1996年4月12日。本社編集局のテレビの前で、固唾(かたず)をのんで発表を待っていた記者たちから、一斉に歓声が上がった。 橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が記者会見し、米軍普天間飛行場の「5~7年内」の移設条件付き返還を発表したのである。 歴史が動いたという実感とともに、疑問や懸念が頭をよぎった。さまざまな条件が付いていたからだ。 あれから28年になる。 移設計画は着地点が見いだせないまま漂流し続けた。 2006年に日米が現行「V字形滑走路案」に合意した後も、民主党政権の下で混迷を深めた。安倍政権になって強硬一点張り路線が県民の激しい反発を招き、対話による解決は遠のいた。 そして政府は代執行という前例のない手段を行使し、今月10日、ついに大浦湾側の地盤改良・埋め立て工事に着手した。 深刻なのは、司法の判断に従って地方自治法に基づいて粛々と進めているだけだという理解が、政府自民党やその周辺を覆い尽くしていることだ。 沖縄にとって、それがどういう歴史的意味を持つか。そのことを適切に指摘しているのは実は日本側ではなく、米国の元国防総省高官である。 「辺野古移設は問題の根本的解決策ではない」「出発点は、沖縄と本土間の不均衡な兵力配分の見直しだ。移設したとしても、沖縄県内であれば、不均衡は是正されない」(昨年11月19日付2面)■ ■ 配置先に柔軟な米側と違って、日本政府は県内移設にこだわり続けた。本土移設は政治問題を引き起こす、との理由で。 政府のこの姿勢は今も変わっていない。 抑止力の維持と沖縄の負担軽減。政府はこれまで、事あるごとにこの二つを強調してきた。 この問題に関わった当時のペリー国防長官は辞任の送別会で、皮肉を込めてこう語ったという。「矛盾する内容で、神様だってできない」 在沖米軍幹部は昨年11月、報道各社への説明会で、辺野古移設について「最悪のシナリオ」だと語った。 一体、何のための、誰のための事業なのか。「軍事合理性」「民意」「自治」「環境への影響」「完成時期」-多くの点で疑問符が付く。 名護市辺野古の新基地建設は今や、明確な目的を見失ってしまった。 かつての日本軍のように、もう引き返せないという理由だけで、先の見えない工事を進めているように見える。■ ■ 16年6月、国地方係争処理委員会は国土交通相の是正の指示について、違法か否かの判断をしなかった。 その代わり、普天間返還という共通の目的の実現に向け、国と県が「真摯(しんし)に協議するべきである」との見解をまとめた。 この精神を生かすため、代執行による埋め立てをいったん中断し、国と県で検証委員会を設け、解決策を探るべきである。それが最もまっとうな道だ。