日本を代表する社会学者・大澤真幸さん、新たな“問い”を誘発する存在が「先生」 分野を問わず独自の考察

日本を代表する社会学者のひとり、大澤真幸さん(65)の「私の先生 出会いから問いが生まれる」(青土社、2200円)が、昨年11月の出版以降、静かな話題を呼んでいる。哲学、歴史から文芸、映画に至るまで分野を問わず、独自の考察で一般の人々にも分かりやすく届けてきた。著者の「師」を理解することは、知の巨人を形成した礎に触れるような喜びがある。(内野 小百美)
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「大澤真幸の本」を取り上げてみたいと思ったのは、学術書でなく「山崎豊子と〈男〉たち」(新潮選書)を読んだ6年ほど前にさかのぼる。「私の着眼点は、山崎豊子の『男』である。戦後の日本の作家の中で、彼女ほど『男らしい男』を造形しえた小説家はほかにいない」と言い切る「まえがき」に打ちのめされたからだった。
さらに映画でも話題にもなった「桐島、部活やめるってよ」を分析した講義も。エンタメでの洞察の鋭さにも興味を持ったが、「スポーツ新聞のインタビューは初めてじゃないかな」と大澤さん。他のメディアでは、江夏豊の話やW杯サッカーの原稿を書いたことがあるという。
「私の先生」は「僕の本では珍しく親しみやすいですね」とカラフルでかわいらしい表紙デザイン(装丁・堤岳彦)も手に取りやすい。大学から交流が始まる恩師、見田宗介氏(元東大名誉教授)【注】を始め、吉本隆明、中上健次、親鸞、織田信長、ドストエフスキー、ジャン・ジャック・ルソーなど15人の「先生」が登場する。しかし、一般の人たちには社会学者像からしてイメージしづらいものだ。
「解明したい問題がある時に学問の区切りは重要ではありません。何でもできるのが社会学」と分野の横断は自然なことで、「例えばルソーを勉強すれば知識が増えますよね。でも『ルソーに詳しくなってそれが何なの?』となる。ルソーを媒介に自分の生き方を含め、社会や世界との関わり方を学ばなければ意味がないのです」
国立大付属小に始まり、高校も県有数の進学校で東大に入学。経歴の活字からは学ぶ情熱に満ちあふれ、エリート街道をひた走ってきた印象を受ける。しかし学校をよく休む引きこもりがちな状態が高校まで続いたという。教員の父、元教師で専業主婦の母を持ち、年子の弟という家族で育った。安住の地であるはずの自分の家で違和感を覚えた。
「父の家族への愛情は希薄で、母は自分よりも弟に気持ちが傾いていると感じた。すごく引っ込み思案な子供で自分がゴミみたいなものに思え、ずっと寄る辺のない孤独感を抱えていたんですね」
哲学に強く導かれたのも「生きる意味を見いだせない」境遇の影響があっただろう。一筋の光が差し込むのは高1の時に読んだニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」。「書かれた切迫感が自分と重なった」。大学に入り、活力をもらい、人生を変えていくのが見田氏の講義だった。「生きることと学問がひとつになり得る。学問を通じ、人生で最も深刻な悩みや苦しみに対抗できる、と実感できたんです」。珍しい「真幸(まさち)」という名前。大学生で「真の幸せ」を感じる運命的な出会いだった。
先生と生徒。教わる側は完全な受け身と思われがちだが、大澤さんの考えは違う。「疑問の余地なくすべてを納得するのではなく、本質的な疑問が次々にわき出る」。新たな“問い”を誘発させる存在こそが「先生」だという。この本には教科書に出てくるような歴史的な偉人も多い。どの人物も視点や解釈が新鮮で印象的だ。
多忙な日々を送るが、スケジュール調整は全て自分で行う。今回も取材を担当編集者に打診した後は直接のやり取りだった。「受けるにあたって相手の意図やニュアンスを知るのは結構大事なんですよ」。この辺りにも小さなことをおろそかにしない人柄をうかがわせる。
いま受験シーズン。大澤さんの原稿は鷲田清一(哲学者)、外山滋比古(英文学者)の両氏と並んで大学現代国語の入試問題に採用される“頻出人”でもある。明解でありながら、読解力を要する文章であるためだ。かつて「研究する意味」(東京図書、小森陽一監修)で大澤さんは、感じたことをすぐ言葉にする重要性とともに「衝撃が薄れてしまった段階で書くと、内容の浅いものしか書けない」と私たち記者にも不可欠なことを述べていた。
実際に会って驚いたことがある。よどみなく語られ、博覧強記ぶりは分かる。ところが活字から受ける強さとは対照的に柔らかで控えめな口調で、考えを押しつける様子はまったくない。しかし取材を終えて参った。質問したい項目が新たにどんどん出てきてたからだ。そして気づく。大澤さんが、新聞記者をする中で自分の「先生」の一人であったことに。
【注】著書「現代社会の理論」「気流の鳴る音」などで知られた昭和を代表する社会学者。真木悠介の筆名も使った。22年4月死去。享年84。
◆大澤 真幸(おおさわ・まさち)1958年10月15日、長野・松本市生まれ。65歳。東大大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大文学部助教授、京大大学院人間・環境学研究科教授を歴任。月刊個人思想誌「大澤真幸THINKING『O』」刊行中、「群像」誌上で評論「〈世界史〉の哲学」を連載中。

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