛り上がったりするところが(楽しい)。目標はオリンピック選手になること」
瑛吉くんは、物心がついた頃からスケートボードで遊び始め、小学1年から本格的に競技として打ち込みます。2023年11月に行われた大会では“フリップバックリップスライド”という大技を成功させ、全国4位の成績を残しました。家族からの並々ならぬ応援も。いつも練習している2023年11月に誕生した「グーフィースケートパーク」。実はここ…
(小学6年・斉藤瑛吉くん)「この練習場は、俺のお母さんが作った。家の近くにできて練習する時間も増えたし、めっちゃいい」
なんと、母・ももよさんが瑛吉くんのために作ったスケボーパークだったのです。
(瑛吉くんの母・ももよさん)「毎日子どもをスケボーに連れて行っていた。けっこう時間もかかるし、お金もかかるし大変だなと思っていて」
以前は練習のため、自宅から遠い名張市や松阪市などに通っていた瑛吉くん。送迎で往復2時間ほどかかっていました。母・ももよさんは、その時間がもったいないと考え、練習場を作ることを決めたのです。
(瑛吉くんの母・ももよさん)「ママなりの応援の仕方というので、背中を押すじゃないけど、ママも一緒に頑張っているというのを見せたかったから、作ろうと思った」
CBC
ももよさんの仕事は、キッチンカーでの移動販売。看板商品はボリューム満点のハンバーガーです。県内各地のイベント会場で販売していて、大勢の常連もいるほどの人気ぶり。父親も塗装工として働いていますが、パーク建設の資金を簡単に出せるほどの余裕があったわけではありません。それでも。
(瑛吉くんの母・ももよさん)「パーク作りをやろうと思ったのは、2年前くらいにパパが言い出した」
子どものために思い切って作ることにしたスケボーパーク、1番大変だったのがもちろん資金面です。クラウドファンディングで600万円以上を集め、残りの約2000万円は銀行から借り入れましたが、建設場所探しにも苦戦。
(瑛吉くんの母・ももよさん)「音もするから、周りに家とかがあるとあかんし。場所探しに1年くらい苦労した」
高速道路のインター周辺の畑や空き地が広がる一角に場所を見つけ、2023年夏頃に工事がスタート。子どもたちもペンキ塗りなどを手伝って、2023年11月に完成しました。
ジュニアの全国大会の規格と同じ120センチの高さのコースのほか、お椀型の「パーク」と呼ばれるコース、さらには手すりなどの障害物がある「ストリート」というコースなど、合わせて5つのコースが完備され、1回1000円の練習場として営業することに。オープンには千葉や愛知など全国からスケボー仲間が訪れ、初滑りを楽しみました。
(千葉県から)「友達のパークだし、楽しいしうれしい」
スケボーを楽しむ仲間にも、笑顔が浮かびました。
CBC
2024年1月9日、全国大会は4日後に迫っていましたがパークに瑛吉くんの姿はありません。瑛吉くんは大会直前にまさかの体調不良。去年好成績を残した選手だけが出られる大会です。大会当日、会場の千葉・幕張のパークに瑛吉くんの姿がありました。腕の骨折も風邪も治りきっておらず、体調は万全ではありませんが、小学生最後の全国大会ということで、強行出場です。45秒間で16回から18回繰り出される技の、難易度や完成度を競う大会には、小学生と幼稚園児あわせて87人が参加しました。果たして上位6人の決勝に進む事は出来るのでしょうか。
しかし、会場に母・ももよさんの姿はありません。ももよさんは津市内でキッチンカーの営業中、ハンバーガーを作りながらWebで試合の様子を確認していました。
(瑛吉くんの母・ももよさん)「仕事があるのもそうだけど、絶対会場では見られない。怖くて…」
パーク作りの借金も返さなくてはならないため、仕事をしながら声援を送ります。いよいよ瑛吉くんの出番。この時点で6位の選手の75.77点を超えれば決勝戦に進むことができますが、今までの最高点は68.77点。自己ベストの更新が必要です。
序盤2つの技を落ち着いて決めた瑛吉君でしたが、その後のボードを半回転させて着地する技は失敗。骨折した腕はギプスのまま、それでも懸命に挑戦します。結局、思い通りの演技はできないまま45秒が終了しました。
(小学6年・斉藤瑛吉くん)「悔しいです。でも、最後に楽しく滑れたと思う。ここまで来させてくれたのも、お母さんだからありがとうという気持ち」
結果は残念ながら予選落ち。次は、中学で日本一を目指す決意を新たにした瑛吉くんでした。
(瑛吉くんの母・ももよさん)「風や骨折でも諦めないで行ったところが一番瑛吉のすごいところだと思う。(Q.帰ってきたらどう声をかけたい?)とりあえず抱きしめてやろうと思う」
今日も、あのスケボーパークで瑛吉くんは家族と一緒に夢を追っています。
CBCテレビ「チャント!」1月17日放送より

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