自衛隊ヘリ「チヌーク」なぜ重宝? 能登と瀬戸内海で“2正面作戦” ところで「オスプレイ」は?

自衛隊の大型輸送ヘリCH-47「チヌーク」が能登半島地震でも多用されています。陸自と空自が保有する、ふたつのローターを備えた特徴あるヘリ。「オスプレイ」が導入されても使われ続けるのには理由がありました。
2024年1月1日に発災した「令和6年能登半島地震」によって、震源にほど近い能登半島のいたるところで土砂崩れや津波が発生しました。その影響によって救援活動のための車両が渋滞で動けなくなったり、物流が滞ったりするなどして、孤立地域の避難所のなかには物資不足が発生したところも出ています。
このような事態は今回の能登半島地震だけでなく、過去、東日本大震災や熊本地震、胆振東部地震でも同様に発生しています。こうした時に頼りになるのが航空機、とりわけヘリコプターによる空輸性能でしょう。
遠隔地から応援要員や支援物資を送る場合、近傍の空港までは航空自衛隊の輸送機が用いられますが、固定翼機の離着陸には長い滑走路が必要で、加えて拠点となる空港や基地は限定されます。そこで重用するのが、回転翼機であるヘリコプターです。
自衛隊ヘリ「チヌーク」なぜ重宝? 能登と瀬戸内海で“2正面作…の画像はこちら >>改良を重ね、今後も使われ続けるといわれているCH-47J/JA「チヌーク」輸送ヘリコプター(武若雅哉撮影)。
ヘリコプターであれば、垂直離着陸ができるため、長い滑走路を必要としません。空港などの拠点に集められた支援物資や救援要員を、被災地の避難所近くまで直接運び込むことができ、陸路での移動経路は最低限の距離で済みます。
日本では自衛隊だけでなく、消防や警察、海上保安庁、さらには都道府県までさまざまな組織が多種多様なヘリコプターを運用していますが、その中でも最大の空輸能力を持つのが陸上自衛隊と航空自衛隊が持つ大型輸送ヘリコプターCH-47です。
「チヌーク」の愛称で知られるこの大型ヘリコプターは、今回の能登半島地震でも多用されていますが、同機を真っ先に導入したのは航空自衛隊でした。1984(昭和59)年から導入が開始され、へき地にあるレーダーサイトなどへの物資空輸を主任務としています。
そして航空自衛隊の導入から2年ほど遅れた1986(昭和61)年には、陸上自衛隊もCH-47Jを導入しています
陸上自衛隊が導入したCH-47Jの、最初の大規模災害派遣は1995(平成7)年1月17日に発生した阪神淡路大震災だといわれています。
その後、2004(平成16)年の新潟県中越地震、2007(平成19)年の中越沖地震でも航空偵察や人員輸送、物資輸送などで使用されています。近年では、航続距離を伸ばすため、燃料タンクを大きくし、気象レーダーなどを搭載した改良モデルCH-47JAがメインになりました。
そのようなCH-47ですが、活躍の場は国内だけに留まりません。海外での災害においても派遣された実績を持っています。2005(平成17)年にインドネシアで発生した地震と津波による災害時には、バンダ・アチェ地域への医療・防疫活動のために派遣され、2010(平成22)年にパキスタンで発生した洪水水害では、同国のおおむね中央に位置するムルタン市へ物資輸送で投入されています。
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輸送艦「おおすみ」の航空管制室から発艦するCH-47JA「チヌーク」を見た様子(画像:海上自衛隊)。
海外に派遣される時に、CH-47は自力で飛行していくことはしません。なぜならば、飛行可能な航続距離が最新式のCH-47JA型でも約1000kmとなっているため、被災地が遠い場合は何度も離着陸を繰り返し、給油と整備を行わなければならないからです。また、飛行時間ごとに決められた整備も行わなければならないので、自力で遠方まで飛行していくのは燃料と労力を浪費してしまうことになります。そのため、海外に赴く際には、海上自衛隊の輸送艦などに搭載されて出国することになります。
洋上を航行するときには、大きな2枚のローターは外され、塩害からの被害を抑えるためにつなぎ目にはマスキングが施され、機体全体が白い生地で覆われます。こうして遠洋航海した後に、現地にて封印が解かれ、再び空へと舞い上がるのです。
陸上自衛隊と航空自衛隊合わせて、日本では60機あまりが運用されているCH-47「チヌーク」ですが、その一方で陸上自衛隊には似たような装備として、ティルトローター輸送機V-22「オスプレイ」があります。両者はどのように使い分けられているのでしょうか。
実は両者には明確な違いがあります。それが搭載能力と飛行速度です。搭載能力に優れているのはCH-47です。機内に陸自の高機動車などを搭載して飛行することも可能で、さらにはV-22より重いものも吊り上げることが可能です。
一方、飛行速度と航続距離に関しては、飛行機(固定翼機)と同じくらいの速度が出せるV-22に軍配が上がります。同じ場所から同時にスタートした場合はV-22の方が先に到着するので、同機が人命救助用の人員と物資を真っ先に被災地に投入して、後からCH-47が各種の支援物資を大量に空輸してくるというパターンもあるのではないかと考えられます。
ただ今回、陸上自衛隊がV-22を今回の能登半島地震に投入することはありませんでした。それは能登半島特有の山がちな地形と、すでに多くの防災ヘリや自衛隊のヘリが現地で活動しているため、「オスプレイ」と飛ばす必要がないと判断したからではないでしょうか。
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ゆくゆくは災害派遣にも使われるであろう陸自のティルトローター輸送機V-22。陸上自衛隊では「オスプレイ」ではなく「ヴィーナス」と呼ぶことが多い(武若雅哉撮影)。
なお、陸上自衛隊のCH-47は、能登半島地震だけでなく、1月13日に広島県の江田島で発生した山林火災においても出動しています。
こちらは装備名「野火消火器材I型」と呼ばれる空中消火用バケット、通称「バンビバケット」を使う形での災害派遣で、空から最大7600リットルもの水を撒いて延焼を食い止めていました。
言うなればCH-47は、能登半島と瀬戸内海で「2正面作戦」を展開していたと形容できるでしょう。このように同機は、日本が保有するヘリコプターの中で最大の積載量を誇るという点を活かして、今後も自衛隊の活動を支える必要不可欠な「翼」として日本の空を飛び続ける予定です。

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