心理学では、嫉妬というのは「自分より下」の人に抱く感情と言われています。日ごろ、ちょっと下に見ていたあの人に何かいいことがあると、むきーっ、許せない! となってしまうわけです。その一方で、大谷翔平選手があれだけ大活躍しても、誰も嫉妬めいたことを言わないのは、自分には到底かなわない才能の前には、素直にひれ伏すしかないのでしょう。
○同じ高校に現れた天才2人は陰と陽、真逆のタイプだった
大衆は天才、とりわけ大天才が好き。しかし、そんな人は何十年に一度しかお目にかかれない人たちです。それなのにどういう星のめぐり合わせか、一つの高校の同じ学年に二人の大天才が現れたのです。ひとりは清原和博氏、もう一人が桑田真澄氏です。私立高校の格は、東大合格者を出せているか、甲子園に出場できているかで判断されると聞いたことがありますが、この清原、桑田、略してKKの存在によって、PL学園の名は日本中にとどろいたのでありました。
KKコンビの面白いと思うところは、二人がタイプの異なる大天才に見えるところ。大阪の下町に生まれ、特別にお金持ちということはないけれど、ご両親に愛され、お母さんにお尻を叩かれて育った清原サンが陽の天才なら、事業に失敗したお父さんが、息子をプロ野球選手に育てようと子どもの頃から猛特訓したのが桑田サン。子どもの頃、お母さんが自分は「お腹がいっぱいだから」と自分はあまり食べずに子どもたちにご飯を食べさせていたそうですが、桑田少年は実はお金がなかったために、お母さんは我慢していたのだと気づいてしまいます。プロ野球選手になって、お母さんに家を建ててあげると少年は決心。お父さんのスパルタ練習にも耐え抜くなど、日本人の大好きな種類の暗さを持っています。
○理不尽なイジメを経験し、大人の思惑にも振り回される
ご本人がYouTubeチャンネルで発言したことを総合すると、大天才というのも生きにくそう。桑田サンは3年生ながら、近所のソフトボールチームに入り、ピッチャーを命じられます。レギュラーは5、6年生ばかりですから、当然面白くない。監督やコーチのいないところで、強い球を顔めがけて投げられるなど、理不尽なイジメを経験しています。中学生になると、野球部に入りますが、誰も桑田サンのボールは打てないので、外野に全く球が飛んで行かなかったという逸話が残っています。
オトナの思惑にも悩まされたようです。プロ野球選手になるという目標をすでに持っていた桑田サンは、PL学園に進学したいという夢を持っていましたが、「桑田クンをわが校に入れてくれたら、他の野球選手数名もうちが面倒を見ましょう」というバーター契約を勝手に大人が結んでしまったため(当時はよくあることだったそうです)、自分の希望した学校にもあやうく行けなくなるところだったそうです。
ようやくPL学園に入ったものの、投球のフォームをコーチにいじられた結果、思うような球を投げられなくなってしまい、野手に転向させられます(その頃、清原サンは上級生にまじって練習するなど、期待された存在だったそうです)。しかし、桑田サンが野手としてバックホームに投げたボールを見た、トッツァンと呼ばれるコーチが才能に気付き、つきっきりでコーチをしたところ、キレのあるボールが投げられるようになったといいます。コーチは桑田サンを甲子園の予選で使うよう監督に進言、「桑田で負けるようなことがあったら、ワシは野球界から足を洗う」とまで言ったそうですから、どれだけ才能にほれ込んでいたかがわかるというもの。そして、実際に大阪府の大会で優勝してしまうのです。しかし、数カ月前まで中学生だった少年がいきなりピッチャーになるとは、先輩たちは面白くない。嫌味を言われたり、脅されたりとかなりのプレッシャーがかけられたそうですが、1年生をピッチャーにすえたPL学園は優勝してしまうのです。
○大きな目標を忘れない人、桑田真澄サンの名言「常に常識を疑え」
桑田サンの発言を聞いていると、常に大きな目標を忘れない人なのだと思わされます。40歳まで現役でいたいと思っていた桑田さんにとって、練習での投げすぎは悩みのタネでした。投げすぎが原因で怪我をし、野球が出来なくなったら、プロ野球選手になるという夢はかなえられなくなってしまうからです。桑田さんは監督に、練習時間の短縮を進言。短い時間で集中して練習したほうが効果的なことを訴えますが、監督は「優勝したからといって、天狗になってる」と激怒。しかし、「甲子園に出られなくなったら、すぐに戻す」という条件で、練習時間は短縮されたそうです。涙のドラフト事件(巨人が清原氏を指名すると思われていたのに、なぜかドラフト本番では大学進学を表明していた桑田さんが指名された)で、巨人入りしたことで“裏切者”扱いされたりしましたが、プロ野球選手になってお母さんに家を建ててあげる、40歳まで現役でいるという彼の方針から考えると、その選択は裏切りだと私は思いません。
桑田サンと言えば早くから科学的なデータを重視し、巨人在籍時代に、移動の際のバスを禁煙車と非喫煙車に分けてくれと進言し、うとまれたという週刊誌の記事を読んだことがあります。今でこそ、アスリートがタバコを吸うとは意識が低いとみなされますし、分煙は一般人の間でも当然の権利と考えられています。しかし、当時の野球選手はタバコを吸い、二日酔いで試合に出ても活躍するのが男らしいとか、一流の証とされていた時代ですから、無理もなかったことでしょう。清原さんが情で人を魅了する大天才なら、桑田さんは理の大天才と言えるのではないでしょうか。
現在、大谷翔平選手は二刀流で大活躍中ですが、桑田さんの時代にそれは絶対許されないことでした(桑田サンはバッティングセンスにも定評がありました)。二兎を追う者は一兎をも得ず、と考えられていたのでしょう。そんな時代の変化について、桑田さんは「常に常識を疑え」と話していました。確かに、練習中は水を飲まないとか、うさぎとびが体力づくりにいいなど、私が若い頃“常識”とされていたことは、今ではことごとく否定されています。しかし、世の中というのは、そう簡単に変わりませんし、正しいことを言う人ほど、おかしい人、面倒くさい人扱いされることも多々あります。甲子園で優勝したからこそ、練習時間短縮が認められたように、実績のない人が言うと、聞く耳を持ってもらえないこともある。こうやって考えていくと「常識を疑う」というのは、実績を上げながらも、裏切り者と言われることも厭わない、孤高の覚悟が必要なのかもしれないと思うのでした。
仁科友里 にしなゆり 会社員を経てフリーライターに。OL生活を綴ったブログが注目を集め『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。「間違いだらけの婚活にサヨナラ」(主婦と生活社) が異例の婚活本として話題に。「週刊女性PRIME」にて「ヤバ女列伝」、「現代ビジネス」にて「カサンドラな妻たち」連載中。Twitterアカウント @_nishinayuri この著者の記事一覧はこちら