戦艦「大和」よりスゴい!? 日本海軍が建造した「世界最大の空母」とは 遅れてきた“戦局挽回の切り札”

大和型戦艦の3番艦は、戦艦として竣工予定でしたが、空母に設計変更されます。しかし、その実力を発揮することなく、未完成のまま南海トラフに沈みました。
1941年12月16日、日本が建造した世界最大の戦艦である「大和」が竣工しました。この「大和」には、戦艦ではなく空母として竣工した姉妹艦「信濃」が存在します。同艦は、当時史上最大の空母として登場しながら、竣工後わずか10日で未完成のまま沈没するという悲劇に見舞われています。どのような艦艇だったのでしょうか。
戦艦「大和」よりスゴい!? 日本海軍が建造した「世界最大の空…の画像はこちら >>本海軍の航空母艦「信濃」。現存する写真は非常に少ない(画像:アメリカ海軍)。
「信濃」は元々、戦艦「大和」「武蔵」に続く同型の3番艦として、1940(昭和15)年5月に「110号艦」の名称で建造が開始されました。建造にあたり、横須賀海軍工廠に専用のドック(第6船渠)まで建設されています。
しかし太平洋戦争の開戦が決定的となると、建造に必要な物資を航空機などの生産へ回すため、大型艦の建造が一時中断されます。さらに開戦後は、駆逐艦など小型艦艇の建造や、損傷艦の修理といった需要も急増。戦艦の優先度は下がっていたものの、船体工事は細々と継続されました。
1942(昭和17)年6月、戦局の転換点ともいわれるミッドウェー海戦において日本が主力空母4隻を失うと、海軍は空母の戦時急造を計画します。また、呉海軍工廠だけが製造できる、大和型戦艦用の46cm主砲を運搬する給兵艦「樫野」が1942年9月に撃沈されたため、呉から横須賀へ主砲を運ぶ手段が無くなり、「110号艦」を戦艦として完成させることも困難になります。そのため、「110号艦」は戦艦として竣工させる予定を急きょ変更し、空母とすることが決定します。
しかし戦局は徐々に日本側不利に傾いていき、1944年(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦で、日本海軍は空母3隻を喪失。空母不足は更に顕在化し、「110号艦」は戦局挽回の切り札として、竣工時期が当初の1945年2月から1944年10月15日に早められ、突貫工事が進められます。ただ「信濃」と命名された1944年10月には事実上、日本海軍は空母に搭載する航空機にも事欠く状況に陥っていました。
建造中にドックへの注水ミスで船体が損傷するアクシデントがあり、11月19日にようやく「信濃」は竣工。基準排水量は6万2000トンと、空前の大型空母となりましたが、日本海軍が決戦と位置付けたレイテ沖海戦(捷一号作戦)には間に合いませんでした。 「信濃」では、先行して建造されていた「大和」から改良された点もあります。過剰とみなされた舷側装甲と水平装甲を10mm減らす代わりに、艦底部の防御が高められました。また、飛行甲板は500kg爆弾の直撃にも耐えられるように設計されるなど、戦訓も反映されています。なお、竣工に先立って公試が行われ、「紫電改」など航空機の発着艦試験が実施されています。
ただし艤装工事などは残した状態であり、日本海軍は未完成の「信濃」を空襲の激しい横須賀から呉へ移し、残工事を進めようと考えます。呉への回航を巡っては、航行ルートや時間帯について「信濃」艦長の阿部俊雄大佐と、護衛する駆逐艦の艦長らのあいだで議論が交わされ、夜間に外洋を航行することが決定。11月28日午後、わずか3隻の駆逐艦「浜風」「磯風」「雪風」を護衛として「信濃」は横須賀を出港しました。
航行中も艦内で工事は続いており、機関部も完成していないため、最高速度27ノット(50km/h)も発揮できない状態でした。外洋に出ると、艦隊は早くもアメリカ軍の潜水艦「アーチャーフィッシュ」によって発見、追跡されます。
日付が変わった29日の午前3時過ぎ、「アーチャーフィッシュ」は6本の魚雷を発射、うち4本が「信濃」の右舷に命中しました。 本来の防御力が発揮されれば、この程度では沈まなかったかもしれませんが、防火防水扉を閉鎖することで浸水・延焼被害を抑える「水密区画」などが未完成だったほか、気密試験が省略されていたこともあり、「信濃」は徐々に傾斜度を増していきます。加えて、乗員も乗艦したばかりで艦内に不慣れで、満足なダメージコントロールを行うこともできませんでした。 また、護衛にあたった3隻の駆逐艦は、レイテ沖海戦後に日本本土に戻ってきたばかりで、ソナーなど対潜装備も損傷しており、万全の状態ではありませんでした。 駆逐艦の曳航作業もむなしく、「信濃」は未明に沈没。位置は和歌山の潮岬沖、およそ50kmの地点です。いわゆる「南海トラフ」の深海部に沈んだとみられており、詳細な沈没位置は現在も不明で、船体も未だ発見に至っていません。 「信濃」は竣工した時期が遅すぎ、戦局に貢献できるような舞台は既になかったほか、数々の悪条件が重なって本来の能力を発揮できない悲運に見舞われました。
ちなみに、「信濃」を建造した横須賀海軍工廠の第6船渠は終戦後、アメリカ軍が接収。在日米軍の横須賀海軍施設ドックとなり、現在も使用されています。 なお、「信濃」は原子力ではない通常動力型空母としては、長らく世界最大(満載排水量7万1890トン)でしたが、現在は2022年に進水した中国海軍の空母「福建」(満載排水量8万トン)が世界最大となっています。

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