一般社会から断絶された“塀の中”で何が起きているのか――。
刑務所問題をライフワークとする記者が、全国各地の“塀の中”に入り、そこで見た受刑者の暮らしや、彼らと向き合う刑務官の心情をレポートする。
刑期の長さや犯罪傾向などによって収容刑務所が分類される男性受刑者に対して、女性受刑者は基本的に短期から無期懲役まで、初犯も再犯も一緒に服役することになる。女性用の刑事施設が限られていることが理由だが、それゆえトラブルも発生しやすく、刑務官の負担も男子刑務所に比べて重たいとされる。
第7回は、刑務所内で音楽番組を放送する「和歌山刑務所」でDJを務める女性と、それを聞く無期懲役受刑者へのインタビューを届ける。
※ この記事は、テレビ朝日報道局デスク・清田浩司氏の著作『塀の中の事情 刑務所で何が起きているか』(平凡社新書、2020年)より一部抜粋・構成しています。
思い出の曲をリクエスト「これ、誰の声?」
「安室ちゃん」
午後4時50分、突如、刑務所内に曲が流れはじめた。そして、更生を目指す受刑者たちを励ます“言葉”が投げかけられる。
「皆さん、こんにちはジャミンです。お元気ですか? 第3火曜日『カナリアの声』の時間が始まりました」
毎週火曜日の夕食の時間に、受刑者からアンケートを取った思い出の曲のリクエストに応える『カナリアの声』と『はまゆう想い出リクエスト』の2つの音楽番組が放送されているのだ。これは和歌山刑務所ならではのものだ。
「第1工場のK・Oさんから三代目Jソウルブラザーズで『花火』をいただいています。子どもとドライブする時によく聞いていた曲なので是非かけてください」
塀の中に音楽が流れる。DJを始めて14年目になるジャミンこと向井千恵子さんに話を聞いた。
――受刑者に対してはどういう気持ちでしゃべっているんですか?
「受刑者からのメッセージに対して私は向き合って、おしゃべりをしているんですけれども、私からのメッセージで、音楽を受刑者が聞いて家族のことを思い出したり、大切な人のことを思い出して1日も早くみんなに会いたい、1日でも早く社会復帰したいなっていうように後押しができるといいなという思いで続けています」
――受刑者に何かメッセージはありますか?
「ここでの生活がつらかったりして夜、お布団の中で泣いたりとか、人間関係がうまくいかなかったりとか、いろんなことがあると思います。しかし、ここで頑張らないと次に進めません。前を向いて、しっかり頑張ってほしいと思います。待っていらっしゃる人たちのためにも……」
月1回の炭酸飲料が楽しみこの放送に居室でじっと耳を傾けている受刑者が1人いた。彼女は、この刑務所で15人しかいない無期懲役の受刑者のうちの1人、50代のBだ。およそ20年前に犯した強盗殺人事件で服役している。共犯者の男と謀って知人の男性を殺害し、被害者の銀行口座から預金を引き出したという。裁判では彼女が犯行を計画し主犯と認定されたという。逮捕後、当初はそれを不本意に思っていたが今は違うと話す。
「今は、そういうことが大事ではないと思っています。1人の人が亡くなったということが前提なので誰がどうしたということではなくて、私という人間がいたことで人が亡くなったというのは事実です。誰がやったとか、私が直接手を下した下していないとか、そういうことが自分の中では問題ではなくなりました」
1、2審とも求刑通りの無期懲役の判決、上訴しても状況は変わらないと思い、1日も早く刑務所で服役して償おうと最高裁に上告はしなかった。服役して16年、塀の外へ生きて出ることができないかもしれない定めを胸に何を思うのか。まず被害者への思いを聞く。
「大前提として申し訳ないという気持ちがあります。事件当時と10年目、20年目と自分の思いは徐々に変わってきています。被害者に対して最初は単に申し訳ないという気持ちからスタートして、どうしたら償っていけるのだろうという……、その次に人の命を奪ってしまったということで、償えなかったら、自分はどうしたらいいのか、という考えに至ってきて私が遺族だったら加害者にどうしてほしいかと考えるようになって、ここに来てから遺族に謝罪の手紙と自分が刑務所で働いたお金を16年間ずっと送っています」
――自分の犯した強盗殺人という罪についてはどう考えていますか?
「やっぱり取り返しのつかないことをしてしまったというのが今の気持ちです。今の考え方がその当時にあれば絶対にやっていなかったと思いますし、本当に軽い気持ちがあったと思います。その時の精神状態とかいろいろありますけど、人の命の重さっていうのに対してものすごく軽かったと思います」
夫とはすでに離婚、塀の外では80代の父と70代の母が待っているという。
――両親が高齢になられて塀の中にいるっていうことにもどかしさはないですか?
「ありますね。去年、父が病気しまして、そういうときに自分がそばにいればっていうふうに思ったりして、ちょっと病状が深刻なときは夜になって電気が消えてからつらくて泣いていたときもありました」
――刑務所の生活の中で、一番つらいことはなんですか?
「いつもじゃなくていいから、父が病気になったときに1日だけでも出してほしいとか、ありますね。今の私の生活の中では、それくらいですかね」
――逆に楽しみにしていることってなんですか?
「手紙とか面会もありますし、優遇区分(受刑者の成績によって待遇が変わる制度)で、お菓子とかを月に2回ほど食べさせてもらえるんですけれども、すごく些細なことなのですが、月に1回だけ炭酸飲料が飲めるんです。それがちょっと楽しみです。あと私は、みんな就寝時間が夜9時なんですけれども、夜10時まで起きていてもいいという許可をもらっていて9時からテレビのドラマとかいろいろありますよね、それが見られるのが今ささやかな楽しみです」
出口の見えない無期懲役という重い刑罰とどう向き合っているのだろうか?
――無期懲役の仮釈放のハードルは厳しいと聞いているとは思いますが、いつかは社会に戻りたいという気持ちは強いですか?
「はい、あります。めげていないです。自分の周りでも、実際に無期懲役で出所されている人を見ています。厳しくても無期懲役は終身刑ではないので自分も希望を持っています」
正直、私はこの答えを意外に思った。こういう前向きの気持ちでいないと無期懲役の受刑者は特に、出口の見えない塀の中での生活を送れないのだろう。
「1年とか2年とかいうレベルではもちろんありませんが、10年先でも20年先でもいつ自分が出てもいいように……自分で悔いがないような人生を送れるように、送らないとその先はないと思っています。それは被害者への懺悔(ざんげ)の思いともつながってきます」