「これを八甲田と思わないで」 予想外だった天候 それでも自衛隊が演習に勤しむワケ

日本屈指の豪雪を誇る青森県の八甲田山系。陸上自衛隊第5普通科連隊は毎年、積雪寒冷地における戦技向上などを目的に、冬季に八甲田演習を実施しています。その様子を、スキーを履いて密着取材しました。
「天は我らを見放した」 これは、1902(明治35)年1月24日の八甲田雪中行軍遭難事件を題材とした映画『八甲田山』の有名なセリフです。この事件は、旧日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が、青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難し、訓練に参加した210名中199名が死亡するという、世界最悪の山岳遭難事故としても知られています。
「これを八甲田と思わないで」 予想外だった天候 それでも自衛…の画像はこちら >>像は、直立したまま仮死状態で発見された後藤房之助伍長。その前で報道陣の取材を受ける陸上自衛隊第5普通科連隊長の伊藤裕一1等陸佐(2025年1月、月刊PANZER編集部撮影)
それから1世紀が経過した現在、前出の歩兵第5連隊と同じ部隊番号が付与されている陸上自衛隊第5普通科連隊は、幸畑陸軍墓地における参拝行事および八甲田におけるスキー行進などを通じ、歴史と教訓を学ぶとともに、積雪寒冷地における戦技の向上を目的に、毎年この時期に同じ地域を使って演習を実施しています。
ちなみに、この演習は「八甲田演習」と呼ばれていますが、八甲田山という山はありません。あくまでも地域名で、18の山々からなる複数火山の総称です。
2025年1月下旬、筆者(月刊PANZER編集部)は八甲田演習の様子を取材しました。
事前に陸上幕僚監部広報室から「靴のサイズは何センチですか」と聞かれていましたが、これは取材者もスキーを履いて訓練部隊に同行することを意味していました。用意する防寒具リストのほか、「カメラバッテリー用にカイロも忘れないで下さい」という追伸に、雪上車による「機械化取材」を想定していた筆者は不安と緊張に襲われました。
現代戦は車両で移動すること、いわゆる「機械化」が念頭に置かれていますが、普通科(歩兵)の本領は都市・森林・山岳・雪原・砂漠・湿地など、あらゆる地形に適応し任務を遂行することにあります。
特に機械化された部隊が進入できない地形において、歩兵は踏破力が期待されており、それを可能にするのは訓練と装備の適応力なのです。最初から雪上車をあてにしてはいけないというのを、「バッテリー用カイロの用意」という一言に実感しました。
雪原を克服する装備は独特です。個人装備ではスキーやかんじきなどがありますが、行進用のスキーはかかとが浮くクロスカントリータイプになっています。裏面にはウロコ加工が施されており、支給されたそれは前進グリップが効くようになっていました。
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陸上自衛隊のスキー板。裏面にウロコ上の掘り込みがあるのがわかる(2025年1月、月刊PANZER編集部撮影)
ウン十年ぶりにスキーを履いた筆者は、第5普通科連隊の練度に及ぶべくもなく、1.5km前進した場所で早々に引き返しました。別経路を雪上車ではなく高機動車で進み、後藤伍長銅像前にて英霊に対する敬礼を取材しました。
なお、八甲田山遭難事件を契機に旧日本陸軍が積雪寒冷地の戦技を研究したことが、日本でスキーが広まった契機のひとつとされています。1910(明治43)年11月、オーストリア=ハンガリー帝国のテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が、日露戦争に勝利した日本陸軍を研究するため来日します。
レルヒ少佐はアルペンスキーの第一人者だったこともあり、1911(明治44)年1月12日からスキー指導を開始。この日は日本スキー発祥とされ「スキーの日」とされています。
さて、雪中行軍独特の装備が「アキオ(ahkio)」です。これはフィンランド語を由来とする運搬用ソリで、小隊に1個配備されます。エンピ(シャベル)、ストーブ、シート、真水の携行缶などを積載するため、総重量は80~100kgにもなりました。4人で連結して引っ張ることが基本ですが、スキー装着では登るのも下るのも独特な技能が必要になります。
スキーやかんじきを履けばかなりの雪原でも踏破できますが、やはり機械化は大切です。積雪寒冷地専用の乗りものとして、陸上自衛隊は雪上車(78式、10式)と軽雪上車(スノーモービル)を所有しています。ただし積雪地の部隊にしか配備されないレア装備です。
78式雪上車の操縦席にはハンドルがなく、2本の操向レバーとマニュアルミッションで操縦します。幅広の履帯(いわゆるキャタピラ)にゴムタイヤを組み合わせているものの、サスペンションがあまり効かないため、速度を出すと乗り心地は良くありません。ただ、自衛隊車両だけあって整備性は優れており、冬の終わりにしっかりメンテナンスしておけば、夏場放置していても、冬にはすぐ使えるという頑丈なクルマでもあります。
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軽雪上車(左)と78式雪上車。後者は「大雪)とも呼ばれる。冬季限定のレア装備だ(2025年1月、月刊PANZER編集部撮影)
軽雪上車は市販のスノーモービルをベースに自衛隊の専用装備を取り付けたもので、目立つところではスコップや無線機、予備燃料、スキー板などの携行品を約40kg搭載できるキャリアラックが後部に追加されています。1~2名しか乗車できませんが、雪上では圧倒的な機動性を発揮します。操縦はオートバイとよく似ていますが、また違った技量が必要なのだとか。
水陸両用車から雪上車やスキーに至るまで、あらゆる事態に対処できる準備をしておくことは重要です。現代の日本を取り巻く安全保障環境は、相変わらず厳しいものがあります。日本の領土は狭いイメージですが、排他的経済水域(EEZ)を含めると世界第6位の広さとなり、地勢は多種多様です。八甲田遭難事件は、日露戦争直前の緊迫した安全保障環境が背景にありました。雪上車はもちろん、スキーもない時代に冬の八甲田に挑むには覚悟があったはずです。
「天に見放されるかもしれない」と、不安と緊張で臨んだ八甲田演習でしたが、無風の「好天」に恵まれました。「これを八甲田と思わないでください」と、地元第9師団の広報官はやや悔しそうでした。
とはいえ、「天」を甘く見れば必ずしっぺ返しがあります。それを実感したのは、後日襲ってきた体中の痛み。久しぶりに履いたスキーによる筋肉痛、それこそがしっぺ返しだったようです。

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