国を守った「伝説の戦闘機」が“チェコ製”って? メッサーシュミットそっくり珍機 イスラエルが重用したワケ

ドイツが生んだ傑作機メッサーシュミットBf109とは似て非なる機体が、チェコスロバキア生まれのアヴィアS-199です。この機体、性能的にはダメダメだったものの、イスラエルでは救国の存在なのだとか。どういうことなのでしょうか。
イスラエル建国初期、同空軍はチェコスロバキア製のアヴィアS-199という戦闘機を運用していました。ところがこのS-199、実は第2次世界大戦を最初から最後まで戦い抜き、約3万4000機も製造されたドイツの傑作戦闘機メッサーシュミットBf109にソックリ。とはいえ、世界的にはあまり知られた存在ではありません。なぜ、イスラエル空軍はメジャーなアメリカ機やイギリス機ではなく、そんな東欧製のマイナー機を使っていたのでしょうか。
時は第2次世界大戦前の1930年代にさかのぼります。当時ドイツは、第1次世界大戦に敗れた影響で軍備を厳しく制限されており、空軍の保有は事実上禁止されていました。しかし1935年に、政権を掌握したヒトラーによって再軍備宣言がなされ、ドイツ航空省がドイツ空軍へと移行し、航空軍備の造成と拡張を始めます。
そのようななか、同空軍が単座戦闘機を求めた際に採用されたのが、ドイツ航空機設計界の鬼才と謳われたヴィルヘルム“ウィリー”エミール・メッサーシュミットが手がけたBf109でした。
国を守った「伝説の戦闘機」が“チェコ製”って? メッサーシュ…の画像はこちら >>1948年に撮影されたイスラエル空軍のアヴィアS-199戦闘機。パッと見はドイツの傑作機Bf109である(画像:イスラエル空軍)。
Bf-109が初飛行したのはドイツ再軍備宣言と同じ年の1935年。ここからエンジンの出力向上も含めたさまざまな改修や改造を施されながら、大戦が終結する1945年まで生産され続けたのですが、製造はドイツだけでなく、戦前に併合したチェコスロバキア(当時)でも行われています。
このときチェコスロバキアで生産を請け負ったのが、アヴィア社。やがてドイツの敗北で第2次世界大戦が終結すると、アヴィア社は残されたエンジンを使ってアヴィアS-99の名称でBf109G型の生産を再開します。ところが、同機の心臓といえるダイムラー・ベンツDB605エンジンを多数収容していた倉庫が火事で焼失。これにより、新造機用のエンジンストックが失われてしまいました。
そこで、同じくドイツ軍が第2次世界大戦中に運用していたハインケルHe111双発爆撃機で用いられていたエンジン、ユモ211 エンジンとそのプロペラを、転用することにしたのです。
こうして生まれたのが、チェコスロバキア独自のハイブリッド機アヴィアS-199でした。
アヴィアS-199は1947年に初飛行しましたが、きわめて操縦しにくい機体となってしまいました。なぜなら、DB605に比べてユモ211は重く、しかも本来が爆撃機用エンジンなのでレスポンスが遅かったからです。
加えて幅が広い爆撃機用プロペラから生じるトルクは大きく、これらが原因となって操縦は原型よりも難しくなってしまいました。しかも、傑作機といわれたBf109の数少ない弱点のひとつ、左右の主脚の間が狭い車輪間隔のせいで、離着陸時の危険性もきわめて高くなったのです。
S-199は、このように欠点が多い機体だったにもかかわらず、1947年から1949年にかけて約550機が生産されチェコスロバキア空軍に配備されました。しかし、その扱いにくさのせいで、同空軍のパイロットたちからは不評だったとか。その一端は、強情な性格のラバになぞらえて付けられた「メツェク」なるあだ名にも表れていると言えるでしょう。
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アヴィアS-199の原型となったBf109G戦闘機(画像:ドイツ連邦公文書館)。
では、なぜそんな素性の悪い機体が中東イスラエルにわたったのか、それはひとえに同国の成り立ちにあります。
イスラエルは、1948年5月14日に独立宣言を行い、国として歩み始めましたが、この一方的な宣言にエジプトやシリア、レバノン、ヨルダンなどの近隣国と、同地域に定住していたパレスチナ人は反発し、戦争(第一次中東戦争)が始まります。
当時、欧米各国はイスラエルに対し武器禁輸を行っており、その中で同国は独立を維持するため、合法非合法問わずあらゆる武器を世界中からかき集めていました。こういった中で手に入れることができた数少ない軍用機が、前出のS-199だったというわけです。
イスラエルはチェコスロバキアから25機を購入、実際には23機が引き渡されました。
同国に到着したS-199は、同空軍初の戦闘機部隊である第101中隊に配備されます。そして第一次中東戦争では、貴重な航空戦力として、侵攻してくるエジプト空軍機などの迎撃にあたりました。
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ドイツ空軍のHe111爆撃機。同機が搭載していたのが、ユンカース製ユモ211エンジン(画像:ドイツ連邦公文書館)。
イスラエル空軍将兵にとってもS-199は、かなり扱いの難しい機体だったようです。そのため、イギリス製の「スピットファイア」やアメリカ製のP-51「マスタング」といった中古戦闘機が手に入るようになると急速に更新されていき、1949年初旬には早くも第一線から引き揚げられています。
とはいえ、建国初期の戦いでS-199が果たした役割は大きく、他の戦闘機が手に入らない中で、戦争に間に合って、母国の空を守った功績は大きいと言えるでしょう。ある意味で、イスラエル空軍の創成期を支えたと言い換えることができるほどの大きな存在意義を持つ機体なのです。
イスラエル空軍将兵からもあまりよい評判が出なかったアヴィアS-199ですが、その功績の大きさゆえに、2023年現在も1機がイスラエル航空博物館に保存・展示されています。

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