〈元講談社編集者・妻殺害裁判〉なぜ最高裁は審理を差し戻したのか? 争点は額の傷と血痕。地裁判決を覆す新証拠提出も、高裁が有罪ありきのストーリーを描いた可能性も?

2016年8月、勤務先からほど近い東京都文京区の自宅で妻、佳菜子さん(当時38)を殺害したとして殺人罪に問われている講談社の元社員で、敏腕マンガ編集者の朴鐘顕(パク・チョンヒョン)被告(48)。事件から7年以上を経た2024年現在、東京高裁で差し戻し控訴審が開かれている。1審と2審では殺人罪で懲役11年などの有罪判決が出ていたが、「事実誤認の疑いがある」と最高裁がこれを破棄し、差し戻したのだ。近年の殺人事件の裁判で、最高裁が判断を覆すケースは非常に珍しい。果たして敏腕マンガ編集者は妻を殺害したのか、それとも司法制度の根幹を揺るがす、えん罪事件なのか……。
妻に対する殺人ですでに2度、有罪判決を言い渡されている朴被告は「間違っている!」「やっていないよ!」と法廷内で叫んでいた。そんな朴被告の無罪を信じ、4人の子どもたちは帰宅を切望しながら面会に通い、亡くなった佳菜子さんの親族も朴被告を支援している。2022年11月に最高裁が異例の判断をする前には、NHKが踏み込んだ番組を放送をしたことが話題になった。司法担当記者が解説する。「2022年4月にNHKの『クロ現』(『クローズアップ現代』)が朴被告の事件について、まるでえん罪事件のように報じたんです。高裁判決が出て、最高裁がまだ何の判断もしていない段階です。今話題になっている袴田事件(1966年)のころならまだしも、近年、しかも殺人事件でえん罪が起こるとは考えにくい。マスコミも司法判断に逆らわずに、容疑者を犯人視する報道をしてしまいがちです。
朴鐘顕被告
そんななか、『クロ現』は朴被告の事件について独自に分析し、佳菜子さんの産後うつの状態など、法廷でしっかりと議論されていない部分に着目しました。朴被告が白か黒かを断定はしませんでしたが、裁判の足りない部分を指摘し、実質的にやりなおすべきだという内容でした。NHKが、有罪判決が2度出ている裁判についてこのように放送したことは司法記者界隈で大きな話題になりました」朴被告は2022年4月配信の「週刊朝日」のインタビュー記事で佳菜子さんが第4子を出産してすぐに、子どもの1人に脳性麻痺があることが発覚し、自分を責めていたことを明かしている。事件当日にも、佳菜子さんは子どもの障害の関係で病院に行っていたといい、朴被告に「涙が止まらない」などと、精神的に正常ではない様子のメールを多数送っていた。「基本的に殺人ありきで裁判が進んでしまったため、佳菜子さんの精神状態がどのようなものだったのかという部分についてなど、しっかりと調べられていないことを『クロ現』は問題視していました」(同記者)
「クロ現」の報道は朴被告にとっては追い風となったのだろう。最高裁は2022年11月、「関連する証拠の審理が尽くされておらず、重大な事実誤認の疑いがある」と審理を高裁に差し戻した。言わずもがな日本の裁判制度は三審制で最高裁まで争えるが、実際に最高裁で審理が覆るケースはほとんどない。にもかかわらず、殺人という重大犯罪で、最高裁が今までの裁判結果を破棄してやり直させるという異例の判断をしたのだ。
最高裁判所
その争点となったもののひとつに佳菜子さんの額にあった3センチほどの深めの傷がある。この傷からは出血があり、佳菜子さんの衣服にも付着していた。遺体を切っても出血はしないため、心臓が動いているときにできたものとされるが、弁護側は「もみあいの後に佳菜子さんが負った傷で、自身は関与していない」と主張している。つまり寝室では殺していないという根拠のひとつだ。「これに対し検察は、この傷が朴被告が佳菜子さんを絞殺し、まだ心臓が動いている段階で階段から突き落とした際にできたものと反論しました。死の間際だが、まだ心臓が止まっていないから出血したという主張です。1審の東京地裁は血痕の箇所が15ヶ所と少ないことから、検察の主張を認めた。弁護側の主張が正しいとすると、血痕が少なすぎるという論理でした。しかし、2審で新たな証拠が提出され、血痕が28ヶ所もあった。すると、高裁は地裁の判断を誤りとしながらも、『意識があるときの傷ならば、遺体の顔や手に血の跡は残るはずだが、それがないことからやはり検察側の主張が正しい』と認定し、有罪判決とした。生きている普通の人ならば出血していれば、それを拭ったりするということです。
東京高等裁判所
ただし、この顔の血痕の有無は、裁判所が突然、持ち出した“不意打ち”ともいえるものでした。裁判では顔の血痕は話題になっておらず、議論されていないものを持ち出して有罪判決を書いたんです。しかも顔の写真は不鮮明なもので、後に弁護側が入手した鮮明な写真には血の跡も残っていた。このあたりも含め、有罪ありきのかなり荒い内容の判決だったんです」
最高裁はこれらの点を見逃さずに高裁判決を破棄し、審理を差し戻す決定をし、2023年10月以降、差し戻し審が高裁でおこなわれている。「差し戻された以上、顔の傷や佳菜子さんの精神状態に加えて、詳細な内容もしっかりと吟味せざるを得ません。例えば、布団にあった佳菜子さんの尿反応ですが、検察は首を絞められている段階で失禁したとの見立てですが、専門家の中には必ずしも命を落とすほどの窒息でなくとも失禁はしうると説明する人もいます。だとすると、なかなか殺人だと立証するのは難しいかもしれません。そうなれば、捜査当局にとっては大問題で、長期間不当に朴被告を拘束していたことになります。ただし、検察だけでなく裁判所までもが一度はクロと判断した事件ですから、そう簡単に無罪判決ともいかないでしょう」(同)
死亡した佳菜子さん
発生時に生まれたばかりだった第4子も小学生になっており、朴被告の帰宅を心待ちにしているという。真相の解明が待たれる。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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