能登半島地震から1か月 変わらぬ風景 進まぬ撤去作業「ライフラインの復旧が優先で手が回ってない」

能登半島地震発生から、1か月が過ぎた。石川・輪島市を中心に現場を取材。被災した現地を直接見た。(樋口 智城)
* * * *
1月30日に石川県金沢市に入り、翌日には輪島朝市の火災現場跡を訪れるなど、約3日間、被災地を歩いた。焼けたビルは骨組みだけを残し、海風に吹きさらし。乗用車の焼け跡、土台だけを残した住居。火災直後から全く変わらぬ風景が、そこにあった。
輪島市街地の倒壊した7階建ての「五島屋ビル」も倒れたまま。道の真ん中で30センチ隆起したマンホール、30度ほど傾いて道に倒れそうになっている電柱、道はワニの口のように裂け、タイヤ痕がべっとりとついていた。車が裂け目にはまり、パンクしたのだろう。時は止まったままだった。
市関係者は言う。「ライフラインの復旧が優先で建物撤去まで手が回ってない」。数人の輪島市民に聞いたが、全員が「仕方ない」「優先はまず断水が解消すること」。がれきの撤去どころではない、住民の現状が垣間見えた。
交通事情は徐々に改善している。金沢から輪島までは、レンタカーで3~4時間ほどだった。金沢市でみなし仮設に住む人が「道が開通してすぐの頃は11時間かかった」と話していたことを考えると、急ピッチで進められたことが分かる。
変わらぬ朝市の焼け跡には、今も住民らが訪れる。何か焼け残ったものはないか探すためだ。塩製造業を営む中道肇さん(65)は、なじみの食堂の前で「あっ、俺が20年使ってきた包丁や」と叫んだ。焼け焦げて表面は赤茶色に酸化していたが「なじみの相棒。研いで使うよ」。震災が日常を突然奪ったことを、理解した。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする