1月21日、認知症の夫を殺害して殺人罪に問われていた70代の女性に、執行猶予付きの判決が言い渡された。女性は認知症の夫から一日に何度も性的行為を求められ、うつ病になっていたという。
裁判長が「被告人の心情は理解できる」と言及したことも話題となった裁判だが、通常、殺人罪に執行猶予は付かない。異例の判決の背景にある「罪の減軽」と「執行猶予」の仕組み、そして配偶者からの加害行為を受けている場合に取るべき対応はどのようなものなのか。
認知症の夫から何度も性的な行為を求められ報道によると 、女性の夫は8年前に認知症と診断され、事件前には一日に何度も性的な行為を求めるようになっていた。拒むと夫が不機嫌になることから女性は嫌悪感や負担感を強く抱いていたが、一方で夫の希望を叶えたいという意思もあり、強く葛藤していたという。
女性はうつ病にかかり、希死念慮(自殺願望)を抱くようになった。
2023年11月、和歌山県の自宅で、女性は当時82歳の夫の首をタオルなどで絞めて殺害。一緒に死のうと考えていたため、犯行後、自死を試みたが断念し、近隣住民を介して警察に電話をかけ、自首した。
殺人罪に問われた女性は「間違いありません」と起訴内容を認めていた。検察は「行政サービスの利用や親族への相談など、殺害以外にも取れる手段があった」として、懲役5年を求刑。
一方、弁護側は女性はうつ病であった点を指摘し、「自分が死ぬことを考えたが、夫を置いていくことができなかった」と主張して、執行猶予付きの判決を求めていた。
1月の判決で、和歌山地裁は懲役3年・執行猶予5年の判決を言い渡す。判決後、裁判長は「これからは悩みを一人で抱え込まず、『支援したい』と言ってくれている親戚や近所の人たちに相談して、一日一日を生きてください」と説諭したという。
殺人罪で「刑の減軽」が行われると執行猶予が可能になる「被告人を懲役1年に処する。この裁判が確定した日から3年間、その刑の執行を猶予する」というものが執行猶予判決の主文だ(※)。
※2016年6月1日からは「刑の一部執行猶予の制度」が施行されているが、本稿における「執行猶予」とは刑法第25条~27条に規定された「刑の全部の執行猶予」のことを指す。
そして執行猶予を付けられるのは原則として「3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金の言渡しを受けたとき」とされている(刑法25条1項参照)。逆に言えば、懲役や罰金が3年や50万円を上回る場合には、法律上、執行猶予を付けることができない。
そして、殺人罪の法定刑は「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」。つまり、最低でも5年の懲役が言い渡されるために、通常、殺人罪には執行猶予が付かないのだ。
ただし、罪を犯した者(被告人)が自首した場合(刑法42条1項)、情状に酌量すべきものがある場合(刑法66条)などには「その刑を減軽できる」とされている。有期の懲役刑の場合には「法定刑の長期および短期の2分の1」を減じることができるため、殺人罪なら下限を懲役2年6月にまで減軽することが可能だ(刑法68条3号)。
本件で、和歌山地裁は自首による減刑を認めて「懲役3年」とした。これにより執行猶予を付けることが可能になり、そして実際に執行猶予が付けられた、という経緯だ。
なお、判決では被告人の女性がうつ病であることも認められていたが、法律上の「心神耗弱」とは認定されていない。
もし心神耗弱と判断された場合には、法律上、「その刑を減軽する」とされている(刑法39条2項)。自首の場合、前述のようにあくまで「減軽できる」とされているため減軽されないケースがあるのに対し、心神耗弱の場合には原則として必ず減軽される点が異なる。
また、執行猶予について定めた刑法25条では「情状により~執行を猶予することができる」とされている。つまり、判決において最終的に執行猶予を付けるか否かは、裁判所が個別の情状を判断するのだ。
本件について、刑法や性加害事件に詳しい安達里美弁護士は「報道を見る限り、以下のような事情が情状として考慮されたものと思われます」と指摘する。
・女性は夫と長年にわたって良好な夫婦関係を築いており、夫が認知症と診断され、突然怒り出すなどの症状が表れ始めてからも、情愛を持って介護に当たっていた。
・「夫の恥になると思い、誰にも相談できなかった」という被告人の心情は、裁判長にとっても理解できるものだった。
・夫妻は高齢で社会とのつながりが薄れていたため、検察による「取り得る措置を尽くしていなかった」との非難は酷である。
配偶者から加害を受けている人は行政や弁護士に相談を2023年に施行された「不同意性交等罪」(刑法177条)により、夫婦間でも、同意のない性行為は罪に問われる可能性がある。本件でも、もし女性が告訴していれば、不同意性交等罪が成立していたかもしれない。
ただし、女性の夫は認知症であったという。不同意性交等罪が成立していても、夫が「心神耗弱者」と認められた場合には罪が減軽され、また「心神喪失者」と判断された場合には無罪となる可能性があった(刑法39条参照)。
また、先述した通り、女性は夫に「恥」をかかせることを避けるため、誰にも相談できなかったという。
男女共同参画局の統計によると、2023年度には「配偶者暴力相談支援センター」に約12.7万件の相談があった(前年度比約4%増)。 和歌山の事件に限らず、夫婦間での加害行為に悩まされている人は世の中に多数いる。そして、加害者の多くは認知症などにより判断能力に問題が生じているわけではなく、意図的に加害を行っている。
70代女性が“認知症”の夫を殺害…「夫の恥になる」“執行猶予…の画像はこちら >>
配偶者暴力・相談件数の推移(男女共同参画局ホームページから)
夫婦間の問題は、どのような相手や団体に相談すればいいのだろうか。安達弁護士は「暴力など犯罪行為が絡んでいるのであれば、警察に相談してかまいません。市役所などの行政に相談するのも良いと思います」と語る。
「警察や行政への相談は気が引けるという方は、弁護士への相談も検討してみてください。
被害を受けている方が、『恥になる』や『世間体が悪い』という考えから外部に相談をしない場合もあります。しかし、その考え自体が、加害者側に刷り込まれたものであるケースも多いのです。
被害者が『自分が悪いかもしれない』と思っていたところ、第三者である弁護士に『あなたは悪くない。相手が悪い。それを相談するのは当然で恥でもなんでもない』と言われたことで初めて自分がひどい環境にあることに気付く場合も、少なくありません」(安達弁護士)
弁護士には守秘義務があるため、親戚や近所の人に知られたくない問題でも安心して相談することが可能だ。
また、被害の内容を勘案し「弁護士が対応するよりも行政や他の機関に相談したほうが良い」と判断されたケースでは、その旨を助言してもらい、対応する機関の情報も提供してもらえる場合がある。
「被害に悩まされている本人は、加害者から洗脳を受けていたり、疲れて相談する気力を失っていたりするために、対応に向かって動けないこともあります。
配偶者からの加害を受けている人が身近にいる場合には、本人に代わって相談先を調べることや、予約の際に補助してあげることも有効です。
弁護士費用が心配な場合には『法テラス』や弁護士会の無料相談会などを利用することもできます。行政が無料相談枠を設けていることも多いので、まずは調べてみてください」(安達弁護士)