植草一秀[経済評論家]
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3月25日に放送された上田晋也氏がMCを務める日本テレビ番組にタレントのあのちゃんが出演して不登校に関する経験を語った。あのちゃんは「小学校も人間関係がうまくいかなくて、小2から卒業までは不登校で」あったと語り、きっかけが「いじめですね」と語った。さらに、周りの人間のいじめに加担すればいじめに遭わないと考えたが、「それって周りに合わせることで、自分がなくなっちゃうみたいな、そのしんどさが一番勝って、不登校になった」と述べた。子どもに「学校に行く義務」はないの画像はこちら >>さらに、高校では担任教諭にみんながいる前で呼び出され、髪の毛を染めてないのに、「髪染めてるだろ!」と言われ、「染めてない」と言っても否定され、「その態度はなんだ」と怒鳴られ、ここことで、他の生徒が「いじめてもいい」との認識を持ち、いじめられたと告白した。あのちゃんは、当時の教師の対応により「(自分が)別の教室に移動された」ことを明かし、いじめた側を別の教室に移すのではなくでなく、いじめられた自分が移されたことに疑問を感じたと述べた。
同じ番組に出演した俳優で2児の母である須藤理彩氏も学校の対応を疑問に感じたエピソードを紹介した。須藤氏の長女が小学校6年生の頃にクラスメイトからいじめられたことが原因で不登校になったことを語った。その際に須藤氏は学校の校長に「その子がいなければ娘は学校に通えるので、いじめてる子を別の教室にすることはできないか」と提案。
しかし、校長は「いじめてる子もいじめられてる子も両方同じ大事な生徒」、「いじめてる子は学校に行きたくないと言ってない。それなのに別室で授業を受けてくださいとは学校からは言えない」と返答したという。その上で「学校に来られないというならそれを尊重する」主旨の説明をし、結果として仕方なく不登校を選んだという。
こうした現実がある。学校でいじめがある場合、処罰する対象はいじめをした側である。この原則が確立されていない。いじめた側が放置され、いじめられた側が排除される現実が事態を悪化させる原因になっている。
日本の初等・中等教育のあり方を全面的に見直す必要がある。「学校に行くことは義務」との間違った情報が流布されている。「学校に行くことは義務」でない。日本国憲法が定めているのは「子女に普通教育を受けさせる義務」である。しかも、「普通教育」であって「学校教育」ではない。ところが、「学校教育法」が「子女を学校教育法第一条が定める「学校」に就学させる義務」を定めたために、「学校に行くことは義務」という誤解が生まれた。
普通教育を受ける場を「学校」に限定していることに問題がある。諸外国では普通教育を受ける場を学校以外に開放している。家庭を、普通教育を受ける場として認めている国が大半だ。学校に多くの問題があるのだから、家庭を、普通教育を受ける場として正式に認めるべきだ。
そうなると言葉が変わる。「不登校」は「在宅学習」になる。言葉の響きがまったく違う。コロナで出社せずに自宅で業務を行うときにどう表現したか。「不出社」と表現した企業があっただろうか。「在宅勤務」と表現したのではないか。
子どもは学校に行かない自由を有している。学校に行くことは義務ではない。2016年に「教育機会確保法」が制定された。教育機会確保法制定を契機に文部科学省の対応は全面的に変更された。不登校児童生徒を学校に戻すという目標は廃棄された。教育機会確保法が施行され、文科省は「学校へ戻らなくてもいい」との通知を発出した。「学校復帰が唯一の前提ではない」ことが明確にされた。
しかし、「教育機会確保法」では学校以外に普通教育を受ける場は認めなかった。そのために、いまだに「不登校」の言葉が使われている。まもなく新学期が始まる。子女を持つ保護者は「学校に行くことは義務でない」ことを正確に把握して「子どもの最善の利益」を考慮して対応する必要がある。