海上交通の自由な流れを保護する名目で、フーシ派の拠点を爆撃したアメリカ海兵隊のF-35C戦闘機。同機の初陣を支えたのは、母艦の「リンカーン」が洋上でも、高速インターネットが使えることでした。
2024年11月9日、アメリカ海兵隊のF-35C統合戦闘機が初めて実戦参加しました。空母「USSエイブラハム・リンカーン」に配備された第314海兵戦闘攻撃飛行隊所属の同機が、「オペレーション・プロスペリティ・ガーディアン」でフーシ派の拠点を爆撃したのです。これは紅海およびアラビア海において、フーシ派による商船攻撃を阻止し、海上交通の自由な流れを保護することを目的としています。
米空母を強くしたのは「洋上でYouTube見られるぞ」!? …の画像はこちら >>ニミッツ級空母5番艦「USSエイブラハム・リンカーン」。第3空母打撃群の旗艦であり第9空母航空団を搭載する(画像:アメリカ海軍)
この作戦を裏で支えたのが、スペースX社の「スターリンク」のような商用衛星群による高速インターネットです。現代はマルチドメイン戦(陸、海、空に加え、サイバー、宇宙、電磁波領域までを戦場空間として統合運用する戦い)とされていますが、アメリカ海軍は商用衛星群を活用したセーラーエッジ・アフロート・アンド・アショア(SEA2)というプロジェクトを進めています。目的は、第一に乗組員の生活の質の向上、第二に戦術的・業務的な利点を見極めること。「リンカーン」はそのテストベットとなっていました。
「リンカーン」の戦闘システム担当士官は、「F-35と乗組員は毎日データを食べ、呼吸している」とレポートしたそうですが、マルチドメインは戦闘機の運用から日常生活まで深く関わっています。SEA2は外洋で「YouTube」を視聴できること以上の効果を発揮しました。通信容量が拡大したことにより、対フーシ派作戦でF-35Cへのミッションデータのアップデートが記録的な速さで実行できたのです。
ただし、外洋で「YouTube」を視聴できることも単なる娯楽ではなく、ミッションデータのアップロードと同じくらい重要です。「リンカーン」では2024年のスーパーボールをライブストリーミングで観戦できましたが、乗組員にとって家族や友人、外界とリアルタイムでつながれるネット環境は、生死に関わる任務に就くストレスを軽減し、士気と集中力の向上が期待できるのです。
Large figure2 gallery7
「リンカーン」に設置された商用衛星用アンテナ(画像:アメリカ海軍)
「乗組員たちはこれらの接続をオフにしなければならない時を知っています。戦火に飛び込む準備はできています。それがリンカーンです」と、空母の幹部は語ります。
また空母のような大型艦になれば、F-35のミッションデータから、食料や日用品の調達まで、莫大なデータを日常的にやり取りしなければなりませんが、通信容量拡大によって艦の業務効率も劇的に向上したといいます。
アメリカ海軍の船舶通信は過去30年にわたって、国防総省が管理する高度約3万5000kmの静止軌道にある6個の通信衛星を経由していましたが、通信速度は今となっては満足できるものではありません。
一方、「スターリンク」や「ワンウェブ」のような小型衛星は、高度600km~1200kmの軌道上に約7000個が配置されており、はるかに高速で信頼性の高い接続が可能です。しかも衛星に対するハードキル、ソフトキル両方の攻撃にも耐性が高いという利点もあります。
気になるのが商用衛星を使うことによるサイバーセキュリティです。SEA2のセキュリティは公表されていませんが、暗号化された機密データを処理するように設計された特定のアプリケーションが、すでに存在しているといいます。例えSEA2が機密情報を扱えないとしても、通信の大半は非機密情報ですので、大型艦では通信容量を確保する上で大きなメリットになります。
Large figure3 gallery8
2024年11月9日、フーシ派攻撃のため空母「リンカーン」から発艦しようとする第314海兵隊戦闘攻撃飛行隊のF-35C(画像:アメリカ海兵隊)
SEA2は艦隊司令や艦長の裁量で切断できます。「リンカーン」が紅海の作戦ゾーンに入った時、メールのトラフィックも艦内Wi-Fiもすべてオフにされました。この瞬間に、全乗組員が外界から切り離され「戦闘モード」に切り替わるのです。
紅海での作戦時、「リンカーン」にはF-35Cが10機、約5000人が乗り組んでいたとされます。SEA2の外洋航行中の通信速度は、ダウンロードが毎秒1ギガバイト、アップロードが200メガバイト。5か月半の航海中に780テラバイトのデータが転送されたそうです。実際の運用では、5000人全員が同時に使うことはありませんので、ピーク時の接続人数は数百人から1000人程度と推定され、この場合1人あたり毎秒数メガバイトから10メガバイトの速度が確保でき、日常的な業務や軽い娯楽には十分対応可能と考えられます。
「リンカーン」は2024年の実戦を含む作戦行動で、制約はあるにせよ本国と同等レベルのネット環境を提供し、艦載機の運用や船務業務の効率改善が見られました。艦長はSEA2プロジェクトが効果ありと報告しています。現在アメリカ海軍はその効果を検証しており、将来は艦隊に広く展開していく方針とされています。
ちなみに日本の海上自衛隊でも「スターリンクMARITIME」を練習艦に導入しました。今後3年間で9割の艦船に拡大される予定で、今のところ乗組員の福利厚生向上策とされていますが、将来はアメリカ海軍と同様に、それ以上の効果を発揮するかもしれません。