〈神田正輝、復帰!〉「わびしくて見ていられなかった」「休んでた理由なんて言う必要ないよ、正輝は二枚目スターなんだから」高校の先輩でもある盟友・黒沢年雄の秘めた思いとは

一部報道では「極秘手術を受けていた」とも囁かれていた俳優の神田正輝。自身が司会を務める『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)は9週連続で休み続けていたが、1月27日の生放送で復帰。休んでいた日々のことには一切触れなかったものの、得意のダジャレを連発するなどして番組を盛り上げた。かねて自身のブログで「正輝、大丈夫」と呼びかけていた俳優の黒沢年雄さんは、番組をどう見たか…?
神田正輝さんの同番組の司会出演は、松田聖子との離婚直後の1997年4月からで、約30年にも及ぶ。2021年に石原プロが解散してからは、俳優業のほうは“ほぼ引退状態”と囁かれてもいた。芸能関係者は言う。
2021年、石原プロ最後の仕事始めにて、舘ひろしと笑顔の神田正輝(写真/産経新聞社)
「2021年12月に娘の神田沙也加さんが急逝した直後の同番組生放送にも出演し、視聴者からは『神田さんのプロ意識の高さはすごい』などの声も上がっていました。昨年11月18日の放送回から欠席しており『72歳で初めて体のメンテナンスをすることになりました。きちんとメンテナンスをしてすぐ戻ります』とメッセージしていました。その間も女性週刊誌などが直撃取材を敢行したり、つい数日前には『内臓に異常が見つかり手術を受けていた』『スキーなどで毎年通っていた志賀高原にも昨年末は姿をみせなかった』などといった、健康不安説も連日のように報じられていました」27日、神田は、久しぶりの番組出演に紺のブレザーに薄いピンクのシャツ姿で現れた。白髪でやせ細っていたものの声にはハリがあり「長いお休みありがとうございました。ゆっくり休めました。でも寒くなりましたね」と列島を襲う寒波に言及した。その後も、スタジオに提供された「鯛茶漬け」もモリモリ食べ、勝俣州和から「よく噛んで下さいね」のツッコミに対し「噛んだ正輝です」などとダジャレで応酬。また、大仁田美咲アナがゴルフ場で鯛茶漬けを完食するVTRの際には「この美味しさ、ホールインワンです!」と言うと「意味わからないよ、これ」と、おなじみのツッコミ合戦も繰り広げた。神田とは同じ日本大学高校出身で、プライベートにおいてもゴルフ場やテニスクラブなどで何度も一緒になったという俳優の黒沢年雄は、10週ぶりの神田さんの生放送出演を見て、こんな思いだったという。
「僕なりにも生きる美学はあるが、正輝はそれ以上の美学があるはずで、それを思うと、なんとも言えない気持ちになってしまって、番組を見続けることができなかった。そのままチャンネルを変えました」神田との思い出話をあらてめて振り返る。「正輝は高校時代に先生から『あの東宝ニュータレントの黒沢も日大出なんだ』と聞いていたらしく、事件記者ドラマ『いろはの”い”』で共演したときから『先輩!先輩』って慕ってくれてね。食事やゴルフに行ったり、同じテニスクラブでプレーを楽しむ仲だった。本当に嫌味もなければ媚びへつらうわけでもないし、愛嬌も品格もある男だったんですよ。僕は若い頃むちゃくちゃしてたけど、彼からはそういう育ちの悪さも一切感じないし、正統派の二枚目スターでしょ? だからこそさ、わびしく感じて見てられなかった」わびしい、とはどんな感じかと聞くと…「言葉じゃうまく言えないよね。僕はこれまで大腸がんなどいろんな病を患いましたが、あの当時は子どもが育ち盛りの時分にも関わらず低迷期で、来る仕事を断るわけにいかなかったからバラエティ番組でもなんでも出たんですよ。それで全てを曝け出したんです。そうすることで子どもも成長できたし借金も返せた。一方で正輝はさ、離婚した後も娘さんが亡くなった後も余計なことは何も言わずに押し通してきたんだから、もっと長く休んで“1年ぶりでーす”って、素敵に元気な姿を見せるのでよかったと思うんだよ。だけど、番組側への思いもあったのか、それはわからないけど、とにかくあの姿にわびしさを感じたんだよ」
27日の放送回では、神田さんは「体のメンテナンスの内容」や、一部報道にある「内臓周辺の手術」の真偽については一切触れなかった。これについても黒沢は言う。「そんなの、言う必要ないよ。正輝は二枚目スターなんだから。テニスやゴルフ以外にもスキーもプロ級の腕前で、最高にカッコいい。プライベートなことの公表は俳優のタイプによって言う言わないは、分かれて当然です。これがね、個性派俳優なら言ったほうがいいだろうけどね。僕は正輝には美学を貫いてほしかった。でも長年お世話になったテレビ局に自分を捨てても恩返しの義理を果たしたかった…というのが正輝の美学なのかもしれない」
スキーはプロ級の腕前だという(「週刊明星」1980年4月6日号・撮影/横谷弘文)
黒沢さんの言う“スキーもプロ級の腕前”という言葉を裏付ける誌面が雑誌「週刊明星」(1980年4月6日号)にあった。タイトルは「芝居ってスポーツみたいにうまく行かないんだよな」で、苗場のゲレンデでスキー板を巧みにあやつり、弾ける笑顔で映る29歳当時の神田の姿がある。当時のインタビューではこう語っていた。「学生時代は1年のうち3分の2ぐらいは山暮らしだったほどのスキー狂。この苗場のゲレンデも自分の庭みたいなもの。自分の生き方を振り返ってみて危険をサッとかわしたりスピードを殺したりするスキーのコツがとても役立ってると思う。芝居もスキーのようにうまくやれればと思うよ」またテニスで身構えスマッシュを決める大腿直筋のたくましさも同誌では披露しているが、「体動かしてる時にはいい汗かくのに…」と、芝居の難しさ、思い通りにいかない歯がゆさについても吐露していた。
テニスの腕前も抜群だという(「週刊明星」1980年4月6日号・撮影・横谷弘文)
番組の締めの挨拶では「さあ、また来週です。すてきな週末を! 旅に行きましょう」と呼びかけ、両手を大きくあげて手を振った神田さん。きっと来週の『旅サラダ』にも元気に出演し、旅の素晴らしさを伝えてくれることだろう。
週刊明星 (刊明星 」1980年4月6日号)
取材・文/河合桃子集英社オンライン編集部ニュース班

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