戦車の「回る砲塔」っていつからあるの? 開発したのは自動車メーカー “排ガス地獄の車内”も変えた先見性

戦車といえば、履帯(キャタピラ)を履いた車体があり、その上に360度旋回可能な砲塔を備える車両をイメージします。では、いつ頃このような形になったのでしょうか。
戦車といえば、履帯(キャタピラ)を履いた車体があり、その上に「360度旋回可能な砲塔」を備えるものとイメージできるかもしれません。では、このような戦車の基本形はいつできたのでしょうか。
戦車の「回る砲塔」っていつからあるの? 開発したのは自動車メ…の画像はこちら >>世界の戦車の原型になったといわれるルノー「FT-17」(画像:パブリックドメイン)。
実は、この形に落ち着いたのは意外と早く、100年以上も前のことです。世界最初の戦車であるイギリスのMk.1は、第一次世界大戦中の1916年9月15日、ソンムの戦いで実戦投入されましたが、それから2年を待たずに旋回砲塔を備えた戦車が登場しています。
それは1918年5月31日、第一次大戦におけるドイツ軍最後の大規模攻勢、いわゆる春季攻勢の最中に発生した第三次エーヌの戦いで、初陣を飾った軽戦車ルノー「FT-17」です。
同戦車はルノーでわかる通り、当時既にフランス有数の自動車メーカーとなっていたルノーの創業者、ルイ・ルノーの設計思想が大きく反映されています。
同車登場以前の戦車というのは、イギリスのMk.1戦車やフランスの「サン・シャモン」突撃戦車などのように、車体の側面や正面に砲や機関銃を据え付ける構造でした。これだと可動範囲が限られており、敵が散開すると、ある一定の方向にしか火力を発揮できません。しかも、砲や機銃はエンジンの轟音響く車内で、かつ複数人で操作するため、車長の指示がなかなか届かないという難点もありました。
そこで、フランス陸軍で戦車の父と呼ばれたジャン=バティスト・エスティエンヌ大佐が1916年7月、ルイ・ルノーに軽量の戦車を作って欲しいと依頼した際に提案したのが、乗員が乗り降りしやすいように設計した「ハッチを備えた旋回式の砲塔」でした。
旋回砲塔で360度をカバーすることにより、様々な角度からの砲撃を可能としただけでなく、側面などに砲を配置した際に必要だった乗員も減らすことができました。そして画期的だったのが、車長兼砲手の座席のすぐ下部に運転席が設置されたことでした。これにより運転手と車長の距離が近くなったことで、戦闘時の意思疎通もかなり楽になりました。
「FT-17」には、車体や内部構造にも“クルマ屋”らしいルノーの思想が活かされます。装甲を兼ねる鋼板で車体を箱のように組み上げ、その中にエンジンや変速機を設置していくというセミモノコック構造を採用したことです。この方法は量産性を高めるだけではなく、運転手とエンジン室を隔壁で分離することにも役立ちました。
同車登場以前の戦車は、船を造るかのように車台にフレームを通し、そこへ箱型の運転室やエンジン、大砲や機関銃などを据え付けていたため、室内には排気ガスが充満し、ガスマスクを着用しなければなりませんでした。それが「FT-17」では、排気ガスをエンジンルーム後部から排出するため、熱や有害な煙に悩まされることがなくなり、乗車環境はかなり改善されました。
元々フランス陸軍は、歩兵の銃火器をしのげる程度の軽快な戦車、つまり「軽戦車」を広く配備し、戦闘には大量投入した方が有効との考え方を持っていました。その戦術と「FT-17」の性能の高さと先見性は見事にかみ合い、1918年のドイツ軍に対する連合軍の夏季および秋季の反撃攻勢に際しては、戦闘の中心的な存在として重要な役割を果たしました。
結果、同戦車を大量に運用したフランス軍やアメリカ軍では「ビクトリータンク」という愛称でも呼ばれるようになります。
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日本の10式主力戦車。砲塔の作りなどは異なるが基本的な構成は100年以上前の戦車と同じ(画像:パブリックドメイン)。
そして第一次大戦後は、この旋回砲塔を付けた車両を世界が真似するようになり、以後この形が一般的になります。2024年現在でも自動装てん装置の有無による乗組員の人数差や、動力がディーゼルエンジンかガスタービンエンジンかの差こそありますが、全ての戦車の基本的な形は「FT-17」が原型となっています。

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