琉球国王の世継ぎの屋敷で、沖縄戦で焼失した「中城御殿」の再建が戦後79年の時を経て始まる。起工式がきょう行われる。
1879年の首里城明け渡し後には国王も移住した歴史的建造物だ。二十数棟にも上ったという大規模な屋敷は琉球建築の傑作ともいわれた。
しかし1945年に首里城とともに焼失。戦後は、金庫に入れ中城御殿の防空壕(ごう)に避難させていた文化財も全てなくなっていた。
再建への機運が高まったのは2000年代から。戦時中の航空写真など資料が見つかったことをきっかけに、県は10年「中城御殿跡地整備検討委員会」を設置した。
ところが財源の確保が課題となり停滞。今回の首里城復興に際し、首里城公園の文化遺産を一体的に整備する県の事業として再び動き出した経緯がある。
首里城火災から5年。
火災の経験から防災上、南殿や城郭内の収蔵庫などに収容していた美術工芸品の移転も課題となっていた。
県はこれらを隣接する中城御殿で展示・収蔵することを決定。首里城正殿の完成に合わせ26年の公開を予定している。
本年度は新たに「世持橋高欄(よもちばしこうらん)」(欄干)の実施設計も始まった。首里城の北側にある池「龍潭」の水位を調整する水路に架けられていたが、沖縄戦でほとんどが破壊された。
首里城再建の機会を、戦争で失った文化遺産復元の加速化につなげたい。
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中城御殿の整備に併せては、那覇市が管理する国宝「琉球国王尚家関係資料」を中城御殿で展示し、市が管理運営する方針も決まった。県と市、沖縄美ら島財団の3者間で覚書を交わす。
琉球王国に関する文化財を巡っては3月、沖縄戦の際に国外に持ち出された国王の肖像画「御後絵(おごえ)」など流出文化財22点が返還された。
県が在沖米総領事館を通じ、中城御殿から持ち出された王冠、皮弁服(儀式用の礼服)などを米連邦捜査局(FBI)の盗難美術品ファイルに登録したことが功を奏した。
特に御後絵は実物が県内に1点も残っていなかったことを考えれば文化史的な意義は極めて大きい。
文化遺産は地域の歴史・伝統・文化の象徴だ。
再建された中城御殿での、これら国宝や流出文化財の保存や展示に期待したい。
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首里城地下にある第32軍司令部壕の保存・公開も着実に進めたい。崩壊や水没など劣化が著しく、公開を巡ってはたびたび議論になってきた。
一方、沖縄戦の方向性を決定付ける判断がなされた重要な戦争遺跡である。
戦争の過ちを二度と繰り返さないために「物言わぬ語り部」と呼ばれる戦争遺跡の重要性は高まっている。
県は年内にも基本計画素案を提示する。文化財指定するなど保存・公開に向け努力を尽くしてほしい。