能登半島地震後、迷惑系YouTuberの被災地入りや音楽家による「衣食住が整ってない時に音楽のボランティアは迷惑になります」といったSNS投稿が話題になっている。かつて東日本大震災で被災した人々は、今の状況をどう見ているのか。宮城県南三陸町と岩手県陸前高田の津波伝承館関係者らに話を聞いた。
ある音楽家が自身のX(旧Twitter)で「今回の地震でミュージシャンの演奏ボランティアは一旦待った方がいいです。衣食住が整ってない時に音楽のボランティアは迷惑になります」とし、「音楽家の出番はある程度、衣食住が確保されてから。東日本大震災の時の教訓です」と呼びかけたことが話題となり3万以上の“いいね”がついた。ユーザーからは「タイミングを間違えたらただの自己満足」「音楽を楽しむ環境をまずは整えないと」とのコメントが殺到した。
自衛隊によって運び込まれる物資(撮影/集英社オンライン)
これについて、震災当時は南三陸町の観光ホテル「南三陸ホテル観洋」に勤務し、現在は南三陸さんさん商店街事務局の佐藤潤也氏は言う。「僕の経験では、今が一番しんどいときだと思います。断水、停電、燃料不足による寒さはもちろん、トイレも足りないし、風呂に浸かって一息もつけない。空腹をしのぐ以上に再建の不安の中でなんとか日々を繋いでいることと思います。音楽を聴く余裕はないでしょう。僕は被災直後はホテルにいましたが、その後は両親のいる避難所の寺に合流したんです。そこから仮設住宅に入り、被災から5ヶ月後までいました」被災直後、何よりもほしかったのは靴下と靴だったという。「被災当時のままの靴下と靴をずっとそのまま履いてたもんだから、ものすごい臭いを放つんですよ。みんな同じです。寺ではお米には困らなかったから、側溝のU字溝とグレーチングを外して洗って、それで魚を焼いて食べてました。寺は近くの大きくて大人数いる小学校避難所よりも物資が届くのが遅かったですが、小学校に届いた物を分け合ったりしてね。タバコを吸う人はタバコが何よりもうれしいと言っていたし、本当に欲しいものは個々で違いますからね」物資受け入れで困ったものもあったという。「被災直後は全てが不足していたから、それこそ中古の毛布でも洋服でも何でもありがたかった。でもやがて新品などが潤沢に揃えば中古品は不要となってしまう。当時はとりあえず何でも送ってしまえというような感覚があったのだとは思いますが、やはりお送りいただくのであれば中古ではない新品の物のほうが長く重宝されるのだと思います」
東日本大震災直後の南三陸町(撮影/村上庄吾)
震災当時、宮城県南三陸町で43人が犠牲になった役場の職員で、住民の避難誘導にあたっていたために一命を取り留めた高橋一清さんにも話を聞いた。高橋さんは現在、震災伝承施設、「南三陸311メモリアル」の顧問を務めている。「あの日、町の幹部をはじめ多くの仲間は防災対策庁舎にいて、3階建ての屋上を超える高さの津波が押し寄せ43人が犠牲になり、助かったのは屋上のアンテナにしがみついた10人でした」「能登半島の人たちのことを思うとなんとも言えない気持ちだ」としながらも高橋さんは言う。「当時、被災者生活支援の部署にいたので、もちろん支援物資の振り分けなどを行なっていました。やはり中古の毛布や衣類などは新品が揃うと不要になる。とはいえ処分することはなく、リサイクル業者などに送って復興予算に換金したりもした。半月から1ヶ月ほどは届いた物資などをうまく配分していたが、おにぎりなどの食材が管理などの問題で糸を引くような状況になってしまい、処分せざるを得なかったものもあります」
「大事なのは違う規格のものをバラバラと」ではなく「同じ規格のものを大量に」だと言う。「違う物が種類多く届いても整理や配分に困り、味の違いなどでも好みで分かれる場合もあるので、やはり同じ味のものというか、同じ規格のものを大量にというほうが仕分けしやすいというのはあると思います」また、「現地のニーズと善意のズレが生じることがある」と言うのは「東日本大震災津波伝承館 いわて TSUNAMI メモリアル」の齋藤正文課長だ。「東日本大震災のときも日々、必要物資や環境のフェーズが変わっていましたので、報道で今流れていることが、明日も明後日も同じとは限らず、善意で送られてくるものが必ずしも現地のニーズと合致しないことがままありました。今は特に現地は緊急対応で手いっぱいで、ボランティアを受け入れる拠点さえも決めかねている状況だと思います。そのため運び込まれた物資を降ろす人手や、拠点に運ぶ役所の人手が足りない中で、受け入れる側の整備体制が進まないジレンマもあると思います」
東日本大震災直後の南三陸町(撮影/村上庄吾)
「今は音楽より優先すべきものがある」と齋藤課長も言う。「能登は半島という海に飛び出した地形柄、現地に向かう道路も限られます。今は物と人の流れが十分に円滑になるまで、もどかしいながらも我慢していただくときなのかもしれません。こうした緊急対応の段階では音楽より優先すべきものがあるのではないかとは思います。いずれ復興し、その地に住み続けられるように支援していくことが大事なので、今できることは義援金かもしれません。義援金なら、フェーズごとに必要な物が変わる被災地において必要な物に変えられるのですから」前出の佐藤潤也氏は言う。「私が身を寄せていたお寺にも、被災から半年経ったころに、う~みさんという歌手の方が来て下さいました。最初は“誰だろう”という感じでしたが、う~みさんは何度も足を運んでくれ、歌を届けてくれたし今もお付き合いがあります。辛かった時期に聞いた歌は、その後の人生においても励みになる。でも、それも日々の生活に慣れ、希望も芽生え始めたころだからこそ耳に届いた歌です。どうか皆さんには一過性ではなく長らく力づけてほしいと思うし、音楽を届けてくれるなら、一度と言わず何度も届けてほしいと思います」
珠洲市の避難所に運ばれた物資(撮影/集英社オンライン)
いま、できることは、いち早く被災地に向かうという行動ではなく、被災地からの発信に目と耳を傾けることなのかもしれない。
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