死体を解剖せず“事件性の有無”を判断する? 司法解剖医が明かす捜査機関による「死因特定」の不都合な真実

死者が出ても、警察に「事件性なし」と判断されることも多い火災事故。だが、実は保険金目当ての計画的な殺人だった、というケースも少なくないという。司法解剖を介さずに犯罪性の有無を判断するとこうしたことが頻発しかねない…。
日本では多くの場合、犯罪性の決定後に死因の特定が行われる実状があるという。こうした状態を司法解剖医の岩瀬博太郎氏は、「法医学的には完全に逆のプロセスであり、きわめて異常」と警鐘を鳴らす。
なぜこんな状況がまかり通っているのか。現場を熟知する立場から、同氏がその実態について解説する。
※ この記事は岩瀬 博太郎/柳原 三佳両氏の書籍『新版 焼かれる前に語れ 日本人の死因の不都合な事実』(WAVE出版)より一部抜粋・再構成しています。
後を絶たない「犯罪見逃し」人口約630万人を抱える千葉県では、年間約 9000体前後の変死体が発見される。しかし、 2020年に司法解剖が必要だと判断されたのは、 そのうちわずか324体 (3.6%)だ。
県内で司法解剖に携わっている法医学者は私を含め2名しかいないので、これでも精一杯の数ではあるが、残りの変死体は本当に何の疑いもないと言い切れるのか……。
私は常に不安を感じていた。
犯罪や災害による「変死」を見逃さないためには、 見た目にはこれといった外傷のない死体をどのように取り扱うかが重要な課題となってくる。
解剖率の高い西欧諸国では、死因究明本位で多くの解剖を行い、さらに薬毒物スクリーニングにも力を注いでいる。つまり、外見だけで死因を判断することはせず、体の内側に原因があるかもしれない変死体の死因こそ見逃さない努力をしているのだ。
日本の司法解剖までの流れ ところが日本はどうだろう。
はっきり言って「司法解剖」の令状を取り、私たちのもとに運ばれてくるのは、その大半が「見た目でそれとわかる外傷で死亡した死体」のみ。目撃者がいない、争った形跡がない、自白するものがいない、といった「3条件」がそろうと、警察はその場で「犯罪性はない」と判断してしまう。
そしてそれらの死体は、CT撮影も、薬毒物スクリーニングも、解剖も、科学的な検査はなにも行われないまま火葬されてしまうのだ。
つまり今の日本では、死因の正確な判定後に犯罪性が決定されるのではなく、犯罪性の決定後に死因の特定が行われているわけである。これは、法医学的に見ると完全に逆のプロセスであり、きわめて異常な状態だ。
そもそも医学的知識もなく、CTや薬毒物検査の機会も与えられていない警察官が、いったいどうやって外見だけで人の「死因」を特定できるというのだろうか。法医学者である私たちだって、解剖してみなければ絶対に死因を特定することなどできないのに・・・・・・。
ずさんな司法解剖が招く悲劇実際に、こんな事件も起こっている。
私が千葉大学に赴任して数年後、保護責任者遺棄致死や非現住建造物等放火、詐欺未遂、恐喝などの罪に問われた飲食店従業員に、千葉地裁は有期の懲役刑を言い渡した。
判決によると、被告は自分がかけていた火災保険金をだまし取る目的で、所有していた木造平屋建て住宅に放火して全焼させた。さらに一連の取調べの中で、その数カ月前、自宅で同居していた母親を千葉県の近隣の県において、保険金目当てに死なせたことを自供したのだ。
この自供を受けて慌てたのは、母親の検視を行った当該の県警だった。
実は、この母親を検案した医師は、警察から「事件性はない」と言われたので死因を心筋梗塞と診断したという。もちろん、CT撮影や解剖などは行われなかった。
後日、私はこの母親の検視時の写真を目にする機会があったのだが、身体には殴られたり蹴られたりしたような多数のアザがあった。
それを見ただけで、日頃からかなりの暴行が加えられていた可能性も推測され、死因の可能性の一つとして暴行による内臓破裂も疑われたが、結局、写真だけでは本当の死因がわかるはずもなく、私としてはそれ以上のコメントをすることはできなかった。
結果的に判決では、「娘が母親に水を飲ませなかったことで血液がどろどろになり、それが原因で心筋梗塞になった」などという、医学的にはありえない事実認定がされ、保険金殺人に比べてはるかに軽い保護責任者遺棄致死で有罪となったのだ。
警察はなぜ事件性を疑わないのか理解に苦しむのは、なぜ、これほどのアザがありながら、警察は事件性を疑わなかったのか、ということだ。
にわかには信じられないような事案だが、おそらく娘である被告が、痴呆気味の母親が自分で転倒したとかなんとか話したのだろう。
警察は遺族(実は犯人)の嘘の供述を何の疑いもなく信用し、検案医は警察の誤った判断を鵜呑みにした。つまり、初動捜査の段階で本当の死因が見逃されてしまったのだ。
それにしても、本人が自供したとはいえ、司法解剖も行わず死因も特定されていないのによくも保護責任者遺棄致死で立件できたものだ。
それはそれで、冤罪を生む可能性もあるということに考えが及ばなかったのだとしたら、恐ろしい。
とにかく現在のシステムでは、犯人の嘘のつきかた次第で、自己転倒、自殺、病死などにされて終わってしまう可能性がきわめて高いということだ。 初動捜査の段階で、せめてCT検査などを加えない限り、このような見逃しは後を絶たないだろう。
警察や検察、裁判官などは、長年のルーチンワークでそれが当たり前だと思い込み、何の疑問も感じてこなかったのかもしれないが、正確な死因究明なしに犯罪性の有無の判断は不可能だということにそろそろ気づくべきである。

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