交通事故で人が亡くなったーー。ひどい事故だったから仕方がない。確かにそういう場合もある。だが、司法解剖医の岩瀬博太郎氏は「交通事故に対する日本の死因究明はずさん」と指摘する。
それにより、防げたはずの“事件”もあったというから深刻だ。交通事故の死因究明がなぜ重要なのか。「司法解剖」の現場を熟知する著者が、その背景や課題について解説する。
※ この記事は岩瀬 博太郎/柳原 三佳両氏の書籍『新版 焼かれる前に語れ 日本人の死因の不都合な事実』(WAVE出版)より一部抜粋・再構成しています。
交通事故でも司法解剖が必要な理由2017年11月、老人ホームに勤務する准看護師の女性(71)が、殺人未遂容疑で千葉県警に再逮捕された。2カ月前、同僚の女性と迎えに来た女性の夫に睡眠導入剤を入れたお茶を飲ませ、交通事故を起こさせて殺害しようとした疑いだ。
2人は車で帰宅途中に、別の車と衝突事故を起こし、計3名が重軽傷を負った。女性と夫への血液検査の結果、睡眠導入剤が検出されたという。
実は、この事故の3カ月前にも容疑者と同じ老人ホームに勤める別の同僚が交通事故を起こし、死亡していた。
毎日新聞がこう報じている。
<捜査関係者やホーム関係者によると、事故は2月5日夕、ホームから1キロ弱離れた印西市内の県道で発生した。女性は「めまいがする」などと訴え早退し、帰宅のため軽乗用車を運転中に対向車と正面衝突。搬送先の病院で死亡した。現場は片側1車線で見通しの良いほぼ直線だった。女性の血液の分析や司法解剖は行われなかった。(2017・7・13から抜粋)>
交通事故の死因究明のずさんさこの事件は、交通事故に対する日本の死因究明のずさんさを浮き彫りにしたといえるだろう。
1件目の死亡事故は、単純な単独事故として扱われたようで、司法解剖はおこなわれなかった。
もしこのとき、解剖が行われ、心筋梗塞などの持病がないことが明らかにされていたら、そして、その後の薬物検査で薬物使用が発覚していれば、次の事件はくい止められたかもしれないのだ。
諸外国では自損事故のような交通事故でも、遺体は解剖されることが常識だが、日本の場合は解剖されないケースがほとんどだ。もし、薬物を用いて交通事故を起こさせるといった事件が起こると、見逃される可能性があり、大変危険といえるだろう。
高齢者の自動車事故に隠れるある原因2016年2月、大阪・梅田で起こった乗用車の暴走事故では、大勢の目撃者の前で歩行者が2名犠牲となり、乗用車を運転していた男性(51)も死亡した。
司法解剖の結果、男性は「大動脈解離」の発作に襲われ、事故の前にはすでに意識を失っていた、つまり、事故は男性の不法行為ではなく、突然の病が原因であることが証明できたのだ。
もし、この事故が、梅田ではなく深夜の田舎道などで起こっていたらどうなるだろう。おそらく遺体は解剖されず、「スピード出しすぎ」「わき見」「居眠り」「信号無視」など、ドライバーの「重過失」として処理されるのが現実だろう。
高齢者の自動車事故が増加しているが、実際には、突然の発作による事故が、相当隠れているのではないかとも推測できる。
「交通事故は殺人事件ではない」の先入観の怖さ日本の警察にはなぜか「交通事故は殺人事件ではない」という特殊な先入観があるようだ。ここ10年の議論の中で、『死因身元調査法』が作られ、司法解剖以外に『調査法解剖』という新しい解剖ができるようになった。これは、一見事件性がない死体でも、警察が解剖できるというものだ。
ちなみに、2016年に行われた調査法解剖は2605件だったが、このうち交通部で行われた解剖は0件。その理由は、この解剖の予算が刑事部だけに充てられ、交通課にはまったく予算化されていないからだ。こうした事情をみると、仮に交通事故を装った殺人などの見逃し事例がおこっても、各都道府県警だけの責任にはできないだろう。
そもそもこんな事態に陥ってしまった理由の一つは、交通事故の死体をないがしろにしてきた警察庁の不作為もある。『調査法解剖』を新しく作ったものの、諸外国のように解剖や検査に関わる人と設備の充実を図らなければ、絵にかいた餅になるのは当たり前だ。
日本は国レベルで、法医学研究所を設置するための法改正や予算措置、人材育成など、もっと根本的な課題を早急に議論するべきだろう。