〈岸田首相襲撃から8カ月〉5つの罪で起訴された“空気みたいな男”の「今」。首相を救った勇敢な漁協の男たちは一連の“岸田批判”になにを思うのか?

和歌山市の演説会場を訪れた岸田首相が爆発物を投げつけられ、聴衆ら2人が負傷した事件が起こったのは4月15日のこと。この事件で和歌山地検は9月6日、襲撃犯の無職、木村隆二被告(24)=兵庫県川西市=を岸田首相らに対する殺人未遂罪に加え、爆発物取締法違反、火薬類取締法違反、包丁を隠し持っていた銃刀法違反、演説会を中止させた公職選挙法違反の計5つの罪で和歌山地裁に起訴した。
起訴状などによると、木村被告は2022年11月から23年4月15日ごろまでの間、自宅などで黒色火薬約560グラムを密造し、鋼管に詰めた「パイプ爆弾」2本を製造。同日午前11時25分ごろ、衆院和歌山1区補選の演説会場の雑賀崎漁港で、うち1本を爆発させて岸田首相らを殺害しようとし、警察官と聴衆の2人に軽傷を負わせたとしている。岸田首相は無傷で、木村被告は聴衆として居合わせた漁師に取り押さえられ、威力業務妨害容疑で現行犯逮捕され、火薬類取締法違反容疑でも再逮捕された。刑事責任能力の有無を問うために地検は5月下旬から約3カ月間、精神状態を調べる鑑定留置を実施していた。
警察官に取り押さえられた確保の瞬間(撮影/共同通信社)
前年に起きた安倍元首相の襲撃犯は、旧統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)信者二世で、同教会と関係の深かった安倍氏を標的にしたと動機を供述、後の解散命令につながる「世論」構築の引き金となったように見える。一方の木村被告は、2022年6月に被選挙権の年齢制限が憲法違反に当たるとして国を提訴(後に敗訴が確定)し、訴訟の書面で岸田首相への批判も展開していたが、襲撃事件の取り調べでは黙秘を貫き、動機などの肉声はいまだ伝わってきていない。兵庫県川西市の自宅周辺でも、事件の記憶はすでに薄れかけていた。近くに住む女性が語る。「事件前にはお母さんと事件を起こした息子さんが庭に出て花壇をいじっている姿を見かけたりもしました。仲のよさそうな親子で、息子さんも普通の方にしか見えませんし、会ったら挨拶もしていました。どちらかというとおとなしそうな印象でしたから、最初にあんな事件を起こしたと聞いたときはびっくりしました。お母さんは事件後しばらくご自宅をあけていたようです。当時はマスコミもたくさん来ていましたしね」
中学時代の木村被告(知人提供)
事件前、母親のガーデニングを手伝い、近隣からは「優しそうだった」「おとなしそうにみえた」といった印象を持たれていた木村被告。小学生時代は“活発な少年”だったが中学でガラリと変わったという。同級生は(事件当時)こう証言した。「木村くんは中学1年生のときにまわりから避けられてたようです。違う小学校から上がってきたクラスメイトと合わなくて、目をつけられてしまったと聞きました。とは言ってもそれはクラスだけの話で、廊下で同じ小学校の人に会ったときは挨拶とか軽い会話はしていたと思いますよ。避けられてはいたけど、暴力とか物を隠されたりといった“直接的ないじめ”でなく、空気みたいに扱われてた感じです。私も図書室で見かけたことあるんですけど、本が特別好きとかじゃなく、かまってくれる人がいないから本を読みにきてたんだと思います」
木村被告が「事件現場」に選んだ雑賀崎漁港は、とんだとばっちりを受けた恰好だ。雑賀崎漁業協同組合の組合長はこう振り返る。「私は現場にいたんですが、爆弾が放り込まれる瞬間は見ていませんでした。突然大きな爆発音がなり、悲鳴が飛び交い、それで爆発したということがわかったしだいです。あの爆発で大きな怪我をした人もいなかったし、みんなが無事だったことは本当によかったです。飛んできた破片が手をかすめ擦り傷程度の怪我を負った漁師もいましたが、大事には至りませんでした。といってもその破片は、まともに手で受けていたら手に穴が開いていてもおかしくない威力で飛んできましたから、本当によかった。何せ40メートル先の倉庫の壁に飛んだ破片は壁にめり込んでいましたからね」
雑賀崎漁港(撮影/集英社オンライン)
木村被告手製の「パイプ爆弾」は、十分に殺傷能力のある危険な火器だったのだ。「岸田首相が選挙の応援演説に来ていたところに爆弾を投げ込んだわけだから、そりゃ大変な騒ぎでしたよ。事件直後は警察の捜査なんかで数日間漁にも出られなかったし、その後を不安に思う側面もありました。ですけど、観光客が激減することもなく、今では普通に漁にも出ていますし、ふだん通りです。男を取り押さえた漁師も当時はマスコミに出たりと慌ただしくしていましたが、今は元通りの生活に戻りました」
木村被告が投稿したと思われるTwitter(現・X)
後日、木村被告を取り押さえた漁師を含めた同漁協の関係者十数人がホテルに招かれ、岸田首相からお礼の言葉をかけられたという。「私らは(支持率の問題や党内不祥事など)そういったことはわからない。ただ、みんな岸田首相にお礼を言ってもらえたことをひどく喜んでいただけです。岸田首相はひとりひとりに『ありがとう』と握手をしてくれて、みんなで記念写真を撮りました。取り押さえた漁師に憧れて漁師になりたい人が増えたかって? いいや、むしろ減ってるな。襲撃犯がいまだに黙秘していると言われてもなあ。まあ、そうなんだって思うだけですね。いずれにせよ、事件の影響で漁に出られなくなったり、仕事にならなくなるってのもなくなったし、今はふだん通りの生活をみんな送っていますよ」24歳の青年が手製爆弾に込めた大義とは何だったのか。いまやそんなことには誰も関心を寄せない、年の瀬が迫っている。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする