アメリカ海軍などで採用され、映画『トップガン マーヴェリック』でも登場するF/A-18「ホーネット」戦闘機はどのように生み出されたのでしょうか。その経緯は、ほかの戦闘機とは少々異なるものでした。
映画『トップガン マーヴェリック』でも登場する、F/A-18「ホーネット」戦闘機は、アメリカ海軍こそ、発展型であるF/A -18E/F「スーパーホーネット」に主力機の座を譲っていますが、米海兵隊をはじめ、オーストラリア、カナダ、フィンランドでは主力戦闘機としていまだ運用され続けています。この機体はどのように生み出されたのでしょうか。その出自は、少し独特です。
「新理論で戦闘機作るぞ」→米空軍「いらん」→まさかの大逆転!…の画像はこちら >>F/A-18「ホーネット」戦闘機(細谷泰正撮影)。
F/A-18が、もともとアメリカ空軍の軽量戦闘機候補だったYF-17をベースに海軍の戦闘攻撃機として開発されたことはよく知られています。最終的に、空軍が採用したYF-16と海軍が採用したYF-17は、ともに軽量戦闘機計画において航空機メーカー各社から出された提案の中から選ばれた選りすぐりの2機種でした。
この軽量戦闘機計画で中心的な役割を果たした人物が自ら戦闘機パイロットであり研究者でもあったジョン・ボイド氏です。
朝鮮戦争では航空史上初めてジェット機同士の空中戦が行われました。ボイドはこの戦争でF-86「セイバー」戦闘機のパイロットとして実戦を経験しました。朝鮮半島から帰還したボイドは、映画『トップガン』の空軍版に相当する空軍戦闘機兵器学校で教官に就任し、そこでは訓練生パイロットを相手に行われた模擬空中戦において6年間無敗という金字塔を打ち立てています。同氏はその経験をもとに空中戦の戦法を分析し伝授するための本もまとめています。
その後、彼はジョージア工科大学で生産工学を専攻しますが、そこで学んだ物理学と熱力学をもとに「エネルギー機動性理論」という全く新しい理論を着想します。のちに「E-M理論」として知られるこの理論は、熱力学を空中戦理論に応用したもので、戦闘機の性能を機体の重さ、速度、エンジン出力、飛行抵抗などを要素とし、それをひとつの数式で表したものです。
その理論では、戦闘機の性能は機体が持っている運動エネルギーによって決定されるというものでした。ボイドは同僚の民間人、トーマス・クリスティーの協力を得て1964年この「E-M理論」を完成させます。
そして、この理論がアメリカ国防総省の注目を受けることになりました。結果、2氏らは戦闘機計画に影響力を及ぼす存在として「戦闘機マフィア」と呼ばれるようになります。
アメリカ軍は当時、最新鋭のF-4「ファントム」戦闘機が、ベトナム戦線上で小型軽量かつ簡素な、ソ連製ミグ17やミグ21を相手に手を焼いていました。さらに1967年、ソ連(現ロシア)はモスクワで行われた空港ショーにミグ23やミグ25など複数の新型機を登場させたのです。
こうしたなか対応を迫られた国防総省が急いで開発したのが海軍のF-14と空軍のF-15でした。
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F-16の試作機「YF-16」(画像:ロッキード・マーティン)。
2機種はともに、高度な飛行性能に加え強力なレーダーと重武装を備えたハイスペック戦闘機として仕上がっていました。しかし、「E-M理論」を追求した設計とはいえず、ボイドやクリスティーなど「戦闘機マフィア」達が満足するものではありませんでした。
そこで「E-M理論」を積極的に取り入れたアメリカ空軍むけ軽量戦闘機コンペが軽量戦闘機計画として実施されることになりました。各社の提案の中から2機種が選ばれ、ジェネラル・ダイナミクス社(現ロッキード・マーチン)とノースロップ社に試作機が発注されました。完成した機体はそれぞれYF-16とYF-17として飛行試験が開始されましたが、両機ともに優秀な飛行性能を示します。
両機の共通点として、ともに主翼の前縁から胴体側面にかけて「ストレーキ」または「LEX」と呼ばれるヒレを備えていることです。このおかげで機首を上げて迎え角を増やすと主翼上面に発生する渦流により失速を遅らせ揚力を増やす効果があります。
しかし、空軍は高価なF-15と並行して導入する戦術戦闘機としてYF-16を採用し、これがF-16「ファイティング・ファルコン」へとつながりました。
こうして空軍に採用されることなく、いうなれば敗者となってしまったYF-17ですが、運命の女神は思わぬ形で同機に再浮上のきっかけを与えます。
空軍とは別に、当時アメリカ海軍では部隊配備を進めていたF-14の価格高騰が問題になっていました。すべての戦闘飛行隊をF-14に置き換えるには予算が不足していたのです。
そこで海軍は、空軍機としては不採用に終わったYF-17をベースに、空母からも運用できる艦載機仕様とした戦闘攻撃機を開発しF-4戦闘機部隊とA-7攻撃機部隊の両方を置き換えることにしました。このとき、白羽の矢が立ったのが前出のYF-17です。
空軍機として設計されていたYF-17を、空母艦載機として運用可能なように仕立て直し、所要の改造を加える形で生まれたのがF/A-18「ホーネット」でした。こうして生まれた同機は、F-14「トムキャット」のみならずA-6「イントルーダー」攻撃機の後継としても使える万能機、いわゆるマルチロール機へと昇華しました。その結果、その性能に満足した海軍では、さらなる発展型を要求するようになり、F/A-18E/F「スーパーホーネット」誕生のロードマップができあがりました。
なお、この過程で機体メーカーはノースロップからマクドネルダグラス、そして現ボーイングへと変更しています。
YF-17の初飛行から今年(2024年)でちょうど50年、現在では電子戦機も含めて海軍の艦載機はほぼすべてが「ホーネット」シリーズという陣容になり、いまや日本をはじめとして世界中でよく見られる傑作戦闘機にまでなっています。
アメリカ海軍では現在、F-35C「ライトニングII」の導入が進めていますが、同機の運用はまだ始まったばかり。当分のあいだはF/A-18シリーズの活躍が続くのは間違いないでしょう。