戦後79年の今年、沖縄戦の記憶や記録の継承に力を尽くした体験者や研究者が相次いでこの世を去った。
石川榮喜さん(享年95)は、県立第一中学校(現首里高校)の生徒でつくる「一中鉄血勤皇隊」として沖縄戦に動員され、戦後は語り部として活動した。
13歳で古里の平安座島を離れ、17歳で鉄血勤皇隊に召集された。戦況が悪化する中、本島南部をさまよい、数え切れないほどの遺体を目にした。
「日本兵も住民もただ生き延びようと、ウジやシラミにまみれて逃げ惑うだけ。飛び出した内臓を抱えて死んでいった友もいる。今の人たちが語るような勇敢さや美しさなんかどこにもない」
戦争の醜さをそう証言した。
「ひめゆり学徒隊」として動員され、ひめゆり平和祈念資料館開館に尽力し証言員を務めた石川幸子さん(享年99)、首都圏在住の沖縄戦体験者として全国各地で講演した同じひめゆり学徒の与那覇百子さん(享年96)、「ふじ学徒隊」として動員され両親、姉妹、祖父母を亡くし語り部となって体験を伝えた名城文子さん(享年97)も逝った。
「かつて多くの人が気付かないうちに戦争に巻き込まれた。逆戻りさせてはいけない」。石川さんは生前、私たちにそうメッセージを送った。
「台湾有事」を想定した沖縄・南西諸島の軍事要塞(ようさい)化が急速に進む。
戦争体験者が残した言葉を、戦前に逆戻りしないための指針にしたい。
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沖縄戦研究の第一人者の一人、吉浜忍さん(享年74)も亡くなった。
高校教諭や沖縄国際大学の教員として沖縄戦の調査や継承に取り組んだ。新沖縄県史編集委員会会長を務め、地域に根差した平和教育を重視し県内各市町村史の編さんにも関わった。
戦争遺跡として全国初となった沖縄陸軍病院南風原壕群の町文化財指定に尽力。「沖縄戦若手研究会」を立ち上げるなど後進の育成にも情熱を傾けた。戦争体験者から直接話を聞けなくなる時代を見据え「戦争の生き証人」としての戦争遺跡の重要性を説いた。
沖縄戦の軍事的中枢施設だった第32軍司令部壕の文化財指定を強く訴え、壕の保存・公開に向けた基本計画検討委員会の会長に就いたばかりだった。壕は11月29日、吉浜さんが求めた県史跡に指定された。
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来年、沖縄は戦後80年の節目を迎える。
県は「平和祈念事業」(仮称)に全庁体制で取り組む計画だ。これまでの平和関連の取り組みを検証し、戦後100年を見据えた「平和ビジョン」も策定する。
1945年以前に生まれた戦前・戦中世代の人口は全体の1割を切ったと推計される。戦争体験者がいなくなる未来がやがてやって来る。
「新しい戦前」にしないために沖縄戦の記憶と記録をどう継いでいくか。80年の節目に立ち止まって考えたい。